見出し画像

大人だって正解も知らなきゃ、未来も知らない

大人は見通しが立っているのだろうか。

見通しが立ってて「そのためにこうすべきだ!」と、例えば子どもたちに言ってきて、実際そうなったんだろうか。


まあ、なったりならなかったりだよねと思いつつ、だからこそ、そんなにやいのやいの言わなくてもいいのになあと思う。

まさに心配していた事が起きたりすると「それ見たことか!」と鬼の首を取ったように言う人がいるけど、それ、確率で言えばどのくらいなんだろ。大体の人は、その「まさに心配していた状態」になってないような気がするんだけど。

大人だって正解も知らなきゃ、未来も知らない。

でなきゃ、そんな事起こるわけないじゃん!って事がこうも起こりはしないわけだ。


あと、大体の人はそんなに友達いないじゃない?せいぜい数百人とかでしょう?「みんな〇〇してるんだよ!」って、どの程度のみんな?
「僕の知っている人が…あ、全日本国民からすると0.00008%の人が〇〇っていってるんだけどさ」
とかであれば、それ、気にするほどの数字かな。


だから「将来のために!」とか「みんなはやってるよ!」とかは、僕的にイマイチ説得力が無くて、つい「はあ、、、」とか聞いちゃう。


でも、そんな僕でも、子どもの頃はその言葉に「ひいい、、、!」と怯えて苦しんでいたわけだ。
そして、結果「まさに心配していた状態」のフルコンボみたいな結果になったのだけど、どうにかなっている。確かに困ることも色々あるけど、大体のことは「なんとかなる!」と思えてる。(それがいいか悪いかはちょっとわからないが。)


じゃあ、「まさに心配していた状態」になっても「なんとかなる」と思っている僕は子ども達にどんな風に、自分の見通しを伝えたらいいんだろうと考える。

一応、ちょっと長生きしているし、例えば失敗談とかから伝えたいこと等はある。ちょっと、他から仕入れた知識を自分なりに解釈して共有したいことも。

今のところは、全部、自分を主語で伝えていきたいなあと思っている。

簡単に言うと
僕はこう思う。もしくは、こうだった。
なぜならかくかくしかじかで。
で、君はどう思う?
という感じかな。

相手との関係によっては
「お前に言われたくないわ!」
とか言われるだろうけど、それもまたアリ。
そっか、だから伝わらないのか。と思えるし。


正解とか、将来とか全然わからない。
でも、自分がどう思うか?という事なら、ある程度自信をもって伝えられる。


ちょっとズレるようだけど、最近本をまた色々読んだり、ジャンル問わず音楽や映像、ダンス等の作品に触れる機会を増やしてるんだけど。

しっかり主張してたり、のけぞるほど響いたりするのに、強制してこないのよね。いち読者で、視聴者で、観客である間柄だと。

ああ、これ、いい関係だなあと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?