鮎美

「鮎美」という名前は私がその名前で生きたかもしれない名前です。 命名時に「鮎美」か「恵…

鮎美

「鮎美」という名前は私がその名前で生きたかもしれない名前です。 命名時に「鮎美」か「恵実」にしようと悩んだらしいのですが、結局は「恵実」になりました。 「恵実」は「メグミ」と読みます。「エミ」ではありません。 よろしくお願いします。

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  • ボルドー滞在記

    無目的に開き直って生活を描くという遊びです。

最近の記事

瓶詰ヨーグルトと乾式トイレ

目覚ましが鳴って、目が覚めた。朝6時。布団に入ったまま音で階下の様子を伺う。物音はしない。まだ寝ているんだろうか。二度寝しようかとも思ったが、初日からそれはだらしないだろうと自分をたしなめて、起きる。 カーテンを開けても空はまだ黒く、陽の光は入ってこない。けっこう寒い。昨日は袖なしでも耐えられたが、今日は長袖を着た方が良さそうだ。 8時ごろになってようやく明るくなってきた。 昨日のうちに朝ごはんの時間を聞かれて、8時に、と答えておいたので、一階に降りる。奥さんのイザベルが

    • 「Bonjour!」

      重くてゴワゴワしたガウンを着て寝たために、かえって肩が凝ったような気がする。ガウンは裾が床につきそうなくらいに大きいのに、羽織ってみたら窮屈だった。 のそのそと起きて、まず顔を洗う。冷たい水で眠気を覚ましながら、ここはボルドーで今日はホストファミリーさんの家に行く、と最低限の確認をする。 ホテルの部屋は、どこでもない空間だ。窓を開けるまでは、ここがボルドーと言われようが、東京と言われようが、はたまた別の都市にあると言われようが、「あ、そうでしたっけ」と納得できてしまうような

      • アテネからボルドーへ

        成田から上海へ、上海からアテネへ、アテネからボルドーへ。 日本人はギリシャのアテネ空港までは10人に1人くらいはいたが、ボルドー行きの飛行機ではまったく、東洋人すら見かけなかった。 乗り換えが1時間15分しかなく、小走りして搭乗ゲートに急ぎ向かったが、私が最後の乗客だったらしい。飛行機までのバスに乗ると、すぐにドアが閉まった。Excuse meと声をかけて乗り込むと、ドア口にいた二人の大きな男の人は振り返って、笑顔で応えてくれた。身体の大きい彼らからすれば、身長145cmも

        • はじめに②

          無目的なことに後ろめたさを感じるのであれば、いっそ「無目的に開き直る」ことを目的とするのはどうか。こう考えること自体、無目的に開き直ることを目的とする、という転倒したかたちでも目的を設定せずにはいられなくなっていることの表れだが、それでも、一つの無目的の開き直りの態度の在り方の表明なのだと強弁したい。 「無目的に開き直る」という目的が、「合目的的な活動から逃れるもの」としての「遊び」に昇華すること。それは「遊び」と言っても、「こんなにキラキラした日々を送っています!」と遊ん

        瓶詰ヨーグルトと乾式トイレ

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        • ボルドー滞在記
          3本

        記事

          はじめに①

          駅の改札で母と別れて少し涙目になっていた感傷的な気分が、丸く黄色い照明がなんだか満月みたいだなぁなどと思いながら出発ゲートに向かう呑気さに変わったのは、いったいどの時点だっただろう。 乗換案内のアプリに示された通りに電車を乗り換えて成田空港に行き、淡々とチェックインを済まし、係員の指示通りに電子機器をトレイに出しながら搭乗手続きをしている自分が、なんだか別人のように思えてくる。これから飛行機に乗るのは自分だというのに、どこまでも他人事のような気がしてならない。自分の足で歩い

          はじめに①

          一週間前の準備

          いよいよフランス出立まで一週間となった。 準備で忙しいのでは、と思われることもしばしばだが、もろもろの手続きはほとんど終えているし、パッキングは今からやっていたらスーツケースが邪魔になるし、日用品は出立の直前まで使うものだから、準備するにはまだ早い。 渡航前の準備といって想起されるような準備をしていないわけではない。 コンタクトレンズを買いに眼科に行ったり、変換アダプターや衣類などの買い物をしたりもしている。 だが、そういう準備ではない準備の方になるべく時間を使いたい。

          一週間前の準備

          今日は書くことについて振り返って考えている。 千葉雅也さんに倣い、フリーライティングで、箇条書きでザクザク書いている。 今まで書いたところまでで3千字を超えた。 それをそのまま記事にして公開してもいいのだが、まとまっていないし、明日もう少し続けたいので、今は公開はしないでおく。

          今日は書くことについて振り返って考えている。 千葉雅也さんに倣い、フリーライティングで、箇条書きでザクザク書いている。 今まで書いたところまでで3千字を超えた。 それをそのまま記事にして公開してもいいのだが、まとまっていないし、明日もう少し続けたいので、今は公開はしないでおく。

