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水上におけるプロレスまとめ Vol.1

その言葉の意味通り、水上にリングが設置された状態のプロレス興行をまとめようと思います。
話の発端は、友人としていた「昔FMWでやってた神宮プールの水上機雷爆破良かったッスよねぇ」という雑談からです。このnoteで何度も紹介している「カテプロ」というプロレス・ポットキャストで、平成プロレスの振り返り特集を行っており、その中でFMWが行った水上リングに言及しておりまして、宴席で更に話題を呼んだ背景もあります。

神宮プール以前にも”洋上”プロレスとして、同じくFMWが海(港)の上にリングを設置して行った興行もあり、全女は更に以前にプールでやっていたな、と思い出した次第です。今回は水の上にリングを設置したプロレスってどこまで遡れるのか? その疑問を追いかけてみたわけです。
あ、一般知識としては何の役にも立ちません。断言します。しかしDDTが6.19すみだスポーツ健康センターで「プールプロレス」を発表するなど、水上のプロレスが少しばかりフィーチャーされそうなので、この小さな波に乗っかってみます。

まとめですから外部リンクや埋込が頻発します。ご了承ください。

すみだスポーツ健康センター大会

◆水着、もしくは着衣での観戦が可能です。ただし、水に濡れる可能性が大いにございます。その場合、弊社は一切の責任を負いかねますのでご注意ください。
◆スマートフォン、カメラ、携帯電話などでの撮影が可能です。同じく水に濡れる可能性が大いにございます。その場合、弊社は一切の責任を負いかねますのでご注意ください。
◆観戦の際は裸足でお願い致します。

路上プロレスが盛んなDDTですから、リングがなくても試合を十二分にこなしてしまう以上、プールの上にリングを設置するとは限りませんが。

すみだスポーツ健康センターの公式サイトでプールの写真を確認してもリングを設営するのはちょっと現実的ではないかな?といったところです。
繰り返しますが、今回はあくまで「水上リング」が実現したプロレスのまとめです。

2014、15年 琉球ドラゴンプロレスリング 読谷村残波ビーチ

近年において「水上プロレス」といえば琉球ドラゴンプロレスを置いて他にありません。しかも上記ツイート内の写真にあるような眩い情景です。沖縄ならではですねぇ、素晴らしい。琉ドラでは2014、2015年に開催されていたようです。

グルクンマスク選手のブログを見ると、選手の入場はジェットスキーで入ってくるみたいです。入場はプロレスの大いなる見せ場の一つですから、入場演出史上でも最高級の部類に入るのでは。

水上プロレスの歴史を紐解くに、海の上というのは珍しい部類に入るかと思います。プールと違って波もありますし、リングは鉄骨など塩害の被害が懸念される部位も多いですから、設営の難が容易に想像できます。なので実現していること自体がまた素晴らしいと思いませんか。

1997年3月10日、1998年3月16日、1999年3月22日 WCW [Monday Nitro] Club La Vela

97、98、99年と並んでいます。2001年のナイトロも同会場で行われ、WCW最後の興行として有名ですが、リング設置的には水上とは呼べないのでこちらは対象外です(プール横?)。
団体最大のPPV大会になった14回目のスターケードを大成功させ、WWFを大きく引き離し、栄華を極めた97年のWCW。その浮かれっぷりを象徴するように華やかな興行です(98年から傾き始めたとされる)。
水上リングの形状は、この後に紹介するFMW神宮プール同様、リングだけではなく場外マット部分も含まれています。入場ゲートから歩いてリングインできるよう、花道がリングに繋がっています。さすが絶頂期のWCWだけあって設営規模がちゃいますねぇ。

30年ぐらい前にやっていた高城プロレスの水上プロレス

だいぶ一気に年代が飛びます。この間になんかあったら私のTwitterまで教えてください。
高城プロレスとは、宮崎県都城市高城町商工会青年部員で構成された団体お笑い系アマチュアプロレス団体のことです。随分昔からやっているようで、近年復活を遂げてイオンモール等で開催しているようです。FBページがありましたのでご興味あるローカル好きな方はどうぞおdigりください。

約30年前に宮崎県高城町で開催された「水上プロレス」の動画です。

とありますから、90年代に開催されたと予測されます。もしかしたら下記に紹介するFMWより以前にやっていたかも知れませんが、動画タイトルにもある「世界初」は大嘘です(公式で謳ったものではないかも知れません)。遥か以前より行われているアーカイブを更に続けていきましょう。
しかしこの動画の試合、UMKテレビ宮崎で特集されてるんですから地元では有名なのでは。

1994年9月25日 FMW 神宮プール大会

はいこれ、私的にベスト興行を歴代あげていくなら上位にランクインさせたい興行なんですよ。実際、観には行けていないのですが、FMWが発売していた「炎夏縦断」というVHSビデオを通販か会場かチャンピオンか覚えていませんが、とにかく買ってテープが擦り切れるほど繰り返し見ました。「テープが擦り切れるほど」って現代でほとんど使わない表現になってきたから口に出して言いたいですよね。
大仁田厚曰く「おもちゃ箱をひっくり返したようなプロレス」なのがFMWでした。その言葉に偽りはなく、前衛的な仕掛けの数々に我々90'sプヲタは狂喜乱舞していたわけです。あの有吉弘行ですら「どうかしていた(@人志松本のすべらない話ザ・ゴールデン)」と前置きは入れつつも心酔していたぐらいの時代でしょう。その仕掛けの一つで大成功を収めたのが「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」です。

