大物芸能人から言われた”一言”(14)

~ 概要 ~

私は、ある大物芸能人から、『あなたに会うために、これまで生かされていたのだと思う』と大変ありがたい言葉をいただいた。これは、日本を代表する俳優から、サラリーマンである私がそんな言葉をいただくまでの出来事を記したメモである。

第2章の概要 ~茶道のお家元とマスコミ界の有力者~

ある大物芸能人から私は、『あなたに会うために、これまで生かされていたのだと思う』と大変ありがたい言葉をいただくこととなる、大きなきっかけとなった茶道のお家元やマスコミ界の有力者。そして、当時、私が考えていた「ふるさと電力プラン」。これらの要素が、次なる展開へと・・・私を導いていった。

時価総額6000億以上の会社の社長へのプレゼン

「文化人」である茶道の家元、「政治家」であるイケメン政治家から、『未来を担う若者たちを築く「塾」』への賛同を得た私は、次に、「経済界」で活躍する社長からの賛同を得るために動き出した。

また、ここで、一つ、私が考えた『未来を担う若者たちを築く「塾」』の特性の一つについて、話をしたいと思う。

皆さんに問わしていただきたい。
本質的(根本的)に、『未来を担う若者たちを築く(育てる)「塾」』は、良いものでしょうか?もしくは悪いものでしょうか?
また、この取り組みには、お金が関与しない。つまり、完全な善意で、世界、日本の未来のために、若者を育てる塾である。
お金儲けのための塾でなく、純粋に、日本の未来を担う若者を築く(育てる)塾である。
このような塾を、なんて悪い塾なんだ!と否定することはできるだろうか?
賛同するまではいかなくても、否定はしにくいものであると考えるのが通常ではないだろうか。
つまり、賛同されやすいが、否定はしにくい取り組み(塾)である。
ひいては、このような良い取り組み(塾)を実施している人、関与している人の価値を上げる取り組み(ブランディングに繋がる)と考えた。

だからこそ、私は、自信をもって、経済界で活躍するどんなに有名な会長や社長に対しても、アプローチを臆さなかった。
むしろ、日本でもトップの企業の会長や社長へのアプローチを試み、仲間となっていただくことを目指した。
でなければ、世界の平安を創ることなんて到底叶わないからだ。

そのような中、私が、経済界で活躍している上場企業の社長の中で、初めて、プレゼントした相手は、現在では、時価総額6000億円を超すM&Aの仲介をしている会社の社長であった。

このM&Aの仲介をしている会社が、初めてPR会社を活用したのが2010年。
縁あって、私は、PRのプロ(コンサルタント)として、2010年からこの会社のPRを専属(メイン)で担当し、PRを通じて、会社の急成長と基礎固めに貢献してきた。
メインでPRをしていたことから、会長や社長とも、記者発表、プレスセミナー、株主総会、イベント、メディアからのインタビュー取材などを通じて、何度も顔を合わせたことがあった。しかし、無駄口をしない私は、仕事以外のことで、会長、社長とは、あまり話をしたことはなかった。

しかし、そんな私が、初めて、仕事ではないことで、プライベートの活動である「塾」について、社長にお話をする、相談をすると心に決めたのであった。

そして、社長に話すタイミングを考えに考え抜いた。また、直感的に、自然の流れに任せて動くことが多いのが私だ。

たまたま

私は、「たまたま、うまくいっただけだよ」と話すことがよくある。しかし、本当にたまたまだったとも言えるし、実は、たまたまではなく、必然だったとも言えることが多い。

M&Aの仲介を手掛けている社長へ、「塾」の話を相談(プレゼン)したタイミングも、たまたまとも、必然とも言えるものであった。私は、周りには、たまたまと話をしているが、実は、その多くは必然的に導いているものが多い。しかし、そのことを踏まえても、「たまたま」と言えると思う。

今回、社長には、気持ちよく「塾」の話を聞いていただきたく、そのために、私は、知り合いのゴルフ雑誌の編集者にお願いをして、元女子アナが聞き手となり、元女子アナとのゴルフのプレー後に、社長の経営に対する考えについてインタビューする特集企画の取材を仕込んだ。

