風待ち

介護離婚して、癌の兄と母を看取って、念願の「おひとりさま」生活。 2020年11月、交…

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介護離婚して、癌の兄と母を看取って、念願の「おひとりさま」生活。 2020年11月、交通事故で左手が不自由になったけど、コロナ以外はようやく平穏。 2つの仕事はほぼリモートワーク。 言葉もできないのにちょこっとフランス在住した元バックパッカー。 写真は自前。

記事一覧

ダメじゃなくて無理

数名の医師が私を取り囲んだ。 主治医の説明のたびに、彼らは代わる代わる私の「患部」を覗き込む。 診察台で仰向けになっている私からも、彼らの顔が見える。 「患部」と…

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1時間前
4

勝手につぶやき<光る君へ(第19回)&日記>

★出世1(道長) 小学校のとき、急病になった担任の代わりに校長先生が授業に来たことがある。 そのとき、「僕はね、本当は校長にはなりたくなかったのよ」と言っていた…

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22時間前
14

母はカーネーションが嫌いだった

本日、マンション管理組合の総会。 19時開催で、終わったのは22時。 去年は理事長だったので、取り決めによって今年は監事。 会計監査報告をしなくてはならないので、委任…

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1日前
19

「本当の人生は破綻したところから始まるのです」と彼は言った。

作家の車谷長吉氏が亡くなったのは2015年5月17日のことだ。 訃報を知った私は、翌日のブログに、言いようのない喪失感を載せている。 名を「ちょうきつ」と読むことは、そ…

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2日前
21

「で」

連休明けの一昨日はリモートだった。 昨日は出社したが、夜に雷雨になるかもというので、お昼休みのうちに自宅に徒歩移動して、午後はリモートで仕事をした。 私の場合、商…

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4日前
19

優しくないから

産婦人科病棟の待合室では、ときどき涙目の女がいる。 そういう人にハンカチを差し出したことがある。 本当は、見ず知らずのその女性を抱きしめたかったのだが。 いや、抱…

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4日前
24

あなたも

10年以上も前だが、忘れられない光景がある。 私は、父の四十九日を終えて帰宅する途中だった。 ボストンバッグと喪服の入った紙袋を抱えてホームのベンチで電車を待った…

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6日前
26

違和感は野生のカン

幼い頃から、家族が死に絶えた数年前まで、精神的にはギリギリのところで持ちこたえてきたと思う。 この間には感情を封印していた10数年もあるのだけれど、世間的には道を…

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6日前
24

勝手につぶやき<光る君へ(第18回)>

★罪と赦し 道兼が死んだ。 些細なことでキレたり、公任の屋敷で飲んだくれていた道兼は、まるで憑き物が落ちたように真っ当なまつりごとに励もうとする。 人はこんなふう…

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7日前
26

連休雑感

開け放たれた窓から、街宣車の軍歌が流れ込んできて、昨日は「憲法記念日」だと気づいた。 明日の「こどもの日」は、昔から不動なので間違えることはない。 4/29は、昔は…

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8日前
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築城して籠城

ここ数か月、物欲というものがほとんどない。 家電の買い替えが済んだのは去年の夏のこと。 離婚してからの1年、それから兄と母の介護があった時期、必要なものはまず100…

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9日前
24

給食は無敵

合コンみたいなものは参加したことがないけれど、知らない人と話すのは好きなほうだ。 旅の宿ではいつだって、さっきまで顔も名前も知らなかった人と盛り上がる。 私が一…

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10日前
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愛する男の子供を産みたいか

雨の朝だ。 小さな安堵が私を包む。 通勤のかたにはまことに申し訳ない。 私の職場は、本日は創立記念日で公休である。 昨夜は、重苦しい気持ちで眠りについた。 ドラマ「…

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11日前
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出かけたいのか、出かけたくないのか。

GWだからといって特に行楽に出かけることもないので、朝からバブルバスに浸かった。 泡泡にまみれてのんびり音楽を聴いていると、かつての「温泉好き」「銭湯好き」「旅好…

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13日前
26

勝手につぶやき<光る君へ(第17回)&選挙>

大河ドラマの感想については、日曜の夜、BSのあと2回目の放送を地上波で見て、その日にアップしている。 次の日になると忘れてしまうから。 でも、昨日は書けなかった。 …

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2週間前
24

人生を支えた音楽2

離婚したとき、ほとんどの音楽CD、映画のDVDは夫が持って行ってしまったのだが、何かの拍子に別のところに置き忘れていたものだけが、かろうじて私の手元に残った。 離婚…

