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再現された日常に仰け反る

今日どんなふうにドアを閉めたかなんて覚えていない。

覚えていないけど「ああ、確かにそうだった」と思える描写に出会えることがある。スタジオジブリの作品(まあ、作品と監督によるのだけど、、、)の話だ。あの描写には狂気すら感じる事がある。

例えば「風立ちぬ」で一番好きなシーンは主人公が図面を引いているシーンなのだけど、あれはまさに図面を引いている人だった。
別な作品で乗り物に乗った時の軋み方とかも、本当は多分そうじゃないんだけど、でも感じ方としてはそうだし、いや、やっぱり実際そうかな?あれ、じゃあ、この感じじゃない?とか。
実写映画でももちろんそういうシーンはあるんだろうけど、好みなのかなんなのか、いい映画を見ていないのか、残念ながらそういう作品に出会っていない。

アニメーションだから誇張されているし、いざ実物を並べてみると「…あれ…?」と思う事はあるのだけど、観た時には「ああ!そう!こんな感じ!」と実体験で受けた印象に近く感じる。

ものすごく、上手く置き換わっていると思う。

今日どんなふうにドアを閉めたかなんて覚えていないように、なんとなく身体が覚えて行なっている事なんてたいして気にしていない。
だけど、いざそれを再現されると…実際に行うであろう動きと、実際には行なってないかもしれないんだけど感覚的にそうだったというものを、合わせて改めてあんなふうに映画として再現されると刺さる。
それはもう、仰け反りそうに刺さる。

だから、ファンタジーであっても、どこか日常と地続きな感じがするし、体感したこと無いはずなのに、知っているような感覚がある。


そもそも、僕たちは目だけで対象を観ていない。
身体全体で観ているし、観る時は過去の自分にもアクセスしている。
だから、精巧にできた贋作には騙されるかもしれないが、半端なものは見抜けてしまう。これ、知らないな。と。
だけど、どうしてか。
こんなにも現実と違うのに「そうだ」と感じてしまう。

こんなふうに、僕がジブリ作品を見る時は、ストーリーももちろんん楽しいのだけど、多くの人が体感した事があるような事をすごい精度で描写しているシーンを見るのが一番好きだ。

ジブリ作品に出てくる食べ物はやたら美味しそうというのも、そういうところが影響しているんじゃないかなあ。


さて、この、誇張されている上に製作者の視点であるはずものが、一定の人に共感されるという表現。

どうにか、保育にも活かせないものだろうか。

(それにしてもヘッダー写真全然関係ないな、、、)

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