空白を埋めたかった。
九月になった。
出立は一三日。もう二週間もない。
二週間後には全く異国の地で一人でいるという。
それがどんなことなのか。
一人旅は何度かした。
だが、今度は外国で、一つのところに一年留まるのだ。
短期間にいろいろと詰め込む一人旅とは、ぜんぜん違う。
そこに行くこと、一応、語学学校には通うことになっている。
それだけしか決まっていない。
それ以外の空白を、私は許し、楽しめるだろうか。
空白を埋めたがる。
病的にとまではいかなくても、空白があると落ち着かない。
「何かしら動いているよね」
これは昨日、友達との長電話で言われたこと。
まぁ、そうね。
学生の頃は、それを自分でもアクティブで良いことだと思っていた。
でも今は、少し認識が変わってきている。
二〇二〇年。
卒論を書く年なのに図書館が閉まると知って、私は大学を一年間休学した。
(図書館が閉まる前日にはスーツケースを持っていって、関連書籍を貸出上限枠いっぱいまで借りた)
休学したというのに、自分で時間割をつくってやることを決め、バイトを詰め詰めにした。
行動制限が緩んだ頃には、青森にも宇都宮にも那須にも千葉にも神戸にも行った。
そういえばその頃、古着を買う量が増え、クローゼットもいっぱいになっていった。
空白を埋めたがるのは以前から他にも。例えば、
ピアノのアレンジを考えているとき、単音だと心もとない。
文章や譜面を書くとき、余白の設定はいつも「狭い」。
ノートは、一ページを縦に6等分して、びっしりと書く。
空白を埋めたかった。
余白を許さなくなっていた。
私の余裕の無さは、こういうところなんだろうな。
なんで、こうなったんだっけな。
余白多めのこの文章も、もっと思考をつなげて、言葉を足して、埋めたくなってきてしまう。
もう黙ってみようかしら。そのまま終わりにしてしまおうかしら。
…
流石に締まりがなさすぎるので、本を紹介して終わりにしよう。
(空白を埋めたがる性よ…)
千葉雅也さんの二冊。
これをここで紹介したい気持ちは…まぁ、おわかりでしょう。
今後、この本には言及することもまたあるでしょうから、
この空白だけは、今日のところは、埋めないでおきましょう。
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