風待ち

介護離婚して、癌の兄と母を看取って、念願の「おひとりさま」生活。 一昨年冬、交通事故で…

風待ち

介護離婚して、癌の兄と母を看取って、念願の「おひとりさま」生活。 一昨年冬、交通事故で左手が不自由になったけど、コロナ以外はようやく平穏。 2つの仕事はほぼリモートワーク。 言葉もできないのにちょこっとフランス在住した元バックパッカー。 写真は自前。

最近の記事

ことだま

中学2年のときのバレンタインデーに、初めて好きな男の子にチョコレートを渡した。 その頃、私は、どうしてもこの人、と思い決めた人がいなかった。 でも、なんだか、みんなが浮かれるブーム(?)に自分も乗ってみたくて、すごく好きとは言えないけど「そこそこ」好きな相手をピックアップした。 親友とふたりで、放課後に「人選」をした。 好みが似ていたので、重ならないようにするためである。 仲良くしている男の子がいた。 しかし、告白してデートをするとかいうものではなく、からかいを含めたじ

    • 秩序と法則とバランスと、不機嫌な私

      多分、私が変わっているのだろう。 たとえば病院のデイルーム。 自販機のある小さなホールから、デイルームの入り口に立つと、全体がパアッと見渡せる。 コロナが流行る前からずっとそうなのだが、全体を見た瞬間に、人の配置を考えてしまう。 会社でも電車でもどこかの店でも。 ここに1人、そこに1人と、等間隔で人を置き、全ての人のパーソナルスペースをある程度守ったときの、最大のキャパと効率、動線を踏まえての配置を考える。 癖みたいなもので、考えずにはいられないのだ。 デイルームには、

      • ヘルメスの欠片

        10年近く前まで、我が家の玄関にはヘルメスの石膏胸像が置いてあった。 来訪した友人だけなく宅配便のお兄さんまでもれなく尋ねる。 いくぶんギョッとしているような口調で。 「これは・・・なんですか?」 「ヘルメスです」と答えても「ああ、ヘルメスね」と言ってくれる声はない。 まあこちらも、その生い立ち?や管轄?をいちいち説明するのも面倒だし、先方もさほど興味を持たないだろうと思い、会話はそのまま立ち消えになる。 私はギリシャ・ローマ神話や新旧聖書の物語が好きなのだが、それについ

        • 勝手につぶやき<光る君へ(第7回)>

          ★いまは「陰陽師」の野村萬斎さんのかっこいい印象が強くなっているけれど、私が安倍晴明に持つイメージはもともと非常に胡散臭いものだったので(占い・祈祷・呪術とか全部胡散臭いと思っている)、ユースケ・サンタマリアの起用は悪くない。 ★道綱の母である寧子が、怯える兼家をなだめる折に「みちつな、みちつな」と連呼するのが洗脳や呪文のように感じた。 私が母親でないからというのも大きいかもしれないが、母親の強すぎる愛にちょっと引いてしまう。 自分の子供が悪いときも「うちの子に何すんのよ!

        ことだま

          灯を消すもの

          女は一途だった。 男の修行する御堂までは、湖を渡って行かなければならない。 「貴女が百夜通って来てくれるなら」 御堂は暗くて遠い湖の向こう岸にある。 夜通し修行する僧のための小さな灯が揺れていた。 男の提案は、女への拒絶であったかもしれない。 それは、女ひとりの力では、到底不可能に見えた。 しかし、女は漕ぐ。 夜は99を数えた。 あと一夜・・・ 女の頼りは、御堂に灯された灯ひとつ。 あとすこし。 あとすこしで、女の想いが叶う。 そのとき。 灯が消えた。 夜の湖

          灯を消すもの

          阿仁角線

          秋田県で小京都といえば角館。 春は武家屋敷の連なる街並を枝垂桜が彩る。 この角館から、かつて全長20kmにも及ばない盲腸線があった。 たった一両しかない列車が、日に3往復だけ走る。 「角館線」。 今は、「秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線」となって、やはり盲腸線だったかつての「阿仁合線」とを結んでいる。 大学卒業後、すぐに結婚するような気がしていた。 彼の故郷に嫁ぐ。 だから、教職も蹴り、就職も断って、バイトと旅を繰り返した。 地図が好きで、地図の会社ばかり何社も勤めた。 そのひと

          阿仁角線

          答えはいらない

          答えを求めていない問いかけに、答えを探されたくない。 探して得られた「左様ごもっとも」という正論を返されたくない。 「なんでこんなにつらいんだろう」に「そんなこと、私に言われても困る」とか。 「どうしていつまでも痛みが取れないんだろう」に、「医者に訊け」みたいなやつ。 「?」は、音にはならない。 見えない「?」があるかないかは、聞き手の想像力とか気持ちを汲む力にゆだねられる。 ほしいのは「正解」ではなくて、ただ「そうだよねぇ」だけなのに、そこが食い違うと、双方が傷ついたり

          答えはいらない

          春一番

          「熱愛より友愛のほうが長続きする。そして、別れたとき、ダメージの大きいのも友愛。」と、何かで読んだ。 熱愛の記憶は、遥か彼方だ。 4年という歳月が長続きかどうかわからない。 結婚は、次の次の恋の先にあったが、熱愛の果てではなかったように思う。 そもそも最初の激情が失われたあと、私の求める距離感はたぶん熱愛より友愛に近くなった。 そして、結婚後それが得られないことが、結果的にすべての愛そのものから距離を置くことになった気がする。 以前、男友達に 「人は、誰かを初めて見たとき

