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ようこそ、赤ちゃん。あなたの「美味しい」のそばに。

ハロー、ワールド。

2023年3月25日。午前5時13分。我が家に第一子の女の子が誕生した。小さな手足を懸命に動かしながら生きようとする姿を見ると、自分の「生きる」をサボってはいけないと感じる。生命の尊さや母親の偉大さを実感する出産という場に立ち合わせてもらったことは一生の財産だろう。

私は妻や関係者の方々にただただ感謝をしながら、ひたすら我が子に声をかける。

「かわいいね〜。かわいいでちゅね〜。(以下∞繰り返し)」

生まれた我が子を目の前にして親の語彙力は皆無となることを学んだ。そのくらい赤ちゃんの誕生はこの世の全てなのかもしれない。

その晩、胃に流し込んだビールはいつもより琥珀色だった。

「美味しい」の構成要素。

我が子が誕生した喜びと飲むビールは美味しい。
その時、ふと思うのだった。

「美味しい」の半分は、「懐かしい」でできている。

幼い頃、駄菓子屋さんでよく買ってもらったプチプリンは、商店街を一緒に歩く祖母の顔が思い浮かぶ。お弁当にいつも入れてくれた卵焼きは、関西風に仕立てる母親を感じさせる。ドリンクバーと〇〇〇風ドリアは何時間でも友人と青春を語らせてくれた日々を思い起こす。机やケータイにシールを貼りまくった紙パックのリプトンミルクティーは、高校時代をフラッシュバックさせる。

引用元(https://retrox.biz/archives/200110.html)

けれど、私たちはいつしか大人になっていき、当たり前に食べていた味を手放していく。ライフステージが変わったことはもちろんのこと、舌が大人になったのだろうか。一つ1000円近いプリンの味も知ったし、もっと良いイタリアンの味も知ってしまった。自らすすんでかつての味を選ぶことは減っていく。

しかし、時折食べるかつての味は美味しい。リッチでなくとも、ジャンキーであっても美味しい。一般的な美味しいとは違う、美味しいがそこにはある。

リプトンのシール(引用:https://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/note/4808)

ここで白状するが、私は疲れた時には「ノスタルジアを買いに行く」と言って自分の中にある思い出の味を求めがちだ。自分の中にいくつかある懐かしい味の引き出しをその時その時で選び、えも言われぬ感情に包まれ回復する。エモいなんて薄っぺらい言葉では表現できない。

「ノスタルジア」がこころを助ける。

心理学的にノスタルジアとは「ビタースウィートな感情」と言われる。甘くほろ苦い。愛おしさと切なさを含んだポジティブな感情である。

この感情は不思議なもので、懐古的で辛気臭いと思われる側面もあるのだが、実は人間の心理的健康をもたらすという研究結果*がある。ノスタルジアを感じることによって他者から支えられているという社会的サポート感が高まり、心理的健康を回復しやすくなるという。また、逆境から立ち直りやすい傾向がある人は、このノスタルジアを感じやすい傾向がある。
(*)川口潤. (2011). ノスタルジアとは何か-記憶の心理学的研究から

甘くほろ苦い感情に私たちは知らず知らずのうちに助けられているのかもしれない。そして、無意識的にそれを五感で感じる。味覚で五味として感じ、嗅覚で風味として感じる。とりわけ嗅覚が感じ取る風味は脳の感情・記憶に関わる部分に直接届くため、よりノスタルジアをもたらすのだろう。

私たちは過去に感じた味・風味で心を助けられているとも言える。

「美味しい」のそばに。

新生児のあなたは母乳や粉ミルクの味から始まり、離乳食や普通食へとさまざまな味・風味を覚えていくと思う。その味と風味のいくつかはノスタルジアの原体験となり得るのだろう。

これからたくさんの「美味しい」をあなたは経験していく。そしてそれは、大人になるにつれて少しずつ変化し、忘れていくものもあると思う。

けれど、ひょんなタイミングで口にした味・風味で、甘くほろ苦いビタースウィートな感情が訪れるかもしれない。その時、想起する記憶はどんな記憶だろうか。パパやママとの楽しい記憶が蘇るだろうか。願わくば、たくさんの味・風味がパパとママと一緒にいた時間と紐づいてほしい。そして、それがお守りのようにあなたを助けるノスタルジアになってほしい。そう願いながら、パパとママはあなたの「美味しい」をこれから作っていこうと思うのです。

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