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【読書日記】わたしはピアノが弾きたい【蜜蜂と遠雷】

ここ数日、移動時間の電車の中やちょっとした隙間時間に夢中になって読んでいた本がある。

どうしても本が読みたくて、仕事を定時で切り上げて、家に帰ってからやるべきことはさっさと済ませて、いつもよりも多くの時間を読書の時間にあてたほど。

その本は、恩田陸著の『蜜蜂と遠雷』


この本の存在はだいぶ前から知っていたし、直木賞と本屋大賞を受賞したこともあって、本屋さんの目立つ場所に平積みされていたから何度も手に取ったことがある。

それでも、今の今までなぜ読まなかったのか。わたしはどうしてこの本を読もうとしなかったのか。読み終わった今となっては不思議で仕方がないくらい。


でも、以前おばさんに突然オススメされたのがきっかけで、読もうと思った。

去年に他界した祖父は、かなりの読書家だった。その子供であるおばさんも、かなりの本を読む人なようで、そのことを知ったのは今年に入ってからだった。(ちなみにおばさんは母の姉なのだけど、わたしの母はそんなに本は読まない。どうしてなんだろう)
本の話で盛り上がり、何冊か借りて、読んで、あの本はどうだったなどと夜遅い時間に感想を言い合うのがとても楽しい。

そんなおばさんがふとオススメしてくれたのが、この本だった。

「あやめちゃん、ピアノ弾くのなら、絶対この本を読んで欲しい。面白いから」

ほんのタイトルを聞いたとき、ぴんときた。あ、本屋さんでよく目にするやつだ、と。あの本、ピアノの話だなんて全然知らなかった。知っていたら、もっと早く手に取っていただろうに。まぁ、その情報すら受け取っていなかったのはわたしなんだけど。


恩田陸さんの作品は、実はそんなに読んだことがない。そんなにというか、『ドミノ』しか読んだことが無い。

ドミノを読んですごく感じたのは、この人の人物の書き分けは半端ない、ということ。登場人物の数が圧倒的に多いのに、自然とこの描写が誰目線で書かれているのかがわかる。ページを遡って今の立ち位置を振り返る必要もないくらい、自分の頭の中でストーリーが展開されていく。小説を読みながら、まるで映画を観ているかのような気持ちになるくらい、一人ひとりの登場人物が意思を持って動いているのが手に取るくらいにわかる。

そういう、今までにない読書体験をさせてくれたのが、恩田陸さんだったなという印象を持っていた。


その印象は、今回の『蜜蜂と遠雷』でも、裏切れらることは無かった。

わたしは別にここであらすじを語るつもりもないし、この本を要約するつもりもない。ただ、この本を読んですごく感動したという事実は残しておきたいし、この本を読んだ後の興奮を、そのまま記録しておきたいと思って今こうして文字を書いている。

今回の小説も、登場人物は多岐にわたる。ドミノ程の人数ではないものの、同じ章の中でも一人称がコロコロ変わる。誰の視点で書かれているのか、主語がなくてもわかるのがすごい。

マサル目線の話かと思えば、気が付けば栄伝亜夜が語りかけているし、かと思えば風間塵がピアノを弾いているし、奏が見守る描写だったりする。

ピアノのコンクールにまつわるコンテスタントと審査員たちと、ピアノと音楽と、そんなあれこれの話なんだけど、ひとつの「芳ヶ江国際コンクール」の一次予選から本選までの間に描かれる、登場人物の様々な目線での切り取り方が、本当に面白い。

どうして、本を読んでいて、音楽が聞こえてくるのだろう。

ベートーヴェンが、ショパンが、ラフマニノフが、リストが、モーツァルトが、バッハが。

音なんて何もない、ただの文字を見ているだけなのに、自分の中に音楽が流れるし、自分の目の前にはピアノが現れるし、コンテスタントたちの思い描く音楽の世界が、自分の目の前にも表れているようだった。


天才ピアニストたちのこの話は、すごくすごく刺激的だった。刺激的、なんて簡単に一言でまとめるのもなんだかもったいない気がするくらい、とても刺激的だった。


わたしも、ピアノを弾きたくなった。

この小説に出てくる天才たちは、やっぱり途方もないほどの天才で、わたしなんてその足元にも及ばない。わたしだって20年弱ピアノを弾き続けてはいるのだけど、コンクールにだって出たことないし、半年に一度の発表会で披露する1曲を、本当にまるまる半年かけて完成させるのに精一杯の、ただの凡庸なピアノの演奏者。もはや、演奏者なんて名乗るのもおこがましいくらい、ただの趣味でピアノをただ鳴らしているだけ。

それでも、なんだか自分にももっとできるものがあるんじゃないかって思わせてくれた。

今必死になって練習しているリストのあの曲も、以前引いたショパンのあの曲も、なんだか、もっともっと、表現できる何かがあるんじゃないかと思わせてくれた。


刺激的だった。本当に、刺激的だった。

この本が読めて本当によかったと思うし、今このタイミングで読んだことにも、何かの縁があるような気がしている。

映画を観に行くかは、正直悩んでしまう。これが映画で本当に音楽をつけられてしまうと、誰かのピアノの演奏を聞いてしまうと、今思っているわたしの中でも風間塵の演奏だったり、栄伝亜夜の演奏だったりのイメージが崩れてしまうかもしれない。それが、なんとなく怖かったりする。

それでも、これが映像でどうやって表現されているのかを知りたい気持ちもある。

この辺りはもう少し、自分と相談してから決めよう。



それにしても、恩田陸さんはどうしてここまで音楽のことが書けるのだろうとすごく不思議だった。
でも、この文章を読んだとき「あぁ、きっとこの人はピアノが弾ける人なんだ」と思った。

初めてグリッサンドをした時、あまりの痛さに涙が零れたのを思い出す。指の背を使って、鍵盤を払うようにして演奏するグリッサンドは、見た目は簡単に見えるが実際は凄まじく痛い。こんなもの、絶対にできないと思ったのを覚えている。

多分、ピアノを弾いたことがある人はみんな感じたことがあると思う。グリッサンドするときの指の痛さを。あの、指先が削られるような感覚を。でもそれを犠牲にしないと、勢いのある綺麗なグリッサンドができないことを。

この描写が書けるのは、実際に経験した人しか無理なんじゃないかと思った。(とても勝手な個人的な直観なんだけど)

Wikipediaで恩田陸さんを検索したら「本と音楽が周りにある環境で過ごしピアノを習い、広く音楽を知る先生に学び、大人になった今も「ピアノを聞くのが一番好き」と答えている」って書いてあった。ほらね、やっぱり。



それにしても、なんて素敵な読書体験だったんだろう。

小説って、こうして自分が見えない世界を見せてくれるから、本当に楽しい。

早く続きが読みたい、早くこの後どうなるのかが知りたい、そう思いながらも、このお話が終わってほしくないから、先に進んで欲しくない、なんていう矛盾した考えが出てきたりもして。

良い本に出会ったなぁって思う。


まだの人は、ぜひ、読んでみて欲しい。



今日もおつかれさまでした。




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