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なぜデマンドバスにしないのか

運転免許を取ったのは大学4年になる春休みだ。
大学生協の斡旋による合宿コース。
最短16日間というもので、一度仮免を落ちたので18日間で取った。

しかし、実家の車は兄が仕事に使っていたし、結婚してからも持たないまま離婚に至った。
「赤ちゃんができたら車を買おう」という若い夫婦の取り決めは、結果的に希望というよりむしろ「圧」の部類となる。
友人の車やレンタカーなど、運転したのは数えるほどしかない。

離婚して、末期がんの兄を自宅マンションに引き取ったとき、兄の車も一緒に引っ越してきたのだが、ほどなくして売却。
駐車場代や保険料が馬鹿にならない。

兄も母も看取って私一人となって、車にはねられた。
これ以上は回復しないという左手のしびれと可動制限を理由に、免許を返納。
車が怖くなったというのもある。
被害者になるのも、加害者になるのも、事故後は想像がリアルになる。

こういうアクシデントについて「私に限って大丈夫」みたいな楽観性は私にはない。
歩けるうちは、駅もスーパーも問題ない距離にある。

免許センターの窓口の人は、80、90の高齢者の中に混じった私に、念押しのように「返納でよろしいですか」「理由はなんですか」と繰り返した。
申請書に書いてあるのよ。
よく見てね。

両親と兄は、破産で家を失ってから郊外の町を転々とした。
高齢者のいる世帯を大家さんは好まないので、更新のたびになんやかやと理由をつけて断られた。
高齢の賃借人を守らんとする施策はあるが、現実はそういうものである。
老後は持ち家を売って賃貸に住もうと思っている人、それはやめたほうがいい。
たとえ現金が尽きても、雨露しのげる住まいが確保されていれば、落ち着いて次の対策を考える余裕が生まれる。

最後に住んだ町では、デマンドバスが走っていた。
市が民間の業者に委託するかたちで、マイクロバスを運行するのである。
おそらく利益はない。
ほとんどボランティアのようなものだったかもしれない。
その負荷に耐えられなくなったのか、業者は次々と代わった。

その自治体に住民票のある市民は、事前登録すると利用できる。
10年近く前の数字だが、一般300円。要介護者は150円。
要介護者の付き添いは一人だけ150円で、市民でなくても利用が許される。
1週間前からの予約が可能で、空いていれば直前でも利用できる。

オンデマンドだから、バス停はない。
住まいや病院の真ん前まで車をつけてくれるから、バス停まで歩く体力のない人でも病院に行ける。
何時のデマンドバスで行きますと病院に連絡しておけば、玄関で看護師さんや事務職員が待っていてくれて、すぐに車いすに乗せてくれる。

予約は電話でもネットでもできる。
昭和の時代じゃないのだから、人間がホワイトボードに記入して時間やルートを調整するわけじゃない。
入力するだけで、即座に最適なルートをAIがはじき出し、運転手に指示してくれる。

実家に通いで介護していた頃、私も母と出かけるたびに利用した。
これがなかったらタクシーを呼ぶしかない。
タクシーだったら1000円も2000円もかかるところを、デマンドバスだと二人で300円で済む。

自営やフリーランスで国民年金だけの人は、いま満額でも6万6千円くらい。
兄の手取りは月額にして5万5千円ほどだった。
6万の年金額で暮らしていた場合、タクシーの2000円とデマンドバスの300円の差は天と地ほどもある。
そもそも、6万の年金額だけでは何もかも厳しい。
持ち家でない場合は半分以上家賃に持っていかれる。
(持ち家の私も、管理費と修繕積立金で月に3万近く払っている。)

今日は休みだったので、BGM代わりでなくきちんと国会中継を見た。
質疑の中で、赤字による路線バスの廃止が相次いでいて通院難民や買い物難民が増加しているのに、低賃金による人手不足が解消せず、改善の見通しが立っていないというのがあった。
政府はライドシェアなるものの導入でこれに道筋をつけるつもりなのかもしれないが、私は思う。
なぜ、デマンドバスにしないのか。

賃上げによる運転手確保案は、政策ではなく民間企業への丸投げでしかない。
地方自治体が業者に支援をして、デマンドバスを走らせれば、通院も買い物も、友人とのお茶にだって、低料金で外出できる。
それはたぶん、生きる意欲にもなり、体力や認知機能の低下予防となって、ひいては医療費の拡大も抑止できるのではないか。

高齢者が一人で出かけられるようになれば、家族が都度会社を休んだり遅刻早退する必要もなくなる。
介護離職につながるリスクが減る。

私もいまはまだどこにでも歩いて行けるけれども、もっと高齢になったとき、デマンドバスがあったらいいなぁと思う。

自治体が業者に支援するために、なぜまず国が地方に支援しないのか。
これから超高齢化社会になるというのに。

母はお気に入りの運転手さんがいて、その人が来てくれると嬉しそうに挨拶していた。
その人は各家のつくりを覚えていて、指示はなくても、利用者が一番動きやすい位置に車をつけてくれた。
そして、今日は顔色がいいねとか、髪切ったんだねとか、声をかけてくれた。

AIによる手配は便利だが、自動運転の無人車が来たら、たぶん母は乗らなかったと思う。
路線バスを増便すればいいという話ではない。
バス停まで行けない人、その時刻の都合がつかない人は、端から切り捨てられている。


読んでいただきありがとうございますm(__)m