noteとツイッター
以前は書きものをするときはWord一択だったが、千葉雅也さん、山内朋樹さん、読書猿さん、瀬下翔太さん共著の『ライティングの哲学』を読んでから、どのアプリを使って書くか、Word以外の選択肢を考えるようになった。
こうしてnoteを始めたのも、千葉さんが、
などとおっしゃっていたことがきっかけになっている。
Wordでは書きかけの文章や、メモなどの他のファイルが溜まってきていて、整理するのも面倒な状況にあり、新しく書き始めたいというときに、noteはうってつけのツールだった。
noteの雰囲気が好きで、「つぶやき」もnoteで始めたのだが、noteでは「つぶやき」と「テキスト」が「記事」として同列に表示されてしまうので、「つぶやき」はツイッターで行うことにした。
「つぶやき」は主に読書実況メモをするために使おうと思って始めたのだが、ツイッターでやろうと思うと緊張してしまう。今日、新しく本を読み始めるのにあたって早速使おうとしたが、アカウントを開設するのに時間がかかったのと、緊張したのとで始められなかった。
noteではそんなに緊張しないで投稿できるのに、なぜツイッターだと緊張してしまうのか。その緊張感と理由として思い当たることについて、書いておこうと思う。
著者ご本人に読まれる可能性がより高い
自意識過剰ではあるのだが、著者ご本人に感想などが届く可能性があると思うだけで、だいぶ緊張する。noteもツイッターも、書いたことが公開されるという点では変わらないが、ツイッターにはメンション機能があって、(それを使わなくても)公開DMを送っているような気分になる。最近ではライター・著者のほとんどの方がツイッターのアカウントをもっていて、エゴサーチをしている方もいる。エゴサーチをツイッターですることはあっても、noteではあまりしていないような気がする。
著作を読んだときに思ったことをぜひ著者ご本人にお伝えしたいような気もするが、感想が届いたら届いたで恐縮したり、読まれなかったらそれはそれで残念なような気もしそうだと思うところもあって、そわそわしてしまう。よりオープンである
ホーム画面やタイムラインのレイアウトのせいか、ツイッターの方がよりオープンというか、野ざらしになっている感じがする。
noteではそのクリエイターのページ、部屋のなかでつぶやいている感じがするのに対して、ツイッターはツイッターという広い公共の空間で各々がつぶやいているような感じがある。より多くの人に読まれうる
ぱっと検索したところによると、noteの利用者(会員登録数)は663万人、ツイッターは6,658万人。ツイッターの方が利用者が多いので、より多くの人の目につく可能性がある。とはいえ、アルゴリズムによって全然表示されないかもしれないけど。
まだnoteの使い方もよくわかっていないのだが、おすすめされるnoteの記事は「テキスト」ばかりで、「つぶやき」はあまりおすすめにあがってこない。「つぶやき」だけを表示するページも無い。(というか、そもそもnoteでつぶやいている人が少ないようだ。)
だから、noteでつぶやいても、人目につきにくい。関連するワードを検索したり、その書き手のページに行かないとつぶやきは表示されない。
だけど、ツイッターはつぶやくことがメインなだけあって、いろいろなつぶやきが飛び交っており、不意におすすめに表示される。別段読もうとしていない人たちにもより読まれる可能性が高くなる。情報の流れがより速い
ツイッターの方が、つぶやきに特化している分、情報の流れが速い。
それによって急かされているような気がしないでもなく、緊張につながっているのかもしれない。
1~4まで思いついた理由をあげたが、やはり1が緊張の要因として最も大きいと思う。
そんなに緊張するならやはりnoteのつぶやきを使い続けようかとも思ったが、つぶやいているうちにこの自意識過剰も緊張も弱まっていくだろうから、とりあえずやってみよう。
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