うつろい
写真は一昨日の夕暮れ。
長かった夏の終わりを告げているのか。
昨日は、久しぶりにエアコンをつけないで過ごした。
室温は、朝起きたときは26℃、日中も27℃までしか上がらなかった。
夜、すべての窓を閉めきったらどうなるか不安だったが、26℃のままだった。
1日前までは、あらかじめ30分前に寝室をその26℃に設定し、寝る段に27℃に直していたので、なんだか不思議な感じ。
でも、ありがたい。
今年は5月からエアコンをつける日があった。
6月は高湿でもあるから、ほとんどつけていたと思う。
だから、つけないのはほぼ4か月ぶりである。
今日もつけていない。
朝からすべての窓を全開。
北寄りの風が心地良い。
久しぶりに「用もないのに」外出した。
テレビでは「肌寒い」と言っている人や、長袖を着ている人の姿も映ったが、さすがにそこまでではない。
半袖のTシャツを着てリュックを背負って歩いたら、やっぱり背中が汗びっしょりになった。
日陰は涼しいが、日射しはかえって湿気のヴェールを突き破ったごとくに注がれている。
雲に遮られるとホッとする。
私は雲一つない快晴が苦手だ。
完璧を誇る人が苦手なのと似ているかもしれない。
3kmほど歩いて、まもなく閉店が予定されているスーパーに行き、セールの下着と靴下を買って、ポイントで支払った。
客が来ないから閉店を余儀なくされたのだと思うが、売り場は賑わっていた。
1年前にも、駅前のファッションビルが閉じられている。
ちょこっと改装されて別のテナントが入るのかと思っていたら、重機が入って建物ごと解体しているのでびっくりした。
ふたつ隣の駅前でも閉店したデパートがあり、下は店舗、中階はオフィス、上階は居住者を入れるタワービルになるらしく建設中だ。
所有者や投資した人にとっては、上へ延ばせば売り上げが増えるのかもしれないが、「いまさらタワマンかよ」と思う。
大地震の長周期振動とか、停電時には階段で上がるのかとか、余計なお世話的に考えてしまう。
もう時代遅れじゃないのか。
明日で彼岸も開けるが、墓もないので特別な供養はない。
自分が食べたさに、とある和菓子屋でおはぎをふたつ買った。
おはぎは、その店でしか買わない。
スーパーやほかの店では、きなこのおはぎの中にあんこが入っているからで、これは田舎から上京して仰天したことのひとつだ。
そこの店のきなこのおはぎにはあんこが入っていないから買う気になる。
むろん、かつて祖母や母と一緒に作ったおはぎ(ぼたもち)にも、あんこは入れない。
中にあんこを入れる文化の境界線はどこなのだろう?
母が逝って、というか老いて呆けてから、作ったことはない。
私が作るのは、母と一緒だったからであり、一人では意味がない。
束の間、仏壇に供えた。
能登の災害を報告して泣く。
仏さまの前で「神も仏もないよね」と。
そして、遅い昼食としていただいた。
母のこしらえたおはぎには到底敵わない。
洗って干してある夏掛けを取り込んでから、熱い珈琲を入れる。
ふと、夏そのものを供養している気になる。
「珈琲の 余韻残れる 唇に 触れた小指の 冷たさは秋」
読んでいただきありがとうございますm(__)m