          空白を埋めたかった。

          九月になった。 出立は一三日。もう二週間もない。 二週間後には全く異国の地で一人でいるという。 それがどんなことなのか。 一人旅は何度かした。 だが、今度は外国で、一つのところに一年留まるのだ。 短期間にいろいろと詰め込む一人旅とは、ぜんぜん違う。 そこに行くこと、一応、語学学校には通うことになっている。 それだけしか決まっていない。 それ以外の空白を、私は許し、楽しめるだろうか。 空白を埋めたがる。 病的にとまではいかなくても、空白があると落ち着かない。 「何かしら

          空白を埋めたかった。

          野田正彰『戦争と罪責』

          昨日から、『戦争と罪責』という本を読んでいる。 中国で罪悪を行った元日本軍兵士の話を聞き取り、兵士の内面や、社会が過去を否認することによって何が失われたのかを考察している本である。 読もうと思ったのは、今年の8月18日に戦争体験者の方のお話を聞く機会があり、そこで戦争の実態をまるで知らないことを自覚したからだった。 中学では日本史を習う。だがそのとき、私は受験のために用語と年号を覚えるので精いっぱいだった。 受験が終わったとき、対受験用としてパッケージ化されていた日本史は

          野田正彰『戦争と罪責』

          「何で書こうと思ったのか」

          しばらく書いていなかった。 毎日書こう、いや、書こうと思った時でいいや、と逡巡していたが、やっぱり毎日書いた方が良いような気がしてきた。 なぜなら、書こうと思う気持ちというのは、いくらでも疑えるし、簡単に否定できてしまうからだ。 「いや、こんなこと、わざわざ書かなくても」 「書くほどのことでもないのでは」 「本当にこれについて書きたいと思ったのか」 「書く必要があることなのか」 「何で書こうと思ったのか」 こんな問いの言葉が浮かんでくる。 書きたいと思う度に、毎回、これ

          「何で書こうと思ったのか」

          中古車、古着、モノの価格

          先日、車が壊れた。 母が運転していたところ、ハンドルの操作が利かなくなって、壁にぶつけてしまったらしい。幸い大きな事故にはならず、母は無事だった。 車は、近所のおばあさまからいただいたものだった。 その方が新車で購入してから20年ほど経過していたが、まだ3万キロほどしか走っておらず、傷やへこみもなく、捨てるにはもったいないということで、譲っていただいた。 しかし、以前にも不具合が起こっていたこと、今回の事故でウィンカーのライトも点かなくなり、修理するくらいなら新たに買った方

          中古車、古着、モノの価格

          「事務」と「義務」

          坂口恭平さんの『生きのびる事務』を参考に、一日の時間割をつくって、それの通りに行動することにした。 ところが、外出や来客の予定があったら、その日は時間割通りにはならない。特に予定がなくても、眠気や暑さに負けて予定通りにならない日もある。 時間割通りにパソコンに向かっても、「〇回読まれました」と知らせるモーダルウィンドウや、通知を見るのが地味にストレスで、noteを開くのも嫌になっていた。それに、noteの編集画面を開いても言葉は思うように出てこない。そうして、時間だけが過ぎ

          「事務」と「義務」

          6日ぶり

          前回記事を書いてからずいぶん日が経った。 日付を見たら8月7日。今日は13日なので6日ぶりである。6日間なら、「ずいぶん」というほど日が経ったわけではないな、という気もする。 前に、「毎日書いた方が慣れていくだろうし、身構えなくていいかも」と書いたが、今は6日ぶりでも、そんなに身構えてはいない。この6日間は色々あったからか、「今日も書かなかった…」という、やるべきことをやり残した感じも、あまりなかった。ただ「書いてないなぁ」と思っていた。それが段々と「今日も書かなかった…」

          ただ、書く。

          昨日書いたことに律儀であろうとして今日もこうしてパソコンに向かっているわけだが、何を書こうか、決まっていない。 考えていることがないわけではない。ただ、ぽっと頭に浮かんだことが浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。時折それを書きだしてはみても、断片だけで広がらない。手書きとは異なり、パソコンでは書くのも消すのも容易なので、ちょっと書きだしてもすぐに消してしまう。消せてしまう。 思考は止まってはいないが、流れが急で、何も拾い上げられないという感じだ。つかんだと思っても、魚が

          ただ、書く。

          言葉の出力形式

          前回の記事を書いてから少し日が空いた。 それだけで今こうして書いていることに身構えてしまう自分がいる。 身構えると文の流れが悪くなり、言葉は身体を離れていく。身体を離れた言葉ほど硬い文章になり、書きにくく、また、読みにくくなる。 「何を書こうか」と身構えず、考えないで書くには、短くてもいいから毎日書き続けている方が良いのだろう。考えないで書くということは、とりあえず書く(実際には、パソコンを前にしてキーボードを打つ)という動作をすることだ。それを毎日行うことで、身体が書くこ

          言葉の出力形式

          noteとツイッター

          以前は書きものをするときはWord一択だったが、千葉雅也さん、山内朋樹さん、読書猿さん、瀬下翔太さん共著の『ライティングの哲学』を読んでから、どのアプリを使って書くか、Word以外の選択肢を考えるようになった。 こうしてnoteを始めたのも、千葉さんが、 などとおっしゃっていたことがきっかけになっている。 Wordでは書きかけの文章や、メモなどの他のファイルが溜まってきていて、整理するのも面倒な状況にあり、新しく書き始めたいというときに、noteはうってつけのツールだっ

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