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弥生の雪

目覚めると雪が降っていた。
暖冬で桜の開花も早まるらしいが、寒暖差がもたらす体調不良はあれ、季節が行きつ戻りつで交錯するのは嫌いではない。
むしろ、今日と明日とで何かがすっぱりと切り替わるような事態は、たとえば突然の災害などの凶事しか思い当たらない。

昨日今日はあまり感じないが、先週あたりはたびたび地震が起こっていた。
たわんだ地層が緩やかに戻っていくことが、本当に安全なのかわからない。
何かの拍子に一気に撥ねてしまうような事態もないとはいえない。

自宅では床生活が基本なので、1日の多くを過ごすリビングには椅子に腰かけて使うダイニングテーブルはない。
したがって背の高い家具もない。
潜り込んで頭を守るものもないが、倒れてくる棚もない。
しかし、大きな揺れとなれば築30余年の天井が剥がれ落ちてくることも想定しておかなければならない。

会社では、一人に一つずつヘルメットが支給されていて、すぐに装着できるところに置かれている。
そうか。
ヘルメットを買おう。

いつもシャンプーや洗剤などを購入しているサイトで、一緒に購入した。
使わずに済むことを祈っているが、あれば安心。
いうなれば御守りや保険のようなもの。

通勤の朝が雪になるかもしれないことは予報で知っていたので、今日はあらかじめ在宅業務の予定を組んでいた。
いつも通り、BGM代わりに国会中継を流す。

昨日の記事の続きにもなるが、ライドシェアについて「車いすの人の利用」を問う質問があった。
タクシーが不足していて一番困っているのは、タクシーが来ないと病院に行けない人だと思う。

「車いすを乗せる仕様の車両を有している人が対応する」というような答弁だったが、車いすごと乗降できる自家用車を持っている人は極めて少ないと思われる。
そんな稀少な人が、ライドシェアに協力してくれる可能性はどれくらいあるというのか。
当初はタクシー業者に限るらしいが、車いすがそのまま乗れる仕様も、一部の介護タクシーに限られる。
では、そういう特殊な車両を、誰とシェアできるのか。

多くの場合は、人の手で車いすから普通仕様の車両の座席に移し替えることになるだろう。
体の小さな非力な妻や娘が、自分で立っていられない大柄な夫や父の体を一人で移すのは骨が折れる。
慣れないと腰を傷める。
老々介護、病々介護となればなおさらだ。
しかし、現実としてそういうケースは増える。

運転手さんは、介助に手を貸すケースを想定しているのか。
シェアして同乗することになるほかの乗客は?
乗り降りに時間もかかるだろう。
急いでいる人とシェアはできまい。
行先さえマッチングすればいいというものではない。

そういう大変さを実体験として持っていない人たちが、それらに疑問を抱かず、対応や制度をしらっと決めている。

昨日書いたデマンドバスは、急に近くの客をピックアップすることになるかもしれないということは折り込み済み。
だから時間の余裕を持って予約する。
時間ギリギリで本当に急いでいるときは、乗り合いなど怖くてできない。
需要と供給がどんなふうに結びつくのか、未だよくわからない。

今朝のように「起きたら雪だった」のを見て、通院の予定が入っている高齢者や病気の人は、うんざりしただろうな。
滑ったり転んだりしなくても、そうならないように慎重に歩を進めるだけでストレスになるし、別のところに力が入って筋肉痛になることだってあるだろう。

老いていくにつれて、世の中の仕組みがどんどん優しくない方に向かっているような気がする。
雪化粧した光景にわずかな非日常を感じて寛ぐ自分に、盾を振りかざし、矛を突き付ける日々。



読んでいただきありがとうございますm(__)m