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僕と君

 無音。
 僕。
 それ、若しくは君。
 此処は大きなおおきな湖の畔に立つ灯台の一等高い部屋で、僕は窓際にぼおと座っていた。
 見ていた。
 部屋は灯台の上部の空間を仕切って、リノリウムを敷いただけの円形で、外に開く窓が一つある。
 窓には時折、梟の爺さんがやって来る。
「やあ、なにか美しいことは?」
それが口癖だ。広げると壁を覆い尽くしそうな羽根を持っていて、とても歳を取っている。
 それ以外は、僕はいつだって独りだった。
 君。
 緑のリノリウムの床には、君が横たわっている。固い、冷たい緑色の上に。
「---どうして黙って居るの。」
問い掛ける。
 幾億光年待っても、返事は無い。君はそういう存在だ。すぐに手を触れられるのに、何にも触れられやしないんだ。
 君は美しかった。冬の枯れた草原みたいな髪をしてさ、目蓋を閉じて居るだなんて狡いよ。
 呼吸をする。それは難しいときもある。
 そういう事だったら君も判るだろう?
 灯台は昔、本当の海に立っていて、その頃は灯台守たちが世話をしていたと聞いた。
 今は、嘘の海。
 湖にはあまり人は来ない。小舟が偶にゆらと漂って居る。
「死の風景だ。」
呟く。
 死の島へ向かう舟だったなら、僕も幾分か乗りたいや。
 君はどうなのかな。
 季節は冬になっていた。灯台も、窓を閉めていても凍えるようだった。
 天の高いところ。
 其処に僕は居る。
 もっともっと、天の上にさ---。考えながら、君の前髪にそと触れた。睫毛にかかる長さの髪を少し分けた。閉じた目の睫毛は白色で、眠りを象徴しているかのようだった。
 君は何時迄も眠っている。
 僕は老いてゆく。そして此処にも居られなくなる。
 そのとき君は、僕を憶えているだろうか?その為なら、僕は何でもしようと思うんだ。
 窓は閉じているのに、冷たい風がササリと吹き抜けた。
 ノオトには君の姿のスケッチ。
 僕は挟んであった鉛筆を取った。それは削ったばかりで光るほど尖っていた。
 君の白い左腕に、鉛筆を立てゆっくりと沈めてゆく。
「痛いかな。痛くも無いんだろう。」
話しかけても答えは無い。
 鉛筆がそれ以上動かなくなると、僕は手を離して床に寝転んだ。
 君の隣に。
 白い腕には傷が残るだろう、それならば君は尚更美しいと僕は思って仕舞うんだ、許してとは言わないよ、でも君が悪いのだ、こんなにずっとずっと僕を独りにして居るんだからね---。
 音楽が聴きたかった。でも灯台は無音の儘だった。
 し、ん。
 君。
 僕、独り。

おたすけくださひな。