野田正彰『戦争と罪責』

昨日から、『戦争と罪責』という本を読んでいる。
中国で罪悪を行った元日本軍兵士の話を聞き取り、兵士の内面や、社会が過去を否認することによって何が失われたのかを考察している本である。

読もうと思ったのは、今年の8月18日に戦争体験者の方のお話を聞く機会があり、そこで戦争の実態をまるで知らないことを自覚したからだった。

中学では日本史を習う。だがそのとき、私は受験のために用語と年号を覚えるので精いっぱいだった。
受験が終わったとき、対受験用としてパッケージ化されていた日本史は、もう“学び終えたもの”として紙ごみの束と共に捨ててしまった。

高校では世界史を選択したので、日本史からは長らく遠ざかっていた。
その間に記憶はますます薄れ、近代史については、倒幕・明治新政府誕生→日清・日露戦争→第一次・第二次大戦→戦後という、極めて大雑把な時代の流れと歴史的な出来事を、用語として断片的かつ表面的に覚えていたにすぎなかった。

例えば、太平洋戦争が起こったのは真珠湾攻撃がきっかけだった。
それはわかっているが、アメリカの経済制裁による燃料などの不足に困窮していたとはいえ、なぜ戦争をしかけるという選択をしたのか。そもそもなぜ経済制裁を受けていたのか。
また、太平洋戦争開戦時は既に日中戦争のさなかにあったと記憶しているが、中国との対立はどのように深まっていったのか。盧溝橋事件やそれ以前に日清戦争は、どのようにして起こったのか。

このように、「→」の間に何があったのか、習ったはずのこともすっかり忘れていた。

さらに、用語としては把握している出来事の実情はどのようなものだったのか、あまりにも知らない。

例えば、日本軍が東南アジアに進軍して大きな被害を与えていたとは聞いていたが、フィリピンで100万人の人々が亡くなっていたことは、ツイッターで流れてきた記事を目にするまで知らなかった。

日本軍が侵略した地で何をしていたのか。
ひどいことをした、というその「ひどいこと」の内実は何も知らなかった。
日中戦争が泥沼化した、というその「泥沼化」の実態も何も知らなかった。

沖縄や広島、国内の戦争被害については、ひめゆりの塔や原爆資料館、8月15日前後に放映される戦争に関する番組などを通じて見聞きしていた。
(とは言え、沖縄や広島を訪れてから数年が過ぎ、戦争関連番組なども減っているなかで、そちらの記憶も薄れつつある。)

だが、外国で日本の行った加害については、全くと言っていいほど記憶になかった。
知る機会がなかった、否、中途半端に「知っている」ということにしたために、かえって知ろうともしなくなったのだ。

私たちは事実を知ろうとせず、知る前に「我々も戦争の被害者だ」、「侵略戦争ではなく、生存のための戦争だった」、「自虐私観は認められない」などと強弁し、過去を否認する事によって、何を失ってきたのか。否認された体験はコンプレックスをつくり、抑圧された心の傷痕は感情の硬直と病める衝動の爆発をもたらす。はたして私たちは、あの侵略戦争と違う精神に生きているのだろうか。過去を否認することによって、何を接ぎ木してきたのであろうか。

野田正彰『戦争と罪責』序章より

学校教育における歴史教育が表面的だとしても、まず知る、というのは、物事を引き受ける入り口に立つということであり、言うまでもなく大事なことではある。

だが、それで学び終えたことにしてはならない。一部を知って一時的に満足するのではなく、思い返すべき具体的記憶として、今や他の事象につながる問いとして、持ち続けていきたい。
その点、『戦争と罪責』は、単に中国での日本軍の行いを昔の出来事として紹介するにとどまらず、現代につながる問題とともに考察しており、関連する書籍も多数紹介されている。

『戦争と罪責』に書かれていることも、中国で起こったことのほんの一部である。これを読んで終わりにせず他の文献にあたったり、他者や自分の語らいのなかで思い起こし、問いを反芻できるように、その記憶と問いを自らの中に埋め込んでいこう。


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