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2週間前
26

ダメじゃなくて無理

数名の医師が私を取り囲んだ。 主治医の説明のたびに、彼らは代わる代わる私の「患部」を覗き込む。 診察台で仰向けになっている私からも、彼らの顔が見える。 「患部」と私を隔てるカーテンのような布はない。 珍しい症例だからここでは対応できないと言われて大学病院の婦人科の診察を受けるようになったのは、まだ20代の頃だ。 不妊治療を前提とする診察だった。 下着を外して専用の衣類に着替え、大きく開かれた脚の間を、医師たちが観察する。 すべて男性だった。 だから何というわけではない。

勝手につぶやき<光る君へ(第19回)&日記>

★出世1(道長) 小学校のとき、急病になった担任の代わりに校長先生が授業に来たことがある。 そのとき、「僕はね、本当は校長にはなりたくなかったのよ」と言っていた。 だってね、あなたがた子供たちと一緒に勉強したり運動したりしたいから先生になったのに、校長になったらそういう時間がなくなっちゃうでしょ。それが嫌だったの。 尾木ママみたいに柔らかい口調で話す人だった。 「だから、今日はみんなと話せて嬉しい。好きなことができるのが幸せ。お給料の額や、校長とか社長さんとか、そういうの

母はカーネーションが嫌いだった

本日、マンション管理組合の総会。 19時開催で、終わったのは22時。 去年は理事長だったので、取り決めによって今年は監事。 会計監査報告をしなくてはならないので、委任状とはいかず、やむなく出席した。 去年は、事前の打ち合わせ(根回し?)を十分にしておいたので、所要40分ほどの「シャンシャン総会」だった。 私はそういうタイプだから。 他人の段取りの悪さが大きなストレスになる。 申し訳ないが、今年は仕切りが下手過ぎた。 「それってこういうことですよね」と、まとめたいのを必死に

「本当の人生は破綻したところから始まるのです」と彼は言った。

作家の車谷長吉氏が亡くなったのは2015年5月17日のことだ。 訃報を知った私は、翌日のブログに、言いようのない喪失感を載せている。 名を「ちょうきつ」と読むことは、そのときに初めて知った。 恥ずかしながら彼の小説を読んだことはない。 読む機会も、その能力もなかった。 学校や会社で「いかにも本を読んでいそうに見えるけれど実は読んでいない人」を競ったら、トップ争いをすると思う。 いまはないが、夫がいたころは大手新聞をいくつか購読していた。 記事はほぼ読まず、大見出しと小見出

「で」

連休明けの一昨日はリモートだった。 昨日は出社したが、夜に雷雨になるかもというので、お昼休みのうちに自宅に徒歩移動して、午後はリモートで仕事をした。 私の場合、商売道具?はPCひとつなので、会社にいても家にいてもやることは同じ。 昨日の出社は、顔を見せるためのようなもの。 出勤の日は、会社に着くと中のシャツと上のシャツが汗びっしょり。 ノートPCを入れたリュックを背負っているので、背中があせもになりそう。 アダプターが凶器のごとく重い。 それでも、混雑した電車で他人の汗に

優しくないから

産婦人科病棟の待合室では、ときどき涙目の女がいる。 そういう人にハンカチを差し出したことがある。 本当は、見ず知らずのその女性を抱きしめたかったのだが。 いや、抱きしめられたかったのか。 生と死の、その寿ぎと絶望がこれほど混在するところはない、と。 産婦人科の待合室。 世の中にある残酷な場所のひとつと思う。 いつも思う。 なぜ、せめて、待合室だけでも、産科と婦人科を隔ててくれぬものかと。 そこには、かなりの割合で、優しい家族が登場する。 妊婦につきそった夫と母親、ときに

あなたも

10年以上も前だが、忘れられない光景がある。 私は、父の四十九日を終えて帰宅する途中だった。 ボストンバッグと喪服の入った紙袋を抱えてホームのベンチで電車を待った。 すると、逆方向の電車から、老いた女性とその息子だと思われる中年の男性が降りてきた。 女性は、泣きそうな声で繰り返している。 「危ないよ、危ないよ。」 女性の足は、なかなか前に出ない。 降りたのも、ドアが閉まるギリギリだった。 本当に危ない。 思わずベンチから立ち上がり、ふたりのもとに歩み寄った。 何か声を

違和感は野生のカン

幼い頃から、家族が死に絶えた数年前まで、精神的にはギリギリのところで持ちこたえてきたと思う。 この間には感情を封印していた10数年もあるのだけれど、世間的には道を踏み外さず、自らをも傷つけることなく生き延びてこれたのは、友人たちのおかげもあるし、幸運だったと思っている。 チャップリンいわく「人生に必要なのは勇気と想像力と少しのお金」ということだが、私の実感は「想像力」と「それなりのお金」(けして「少し」じゃないということは力説したい)。 そして、語呂合わせのために3つとする

