キタキタ高校物語㉒図くん、図書館の主に出会う
夏目漱石( ^ω^)・・・。
高校時代に「こころ」が、課題図書になって、読書感想文を書かされた。読んだけど、ちっとも、面白いと思わなかった。
ちょうど、その時の若者文化は、しらけムード。
一生懸命やることが暑苦しいとかクサイとか言われていた。タモリが登場した時で、彼のあの、さらっとフザケタ感じ、芸能界で流行っているものをいちいち切っていくというか、思い出しても恥ずかしいけど、そんな風潮に乗ってしまっていたなあと自分を思い出す。
「こころ」に書いてあるKと先生のやりとり、1人の女性をめぐって、恋に破れたKが自殺し、先生が一生その責めを負って生きていくこと。
全然わからなかった。共感もしない。(今もわからないかもしれない)
一番初めに出会うのがもっと違う小説であればよかった。「こころ」に共感しなかった私は、夏目漱石を自分が読むべき本のリストから勝手に削除したように思う。
再読のきっかけは、八戸ブックセンターで、藤谷治氏の「フィクショネス」という文学教室に参加したこと。
この時の課題図書が、夏目漱石の「道草」だった。まだ読み始めて半分ぐらいで出席したので、宿題をやってこなかった子供のようにドキドキして椅子に座っていた。この時の藤谷治氏の講義はまるで面白く、一気に、夏目漱石への関心が高まるきっかけになった。
「さて、今日は夏目漱石の『道草』を取り上げました。
40過ぎたあたりからまた面白くなってきた一冊です。今日の講義の為に読んだら、また違う感想を持ちましたよ。
夏目漱石といったら、大作家でしょ?
でも、なぜ漱石が大作家なのか、みなさん御存じですか?
小説っていうものは朽ちて行くもの。
でも漱石は100年以上も生き延びています。
それはなんでか?というとよくわからない。
今日はそれを考えてみましょう。」
100年以上も生き延びている小説!
そうか、夏目漱石は、そうなんだ。
そんな小説を、図くんに読ませました。作者も、ほんのわずかしか読んでいないのに大笑。
そしてそれが、図書館の主が目覚めるスイッチ。この設定、冴えてるな!(すいません、自画自賛ですw)
図書館の奥には、全面、さまざまな全集が、これでもかと並び、ただでさえ、本が沢山あるのに、全く見向きもされないだろう物体として、並んでいた。まず、生徒は借りないだろうな、という本たち。
「道草」が宿題になって、あわてて、図書館の本を探したら、どうしてもなくて、奥の夏目漱石全集の中に探し当てて、持ち帰った。
そんなふうに教師が借りるか借りないかの本たちだ。
しかし、柳田國男全集とか、小林秀雄全集とか、なんだか面白そうな本ばかり並んでいた。ホント、全く、何でも目がよく見えていた時代に、読んでおけばよかった。(今は、まなぐいだわしい、と言っていた母の言葉に共感する日々。まなぐ(目)いだわしい(勿体ない)→つまらない映画や本を読んだ時の母の口癖)
でも、そんな、時間は昔の私には無かった。(時間は作り出すもの?)
いや、読もうとする気が無かった。(今はちょっとあるかも!)
自分がソロ活動好きなので、主人公of主人公の進くんも、今の主人公の図くんも、ソロ活動しがちである。
図くんを導く、メンターが必要な気がしてライオンさんが登場した。
そんな不思議な、不可思議な存在が、実際、自分の勤めていた学校の図書館に居たら、面白いなあ、という願望で、夢。
想像したり、夢を見たりすることはなにも芸術家だけに与えられた特権ではない。
誰もが芸術家と同じように夢を抱くし、夢想もする。
しかし、自分の夢をほかの人々と分かち合えるのはおそらく芸術家だけだ。
ほかの人々には夢を分け合うという場がないのかもしれない。
ー「そして映画はつづく」アッバス・キアロスタミ
これが理由だ。
時々、何か創りたくなるのは。