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愛する男の子供を産みたいか

雨の朝だ。
小さな安堵が私を包む。
通勤のかたにはまことに申し訳ない。
私の職場は、本日は創立記念日で公休である。

昨夜は、重苦しい気持ちで眠りについた。
ドラマ「燕は戻ってこない」の原作者は私の好みなのだが、このテーマだけは「無理」だと思った。
思っていたのに見てしまった。
そして、何度も吐きそうになった。
だったら見なければいいのに、それでも見ないではいられない。
それは、私が「私」だから。
私が「私の人生」を生きてここまできたから。

故郷を離れて非正規で働く29歳の女性の暮らしは困窮している。
気に染まぬ職場でも、働かなければ生きていけない。
こういう毎日って、本当にクソだと思う。
そして彼女は、ネットで見つけた「卵子提供」のドナーに登録する。
彼女は思っていた。
「卵子さえ提供すればいいんだ」
そうすればなにがしかの報酬がもらえるんじゃないか。
しかし、彼女が持ち掛けられたのは「代理母」だった。

不妊に悩む夫婦がいる。
3度目の流産をした妻に、夫は「君さえ無事ならいいんだよ」と声をかけるが、姑の「子供ができないなら離縁を」という強硬な命令に、代理母の選択をする。

かつての私は。
「いますぐ手術しなければ(母体の)あなたが死ぬ」と言われた。
それで、駆けつけてきた夫は同意書にサインをした。
そして、お腹の赤ん坊は死に、私は助かった。
面会に来た夫の親たちは言った。
「(赤ん坊の命を奪うことを)どうして事前に相談してくれなかったのか。」
本当にそれしか選択がなかったのかと私たち夫婦を責めた。
それは、「子供の代わりに嫁が死ぬという選択」を示唆していたと思う。
私は、孫を産むことと、将来の介護要員として、迎えられた嫁だった。

私は、ドラマの夫(稲垣吾郎)のように言われたかった。
「おまえさえ無事ならいい」
けれど、それはなかった。

あれだけ不妊治療をしても効果がなかったのに、手術のあとすぐに妊娠した。
人生のタイミングってなんなんだろう。
けれど、その子は流れた。
ドラマでは、生まれてこなかった子の母子手帳が3冊あることで、この女性の不育症が描かれていたけれど、私は手帳を申請する間もなかった。

姑からの「跡継ぎ強要」で、息子は妻に代理母を依頼するという提案をするのだが、この母と息子の「僕のDNA」へのこだわりが、私には受け入れがたかった。
私の兄は、母の実の子ではないが、母と兄は誰よりも深い母子愛でつながっていた。
それをずっと見てきた私は、こういう「血」への執着が理解できない。

ドラマで提案されたのは、夫婦の受精卵を代理母の子宮に入れるのではなく、卵子もドナーのものという設定だ。

男性は、自分の血さえ入っていれば、そういう状況から子供を手に入れることに違和感を持たないものなのだろうか。
自分の血にはこだわるのに、愛する妻の血は我が子に引き継がれなくてもかまわないと?

私はぶっちゃけ思ってしまった。
それなら、夫の不倫でもいいから愛のあるsexから生まれてきた子を引き取ったほうがよっぽどいい。
そうして、こんなふうに感じてしまう自分はおかしいのだろうかとおろおろした。

若いころから、ずっとおろおろしていた。
これまでいくつかの恋をして、これこそ愛だと信じられた感情も確かにあった。
けれども。
私にとってsexは、愛の行為であって、生殖のための手段ではない。
そして私には「愛する男の子供を産みたい」という欲求がないのである。

そんなはずはないと自分で否定して、証を求めるように不妊治療に精を出した。
でも、途中でやめてしまった。
「どうしても」という強い気持ちが欠けていた。
その欠乏は、夫や姑には許されないことだと思ったし、自身も許せなかった。
自分で自分を責めた。

子供を求める強い気持ちがなかったから、「私が死んでもいいからお腹の子の命を助けて」と言わなかった。
言ったとしても、現実としてその選択は不可能だったけれど、それは理屈じゃなくて感情的なもの。
夫と姑には、生涯理解されないことだったと思う。
不妊治療も途中でやめたし、夫の恋人や子供の存在に気づいても、糺したことは一度もない。
口をつぐんだまま、しらっと20年近く共に過ごして、(はたから見れば)さらっと別れた。

いまも思う。
夫を愛した瞬間は確かにあったが、この人の子供を産みたいとは思わなかったよなと。
この人と「永く」一緒にいたいとは思ったけれど、「四六時中」一緒にいたいわけじゃなかったのよな。
一人の時間と空間を求める気持ちのほうが、家庭を求める気持ちより強かったのかもしれない。

それは、この年になっても、私のコンプレックスとなっている。
そして、自分で自分を守るように、生殖の強要を嫌悪する。

原作の小説は未読。
ドラマの紹介には「生殖医療」とあったが、これは商売ではないのか。
どこからが医療で、どこからが商売なのか。
医療にしておくために、ボランティア(無報酬)という建前が必要なのか。
そして。
命というものに関して、どこまで人間が手をつけていいのか。

嫌悪と反感がうずまき、吐きそうになりながら見た。
でもそれは、原作やドラマの出来とは関係なく、たぶん「私」だからだろうと思う。

姑役は黒木瞳。
実は、かつての姑は彼女にすこし似ている。
なので、どんないい役でも、私はテレビで彼女を見るとムカムカする。
死ねばよかったのにと言った姑を思い出すから。
黒木瞳さんは、とてもいい女優さんだと思う。

稲垣吾郎は、無邪気に残酷な夫役がよく似合うと思った。

次は、録画して、PCゲームでもやりながら「ながら見」しようかと思っている。
真正面から見て、また吐きそうになるのも困る。

※写真は、ラ・トゥールの「誕生」(の絵葉書) レンヌ美術館にて購入


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