勝手につぶやき<光る君へ(第18回)>

★罪と赦し 道兼が死んだ。 些細なことでキレたり、公任の屋敷で飲んだくれていた道兼は、まるで憑き物が落ちたように真っ当なまつりごとに励もうとする。 人はこんなふうに変わることができるんだという救いにも見える。 彼が変われたのは、己の犯した罪を自覚したことゆえか。 更生とか改心とかいう道徳の教科書に出てきそうな四角四面な言葉では表せない「人間」を描いたのがこの役どころだったのだろう。 玉置さんは見事に演じていたし、道長の「兄上ならよきまつりごとができましょう」という言葉から

連休雑感

開け放たれた窓から、街宣車の軍歌が流れ込んできて、昨日は「憲法記念日」だと気づいた。 明日の「こどもの日」は、昔から不動なので間違えることはない。 4/29は、昔は「天皇誕生日」だった。 平成になって「みどりの日」になってからもしばらくは「前の天皇誕生日」と言っていた。 気づくと、いつのまにか「みどりの日」は「昭和の日」になり、今日5/4が「みどりの日」になっていた。 こうなってから、もうこの連休は「ゴールデンウィーク」というひとからげになってしまい、どの日がどの名称だった

築城して籠城

ここ数か月、物欲というものがほとんどない。 家電の買い替えが済んだのは去年の夏のこと。 離婚してからの1年、それから兄と母の介護があった時期、必要なものはまず100均で探した。 多少、意に添わなくても、許容範囲を広げては価格を最優先した。 安かろう悪かろうかもしれない、長い目で見たら損になると思っていても、いまあるお金が減っていく恐怖に勝てなかった。 友人知人が「捨てる」というものも結構もらってペンキを塗った。 夫が置いていった黒い家具もすべて塗り替えて、色を統一した。

給食は無敵

合コンみたいなものは参加したことがないけれど、知らない人と話すのは好きなほうだ。 旅の宿ではいつだって、さっきまで顔も名前も知らなかった人と盛り上がる。 私が一人旅を始めたのは15歳のときで、知り合う人はほとんどが大学生や社会人の年上の人だから、みんな気を遣ってくれる。 家庭では、ひたすら気を遣って家族の調整役に徹していたから、この「年下ということで無条件に可愛がられる」という状態は、私をかなり気分良くさせた。 私が知らない人は、私のことも知らないのだという当たり前のこと

愛する男の子供を産みたいか

雨の朝だ。 小さな安堵が私を包む。 通勤のかたにはまことに申し訳ない。 私の職場は、本日は創立記念日で公休である。 昨夜は、重苦しい気持ちで眠りについた。 ドラマ「燕は戻ってこない」の原作者は私の好みなのだが、このテーマだけは「無理」だと思った。 思っていたのに見てしまった。 そして、何度も吐きそうになった。 だったら見なければいいのに、それでも見ないではいられない。 それは、私が「私」だから。 私が「私の人生」を生きてここまできたから。 故郷を離れて非正規で働く29歳の

出かけたいのか、出かけたくないのか。

GWだからといって特に行楽に出かけることもないので、朝からバブルバスに浸かった。 泡泡にまみれてのんびり音楽を聴いていると、かつての「温泉好き」「銭湯好き」「旅好き」は、単に家でゆっくりお風呂に入れなかったからというだけのようにも思えてくる。 どこかに行きたいという気持ちはあるけれど、オーバーツーリズムの映像などを見るとうんざりしてしまう。 人混みに入りたくないし、人混みを形成する側にも回りたくない。 ニュースで、自分のお気に入りの場所が映ると「あ゛ー」となる。 母を連れ

勝手につぶやき<光る君へ(第17回)&選挙>

大河ドラマの感想については、日曜の夜、BSのあと2回目の放送を地上波で見て、その日にアップしている。 次の日になると忘れてしまうから。 でも、昨日は書けなかった。 理由のひとつは、3つの補選があったから。 19時時点の投票率が各地区ともすごく低くて、現政権だけでなく選挙民にも腹が立っていた。 大河ドラマの放送は10分の繰り下げで、20時からは開票速報。 ゼロ打ちが、Xのトレンドになった。 もうこの時点で、大河ドラマも日曜劇場も頭に入ってこない。 伝えたいし共有したいのは、

人生を支えた音楽2

離婚したとき、ほとんどの音楽CD、映画のDVDは夫が持って行ってしまったのだが、何かの拍子に別のところに置き忘れていたものだけが、かろうじて私の手元に残った。 離婚時、現預金は2万円しかなかったが、結婚以来ずっと暮らしてきたいまのマンションがそのまま分与されたことは大きかった。 元夫としては、いまよりうんと広くて快適な実家に戻るので、家具や家電のすべてが不要ということで、古びたそれらを置いていったのだが、とてもありがたかった。 それらは、一昨年から去年にかけてほぼ買い替えた