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連休雑感

開け放たれた窓から、街宣車の軍歌が流れ込んできて、昨日は「憲法記念日」だと気づいた。
明日の「こどもの日」は、昔から不動なので間違えることはない。

4/29は、昔は「天皇誕生日」だった。
平成になって「みどりの日」になってからもしばらくは「前の天皇誕生日」と言っていた。
気づくと、いつのまにか「みどりの日」は「昭和の日」になり、今日5/4が「みどりの日」になっていた。
こうなってから、もうこの連休は「ゴールデンウィーク」というひとからげになってしまい、どの日がどの名称だったかの意識が薄らいでしまった。

本当は、憲法記念日には憲法のことを考えたり話し合ったりしなければならないと思うけれど、毎年いつのまにか過ぎていってしまう。
国会の会期中に開催される衆参の憲法審査会は木曜日のことが多いので、通院日に当たらないときはネットで見ているが、福祉や教育の予算を削ってまで防衛費を拡大しようとしている政治の流れは、ちょっと怖いなと思っている。

間違えないけど「こどもの日」には、子供時代から興味がない。
お雛様と同様に武者人形も苦手。
歴史の資料館は好きだけれど、鎧兜の展示は見たくない。
中に人が入っているような気がして怖い。
横溝正史っぽい。

そもそも、雛飾りや武者飾りをするような家庭とは縁がない。
柏餅も、いただいたものしか食べたことがない。
数年前まで、桜餅と道明寺の区別もつかなかった。
母が元気なころに作ったのは、おはぎ(春はぼたもち)くらいで、上品な和菓子を買うという習慣もない。
それに、こしあんよりつぶあん好き。

実のところ「〇〇の日」というのが好きじゃない。
その日にはあれとこれを設えて、こんな料理を食べるみたいなのも嫌だし、「母の日」は母がいないことが、「こどもの日」は子供がいないことを突きつけられる。
「敬老の日」は、祖母がいたころは、70歳くらいから毎年、自治体から「長寿祝い金」みたいなのが支給されていたけれど、母のときは90になっても何もなかった。
移動休日になってから、祝日はもうどれが何の日だかわからない。

わからないうちに、ゴールデンウィークも後半となった。
毎年、この連休に部屋を冬仕様から夏仕様にしていたのだが、今年は4月の暑さに我慢できず、一足早く模様替えを終えてしまった。
大物の洗濯をしたほかは、特に何もせず終わりそうな気配。

久しぶりに会う約束があった友人は、お姉さまが亡くなって急遽実家に帰った。
みんないろいろある。
残念な一方、出かけなくて済んですこしホッとしている自分がいる。
誰かに話したいと思う気持ちと同時に、出かけるのも話すのも面倒くさいなと感じてしまう。
人混みだけの問題ではないのかもしれない。

根拠となる経験は示さない相手に対して、感情や観念だけに共感するのも難しい。
それだけでわかってくれということなのだろうが、結局は「わかったふり」になってしまいがち。
何がそう言わせるのかを知れば、違う価値観にも共鳴できるのだけれど、私は相手が言うまで無理やり訊き出すのは得意ではない。
言葉足らずの行き違いの有無を確認したり、訂正や補足するのも面倒くさい。
関係の修復よりも、それ以上の悪化を防ぐために離れるほうを選ぶ。
アンフェアなふるまいをされたときは、ほぼ一発アウト。

持病である不眠症と過敏性大腸炎は、ストレスからくるのかもしれないと医師からは言われている。
いまは、その原因となる事象はほぼなくなったと思うのだが、症状は相変わらず。
何がストレスになっているのかよくわからないけれど、あと2日だらだらと過ごすつもり。


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