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短編小説集

19
短編小説、増幅中。
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#散文

ワンダーランドの手記

ワンダーランドの手記

ーーー此処は暮れ泥むトワイライトに照らされた小さな部屋で、寧ろそれは地下室と呼ぶべきかもしれない。けれどこの僕には珍しく暖色で書き留めたいひかりが机をぼおと包むので、やはり此処は未だ地上だった。これは終わってゆく世界で、いつか海に漕ぎ出したぼろぼろの小舟は、先頭を波を踏んで歩いた馬のあとを追うようにじわりじわりと沈んでいった、馬のきれいなたてがみが塩水で固まった様を僕は見た。でもどうすることもでき

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イオ

イオ

都市を渡る星空間シャトル
始祖鳥の尾羽
僕はけふ十三に成りました
[nl057便をご利用の皆さま…]

海はとうに干上がり、人々はかなしみの余りステーション建設に勤しんだ。ひとつの球体と燻鼠色の長方形の胴体を持ったステーションは、他の星々に遜色ない出来映えで、TVショウでその様子が映されると皆毎日のようにそれを喜んだ。

(スムーズな乗降にご協力ください)
音を発さないアナウンスが響き渡ってーーー

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小舟に空が落ちたから

小舟に空が落ちたから

 小舟が浮かんでいる。
 行こうと思った。何処かへ行ってしまおうと思った。
 岸には葦と蒲が生え、小さな水草が点描のように留まっている。私はそこに立っていた。季節はいつなのか忘れてしまったけれど、こんなに風がびゅおうと吹くのだから多分冬で、私は置き去りなのだった。
 酷く喉が渇いた。声はもう出なかった。
 黒い鳥が群れをなして吼えながら私の遥か上を過ぎて行った。その声が聴こえなくなると、もう総ては

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灰色、退屈、日曜日

灰色、退屈、日曜日

 四階の部屋の窓を開ければ、外は広場だ。
 昔採石場があった山の近くに位置するこの街には、石造りの建物が多い。僕のアパートメントは木造だけれど、円形広場に面する殆どのビルヂングが石で出来た灰色の四角形だ。
 卵。
 朝ご飯にスクランブルエッグを作ろうと思っていた。不穏に白いその卵を左手のてのひらで握りしめる。
 今日は日曜日で、広場にはいつもより人が多い。なんだか、厭だな。
 静かにしろよ。
 ス

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名前と、それから

名前と、それから

 僕には名前がない。
 古い何処かの軍のコオトと、白いシャツ、目立たないやうに継ぎ当てしたズボンにこれも古いブーツ。伸びて目に掛かる髪。ノオトとペンと音の外れたギター。
 それが僕の外形を成す物だ。けれどそれは僕の総てでは無い。
 例えば、雨漏りの滴の音階を名前にしても良い。レシ、ド。
 例えば、君が眠る前の最後の言葉を名前にするのも素敵だ。アスハ。
 好きに呼んでくれて構わない。
 とにかく、僕

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四角形の部屋

四角形の部屋

 鉄錆色をしたカーテンは閉じたままだ。
 この部屋は、広すぎる工場地帯を通り過ぎてその工員と家族が住む団地群を抜けた先にある、地下室付きのアパートメントの一室で、僕は一年前から此処に居る。
 此処だけに居る。
 カーテンを開けないのだから光は差さない筈なのに、昼も夜も薄ぼんやりとした明るみがある。物の輪郭が少し見える。
 僕の貌は、鏡でも視えない。
 端が欠けたありふれたコップに水道から水を注ぐ。

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僕と君

僕と君

 無音。
 僕。
 それ、若しくは君。
 此処は大きなおおきな湖の畔に立つ灯台の一等高い部屋で、僕は窓際にぼおと座っていた。
 見ていた。
 部屋は灯台の上部の空間を仕切って、リノリウムを敷いただけの円形で、外に開く窓が一つある。
 窓には時折、梟の爺さんがやって来る。
「やあ、なにか美しいことは?」
それが口癖だ。広げると壁を覆い尽くしそうな羽根を持っていて、とても歳を取っている。
 それ以外は

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