一週間前の準備

いよいよフランス出立まで一週間となった。
準備で忙しいのでは、と思われることもしばしばだが、もろもろの手続きはほとんど終えているし、パッキングは今からやっていたらスーツケースが邪魔になるし、日用品は出立の直前まで使うものだから、準備するにはまだ早い。

渡航前の準備といって想起されるような準備をしていないわけではない。
コンタクトレンズを買いに眼科に行ったり、変換アダプターや衣類などの買い物をしたりもしている。
だが、そういう準備ではない準備の方になるべく時間を使いたい。

それはひとつには、向こうには持って行けなかったり、電子書籍にもなかったりするような日本語の本を読んでおくことだ。
当然、フランスには日本語の本などほとんどないだろう。
電子書籍化されていれば、向うで読むこともできよう。だが、読みたいと思っている本すべてを電子書籍で買うのは金銭的にちょっときつい。なので、行く前に読んでおきたい本は、図書館にあるなら出来るだけ読んでおきたい。
本を読むと時間はあっという間に過ぎる。ただ読むのでさえそうなのに、覚えておきたいような文言を書きとめながら読むので、さらに時間がかかる。
部分的にひろい読みしたいと思って借りている本も多く、積読状態になっている。行く前までにあとどれだけ読めるだろうか。

そして、もうひとつは、会っておきたい人にできるだけ会っておくことだ。
会いたい人全員というわけにはいかないのだが、できるだけ声をかけて会ってもらう。
でも、会ってどうする、ということもない。
話はするが、何か話したいことがあるから会う、というわけでもない。
ただその人を眺めたり、その人のあたたかさ(まとっている生命感のようなもの)に接したいのだ。それは電話や記憶でもある程度感じられるとは思うが、できるなら、やはり会うのが一番いい。
ありがたいことに、今日この後も、私が幼いころからお世話になっている父の友人にお誘いいただいて、出かけることになっている。久しぶりにお会いするのだが、遠くから見守ってくれている人がいるというのは、心の支えになる。

遠くから見守ってくれている人が心の支えなる、とは言っても、それは常に隣にいてくれる伴走者のような“支え”ではなく、時たま、ふっと思い出すことで、頑張ろう、と一息つき、また生活に戻っていける。そういう”支え”なのである。

言うなれば、「心のよりどころ」だ。だがそれも、心のよりどころ、というと、通常「拠り所」という字があてられるが、「寄り所」とでも書きたいようなイメージなのである。
「拠」という漢字だと「根拠」という言葉が連想されて、根を張るような、固定的な印象になる。それが「寄」という漢字だと、「立ち寄る」が連想されて、いくらか流動的になる。

最近、人と人との距離感について考えを転がしているのだが、そういう遠さ、距離、流動性が私には心地よく、必要でもあるような気がしている。

フランスに行けば、物理的に距離が遠くなるわけだが、そうなったら何を思うのだろうか。


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