“低俗な欲求”を自分の中に見つけたよ
「受け入れられたい、認められたい、注目されたい、衣食住を確保したい」欲求と向き合う
こういう気持ちが自分の中で、ごりっごりにあると気づきました。
今まで、これらに自分の脳が一瞬が気がついても、「いやいや、こんな自分ありえない。ないない💦」と意識から吹っ飛ばすという事が続いていました。
何か問題や壁に当たる時、突き詰めれば、だいたいこれらの問題が根本あったのに、「こんな低俗な欲求など、認めたくないし、恥ずかしい」などと考えていました。
低俗だろうが、恥ずかしかろうが、こんなに何度もぶち当たるものなんだから、もう諦めて、「自分の中にあるもの」だと認めようと思いました。
人間の歴史を見たら、戦争や殺人など人間には残虐な部分もあるし、それを理性でコントロールしているということがあります。(専門的には違うと思うのですが、すごく簡略した例えの話として)
そういう人間的な部分というか、「受け入れられたい、認められたい、注目されたい、衣食住を確保したい」っていうのは、程度の差はあれ誰でもあるものじゃないか?と思いました。
かなり長い間こういう自分を否定してきましたが、とうとう向き合おうと思いました。
欲求に「何の為に?」と問いかける
これらの欲求一つ一つに対して、「何のために?」と自分に問いかけてみました。〈 ( )内は言い換えや解釈です〉
「受け入れられたい」
➡ 誰かの役に立たないと自分には価値がない。
(相手の言いなりになる事、我慢する事、困った人を助ける事で自分には価値がある、満足感がある)
「認められたい」
➡自分が存在する事を認めてほしい。生きていて良いと承認が欲しい。
(他人の言葉や評価を信じ過ぎている、そこに自分の輪郭を見て“事実”だと思っている)
「注目されたい」
➡見守っていてもらえると安心する。
(生存を確実なものにする為に、保護の“保険”が欲しい。失敗や孤独から、怪我を負ったり、命を落とさない為)
「衣食住を確保したい」
➡生存していく為に、保護が欲しい。
認める事で先に進めた
自分の中に認めたくなかった事だけれど、「自分の中にある」って認めたから、「何のために?」と自問自答出来ました。
認める事が恥ずかしかったり、情けなかったり思っていましたが、“だとしても”あるものだと認める事で、一歩進み出すことが出来ました。
これらを眺めて感じた事
これらに共通するのは、「常にだれかを必要としている」事だと思いました。
と書いたのですが…申し訳ありません、恥を恐れず端的に言います💦
共通している根本には、「自分自身は無力な人間だと思い込んでいる」ということでした。
こうしてここ(note)に書きこんでいるのも、この恥を克服するアラ治療の一環だと思って、書いています。
そう決めて書き込みながらも、微妙な見栄を張っている自分にも気づきました。
書き直して、公開はできるのですが、今後の自分の為にもそのまま残しますね(笑)
この「自分は無力」だという気持ちは、かなり心の奥底にある感覚で、きっとすごく大切にしてきた価値観なんだろうなと思います。
つまり、この価値観を大切にしていたら多くを得られたんだろうなという事だろし、実際今こうして36歳まで生きて来れたし、生存戦略としては“正しい”選択だったんだろうなと思います。
しかし、年齢を重ねるごとにこの戦略では、うまく行かない事が増えてきて、今悩んでいるという現状があります。
だからこそ、こうして自分の本当の問題に向き合う事ができたと思ています。
そして、どうなりたい?
この世の中、自分や他人の問題など挙げればキリがないですが、自分はどうなりたいのか?が大切だと思ています。
「自分は無力」を武器に、生存を確実なものにし、人生を終えたいならこのまま生きていけばいいし、悩む必要もないと思います。
自分はそれではつまらないし、飽きたから悩んでいるんだと思っています。
「もっと他人の目を気にせず生きていきたい。」
「他人のいいなりになる事や、我慢する事でなく、自分の本当に欲しいものを手にしたいし、弱っている人や困っている人を側に置くのではなく、自分が大切にしたい人を大切に出来る時間やお金、自分のエネルギーの使い方をしたい」
「他人の評価や言葉より、自分自身を信じてあげたい」
「失敗や孤独の恐怖を和らげて、アクティブな人生にしたい」
(例:自分自身に「失敗しても、批判を浴びても自分は大丈夫」という成功体験を積ませてあげること)
自分の欲求に時間をお金をエネルギーを使いたい。
衣食住の確保に1日の大半を使いたくない。(生活の為の仕事など)
僕が今、思った事はこんな感じです。
自分のこれからの課題
これらの中でも、僕は「失敗や孤独の恐怖」が特に強い様に思いました。安心安全を軸足に置いて生きていきたいという気持ちが強いです。
「生存の為に、誰かに見守っていてほしい」という気持ちがあって、
自分が、ふと思い浮かぶイメージとしては、「幼い子供が、少し危険な事や不安な事に挑戦しようとしている時に、お父さんかお母さんがそばで見守ってくれている」様な感覚です。
これを強く求めている事がわかりました。
過去を振り返れば、お付き合いしている彼女が居ながらも、二股をした事があったり、起業する時も石橋を叩いて渡る様に、“保険”に“保険”をかけて行動したりという事がありました。
生存が目的となっていて、その手法として、誰かに見守っていて欲しいとか、サブプランを考えたりとかに至ったと思います。
今は誰かや何かに守ってもらわなくても、自分は生きていけるという成功体験を小さく積み重ねる事が、まず最初にやる課題だと思いました。
ここまで自分をさらけ出す怖さや恥ずかしさは、今はありますが、どんあ反応があろうと、なりたい自分への第一歩だと思って書いてみました。
ここまでただただ自分の主観を書いてきましたが、ここまで読んで下さった方がおられたら嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これからの自分の行動なども書いいきたいと思います。
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