もちろん、「塾」の話をすることは”おまけ”であり、本質は、PRの仕事として仕込んだことである。

エレベーターピッチならぬ、「ゴルフ場ピッチ」

ゴルフのプレー、インタビュー取材が終わり、ひと段落がついたところで、私は、見えない刀を机に置いた。そして、『未来を担う若者たちを築く(育てる)「塾」』について、元女子アナやカメラマン、ライターがいる目の前で、あえて話を切り出した。

「社長、相談したいことがあるんですが、3分だけ、時間をもらえないでしょうか?」
と私は、切り出した。

その場にいた誰もが、予想だにしなかった私の言動に、空気とともに、時が止まった。それはそうだ。今、この時間は、ゴルフ雑誌の特集企画に関する
時間であり、私が相談するための時間ではないからだ。しかし、そんなことは私だって重々承知の上での行動である。そして、その場の誰よりも早く、
「どんな話か、聞かせてほしい」と、社長が口を開いた。

私は、こうなることは予測できていた。なぜなら、人知れぬところで、PRを通じて、私は、この企業の成長に尽力をし、貢献してきた。その価値は、プライスレスであり、もしもお金に例えるなら、10億、100億を優に超える価値だったと言える。そのことを社長が気付いていないはずがなかったからである。
そして、そんな私が、初めて、社長に相談を切り出したのだから。それは重要な内容だと考えてくれたのかもしれない。

もしくは、周りの目もあり、大人の対応をしただけかもしれない。しかし、いずれにしても、プレゼン(相談)の時間を得たのだ。

私は、手元に用意していた資料をもとに、『未来を担う若者たちを築く(育てる)「塾」』の構想を話した。

結果、社長は、「あなたは、この塾を通じて、私に何をしてほしいのかを教えてほしい」と話をされた。
そして、「改めて聞かせてほしい。秘書に連絡をし、日程を調整するように」と話をいただいた。

私は、賛同を得たかっただけであった。しかし、社長からの言葉で、改めて気付かされた。確かに、お願いされる側の立場で考えた場合、何をしてほしいのかを明確に伝える必要があるということに。

そして、大変忙しい社長が、改めて時間を取るということは、この塾に賛同していただけたということは、理解できたのであった。

私は、ゴルフ場があった木更津から東京への帰り道、海ほたるのカフェで、さっそく、頭の中を整理し、何をお願いすべきかを決めたのであった。

次回に続く・・・

<余談>

私より1歳年上の経営、医療、ITの頭を持つ「化け物(ばけもの)※」との出会いと、共に歩んだことについて、触れたいと思う。
※愛情と尊敬の念をもって、「化け物」と呼ぶ。

2012年、化け物は、突如、私の前に現れた。医療関係の老舗のコールセンターで常務を務めていた知人から、医療系に強いPRコンサルタントとして紹介をされた。初めて、私が化け物とあった時の印象は、若いのに副社長を務めていたことに、シンプルに驚いた。なお、当時、彼が勤めていた会社は、医療コンサル会社と呼ぶのが、一番近いと思う。そして、私が出会った時から、この化け物は、大手の企業との訴訟を抱えていた。

また、この医療コンサルの社長のことが、出会った当時から、私は大好きだった。(副社長である化け物ではなく、社長のことが好きであった。副社長も嫌いではないが、大好きではない)
社長の印象は、スマートで、強く、男気があり、芯を持っているような人物であった。しかし、今は、逝去し、天国で幸せに過ごしている。

このスマートで、男気溢れる社長と、化け物の副社長から、仕事や人生の上で大事なこととなることの多くを学ばせてもらった。

なお、この化け物は、大学を1日で辞めて、アメリカにわたり、当時、スティーブ・ジョブスにプレゼンしたと、本人から聞いたことがある。彼は、ゼロからの嘘はつかない。話を大きくすることはあっても、ゼロからの嘘はつかない。

次回の「余談」に続く・・・

第一章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(7)を参照ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?