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本日の憤り

この地に住んでから30数年、ついに富士山が見えなくなるときが来るようだ。
視界を遮るクレーンが何を造っているか知らない。
著名人の訃報を耳にするとひと時代が終わった気がするが、富士のある光景が日常から消えることも、時の流れを痛切に感じさせる。

今日から10月。
関東あたりは、ずいぶん涼しくなったとテレビは言っているが、南西向きの最上階角部屋である我が家は、彼岸過ぎの2日間ばかりを除いて、5月からの熱帯夜がまだ続いている。
冷房をつけないと、室温は30℃に近くなる。
なので、寝るときも25℃設定で30分、あとは27℃の自動運転で朝までつけっぱなしだ。

桜が散ってから、ずっとずっと次の冬を待っている。
秋はすこししかないので、待つことすら躊躇われる。
30余年、富士山の裾まで見えた頃から、室温が一桁になったことは2度くらいしかない。
意識していないと「エアコン」ではなく「クーラー」と言ってしまいそうになるのは、昭和人だからというだけではない。
そもそも暖房をつけないから。

長い間、土日には1週間分の総菜を作り置くことが習慣になっていたが、仕事を辞めてからは、月曜でも水曜でも気が向いたとき(安い食材が買えたとき)に作業している。
昨日は、ハロワと役所に行ったので「任務完了」のような気になり、今日は簡単な総菜をいくつか作った。

もう家に要介護の家族がいるわけでもないし、自身が外に勤めに出ているわけでもないのだから、まとめて作っておく必要もないのだが、すぐに食べられるものが冷蔵庫にあるという状態が、私の精神を安定させる。
そうして、忙しくないときのほうが、ちょっとした作業もやる気が起きない。
忙しいときは、隙間時間にパズルのピースを埋め込むように、スケジュールを組んでいたのだ。

においがこもるので、冷房を切って窓を開けていたら、ガス火の力もあって台所はあっという間に30℃近くになった。
汗だく。

午後から首班指名選挙の中継を見た。
石破さんの「ルールを守る」は、慣習でも良識でもなく、ましてや憲法などでもなく、「俺のルール」を守ることだとわかった。

NHKのニュースでは、アナウンサーが「立憲民主党からの反対討論もありましたけれども」とシラっと言ったけど、これは中継中だったのに映されなかった。
反対討論がされているというのに、突然スタジオ画面になって、解説者が声をかぶせた。

この反対討論の演者を、私はあまり好きではないのだけれど、公共放送の公正性からいえば、当然視聴者に伝えるべきだろうと思う。
ネットに切り替えて、私は見聞きしたけれども、多くの人はそういう報じられ方をしたことすら知らずに、政権を受け入れたり、今後の投票行動を軽んじたりするのだろうと思った。
反対討論が終わった途端に、NHKの中継は議場に戻った。
あからさま。
忖度なのか、圧力なのか。

反対討論は、衆議院だけでなく参議院のほうも、非常にわかりやすく問題点を突いていたので、有権者に届かないのは残念なことである。
参議院にいたっては、議場をぐるっとする投票場面からしか報じておらず、参議院軽視に対しても憤りを感じた。

子供時代からずっと国会中継を見てきたというだけでなく、最近は有料の配信サイトになじんでいるので、「お金を払って見ている」ということに敏感になっている。
先日は、民放各社の報道からずっと遅れて地震と津波の速報が出たということもあり、公共放送としての姿勢に疑問を持つことが多い。

ドラマは、当たりはずれはあるけれど、比較的良作が多いと思っている。
まあ、お金を取っているのだからね。
しかし、報道はいただけない。
かといって、民放は、タダゆえに不快なCMが多くて、ついつい敬遠してしまう。

新しい朝ドラは、まったく見ていない。
大河は、なんとか最後まで持ちそうな気がしている。

新総理の手のひら返し及び人事に大いに失望したので、今日のニュースは見る気がしない。


「寅ちゃんに 見てと言いたし いまの世の 不正 軍拡 増税地獄」


読んでいただきありがとうございますm(__)m