          春一番

          うどんとおあげさん

          今日は、Windowsの月例更新で、動きが悪いので、下書きを公開。 ものすごくどうでもいい話。 きつねうどんに入れる揚げを、うちでは「あぶらげ」(夫がいたころは、きちんと「油揚げ」と発音していた)と呼ぶ。 しかし、母や私の作るうどんは、郷里のそれに準じているので、あぶらげ1枚がどーんと乗っているものではない。 そして、あげ自体に甘辛い(郷里では「甘くどい」と表現する)味はついていない。 つゆを作るときに刻んだあぶらげを一緒に煮てしまう。 ネギか玉ねぎを一緒に煮ることもある

          うどんとおあげさん

          棚に上げる

          Wordのオートフォーマットはオフにしている。 オートコレクトで、不要なところに段落番号が出るのはイラつく。 便利な機能も場合によっては「余計なお世話」になる。 20代後半、病によって会社を辞めた私は、友人の編プロから依頼を受けて、とある月刊誌にルポやエッセイを連載することになった。 実働時間(取材に1日、執筆にもう1日)にしてはかなり割のいい仕事だったが、ひと月に2本くらいの原稿では、就職していた頃に比べると大きな減収は免れない。 マンションのローンは、正社員で共働きを前

          棚に上げる

          花束の行方

          何十年ものあいだ私を苦しめた病が最初に発症したのは、20代の頃。 結婚による新居のローンのために、プータロー(フリーターという言葉はまだない)だった私は就職をした。 つまり、寿就職。 女性の多い職場だった。 それも私と同年齢かそれ以上。 そして、みんな未婚だった。 同年代の新入りで新婚。 好奇心と嫉妬にさらされた。 ほかの部署には男性もいた。 それまで、会社の飲み会でも一種のタブーだった恋愛や結婚ネタが、堰を切ったように私に振られる。 からかっても、きわどい話も、私が

          花束の行方

          勝手につぶやき<「光る君へ」ほか>

          「光る君へ」 ※連想多し ★「楽に生きるのが苦手」というまひろに、倫子が「私も書物が苦手。苦手なことを克服するのは大変ですから、苦手は苦手ということでまいりましょうか」と返す。 私もリラックスが苦手なタイプだし、苦手を克服しようとは思ってないので非常に共感。 「もしドラ」のドラッカーを思い出した。 彼も「苦手は克服せずにそれが得意な人に任せて、自分も誰かの苦手なことを得意として行動したほうが効率がよい」と書いていたと思う。 ★「おかしきことこそめでたけれ」 直秀に自作の散

          勝手につぶやき<「光る君へ」ほか>

          呪縛

          NHK土曜ドラマ「お別れホスピタル」の第2回を見た。 初回と同様、入院患者を演じるベテラン俳優陣の豪華なこと。 もし演技が確かでなかったら「馬鹿にしてんのか」と憤るほどのシリアスな話かもしれないが、さんざん老いや痴呆を看てきた私にも自然に受け入れられた。 そのぶん、しんどいことは間違いがない。 でも、見ずにはいられないという気にさせるのがこのドラマのクオリティなのだと思う。 2020年の11月~12月、コロナの第3波の真っただ中に手術と入院を余儀なくされた。 すべての面会

          「どうでもいい」が自分を救う

          何も考えないでいるということができない。 座禅を組んだら、たぶん肩をバンバン叩かれると思う。 思考と雑念のてんこ盛り。 そして、雑念同志が入り混じり、絡み合い、その混乱と矛盾に耐えようとするストレスで「うううっ」となってしまう。 考えすぎるなと人には言われるけれど、どうやったら考えずにいられるのかわからない。 年に数回の贅沢でマッサージに行ったとき「力を抜いてください」と言われるけれど、力の抜き方がわからない。 「力を抜こう」と自分に言い聞かせるあまり、力が入ってしまう。

          「どうでもいい」が自分を救う

          待合室

          10人も入ればいっぱいになってしまいそうな待合室で、向かい合ったベンチとベンチのあいだのストーブが暖かかった。 外は、吹雪くとまではいかないが、入口の引き戸に絶え間なく貼り付くほどに雪が降っている。 そのせいか、昼間だというのに、歩いている人の姿はほとんどない。 待合室には、その頃の母よりすこし年かさに見える女性がたったひとりだけ。 その列車から降りたのは、私のほかに誰かいたのか、よく憶えていない。 次の便まで、あと2、3時間はあったかもしれない。 30数年前の冬の東北。

          靴音

          「外階段」がなぜか気になる。 なぜかわからない。 こういうアパートに住んでいたことはない。 以前のオフィスの窓から、近隣のビルの外階段がいくつか見えた。 踊り場でタバコを吸う人。 ノビやあくびをする人。 体操をする人。 さまざまである。 最近は、スマホで話す人や、メールかチャットを打っている人も多い。 やはり、気になった。 ユーレイには足がない、とよく言われるが、本当だろうか。 違う、と思う。 「牡丹燈籠」のお露さんは、カランコロンと下駄の音をさせて現れた。(⇐それは鬼太