こちらの大会では「ノーロープ有刺鉄線電流爆破」に加え、リングをプールに浮かべて「水上機雷爆破」が企画されています。リングは四方あり、その二面がノーロープ有刺鉄線電流爆破、残りの二面にはロープも有刺鉄線もなく、リング下に足場があって、そこから落ちたら水上機雷爆破するといった形式です。一体いくらかかってんでしょうか。
入場はボートに選手が乗ってリングインします。琉ドラのジェットスキーもさぞ爽快だったでしょうが、こちらの入場も味があって見たら忘れられません。
6人タッグマッチ(大仁田&雁之助&新山 vs ポーゴ&グラジ&保坂)だったので、正式な名称は「ノーロープ有刺鉄線電流水上機雷爆破ダブルヘル6人タッグマッチ」という非常に長々しいもの。「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」より9文字も長いんですから「大仁田>稲葉」ということがここに証明されました。

上記はこの試合に出場していた雁之助元選手のツイート。書いてあるように深いプールで、100キロ以上ある選手たちが勢い良く落下しますから、それだけで結構な迫力。追い打ちをかけるように高々と水上機雷が爆破される仕掛けのデカさ。ちなみに雁之助選手は、足場にいたヒール側の大将格であるポーゴ選手に身投げのようなボディアタックを敢行し、正に神宮心中、両者落下&爆破で師匠・大仁田につなぎました。自爆表現史上最高の自爆でしょうこれ。その後すぐに大仁田が残った保坂を有刺鉄線にハンマースルーして電流爆破、間髪入れずTFPBで3カウントの大合唱で幕。ポーゴのビッグファイヤーを逃れてからここまでのリズムがメッチャいい、ノレる。この頃の大仁田のリズム感は冴えまくってます。

いかん、つい熱くなって長々書いてしまった。以下まだまだ続きます。

1990年7月22日 FMW 日南市油津港洋上特設リング大会

同じくFMWの興行です。いわゆる洋上のプロレスになりますでしょうか。木で浮かんでるのか(有力説)杭でも打ってあるのか、この辺はまだ調査中です。だから「Vol.1」としました。細かい部分が発覚次第、続編を書ければと思います。

先にも書いたよう、海上リングは珍しいのです。「海の上にリングがある」状態ってのは、もしかしたらホントに世界初かも知れません(現在の調査段階では見当たらない)。

上記ツイート内画像で海上に浮かんでいるのがよく分かります。沖からロープのようなものが見えますが、こちらは流されないために引いてあると思われます。
この大会のアイディアを元に神宮プールに繋がったのかも知れません。
ちなみにこの大会のメイン後の13人参加バトルロイヤルではリッキー・フジ選手が優勝しています。キャメルクラッチという渋いフィニッシュで。

1987年 全日本女子プロレス 秩父リングスターフィールド(女子プロレスタウン)

87年、いよいよ和暦では昭和に入ります。

これは上記のコラムを読んでいただいた方が分かりいいかと思います。
水上のプロレスの歴史よりも秩父リングスターフィールドの歴史の方に興味を持っていかれること間違いありませんが。
リンク先を読むのが面倒な人のためにザックリ説明しますと、秩父リングスターフィールド(当時はまだ女子プロレスタウンという名称だったらしい)とは、アクセス最悪の山奥にあり、ログハウスなどがある全女が保有していた宿泊施設のこと。一般の人も使用できるとのことですが、利用客はほとんどいなくて、基本的にはミゼットレスラーたちの住居且つ選手が合宿に使用していたらしいです。
記事を読むとリングの一面側がプールに面していることが分かります。落ちた選手の表情の微笑みを見ると、おそらくややバラエティっぽい試合だったのではと予測されます。しかしこれも水上の歴史においては重要な試合です。

ちなみに全女解散後はこの施設も閉鎖され、現在では立ち入り禁止になっているとか。上記ツイートでGoogleアースで跡地が確認できます。廃墟!

年数謎、たぶんフランス

あーあ、こんなの見つけてしまった。タイトルに「French」とあるのでおそらくフランスのプロモーションと思われます。最後クロールで泳いで悔しがってるシーンがハイライト。
唯一収穫があるとすれば、リングが浮かんでのが分かりやすい映像ってところでしょうか。
カラー映像だからそこまでバカ古い試合でもないとは思うのですが。誰か情報をお持ちの方、連絡ください涙。

【蛇足】水中プロレスを発見

完全に蛇足です。いつ頃の映像かも全然分かりません。
一応プール上のジャンプ台でレスリングしてます。落下後、まさかの「水中プロレス」が行われます。なんだこりゃ。
しかしこんなのがあるんだから、どこで何が行われていてもおかしくはないということです。
最後はこれまたまさかの踏み付け式ダチョウ倶楽部。

1958年5月31日 ※全日本プロレス協会 大阪・扇町プール

もちろん今の全日本プロレスとは関係なく、馬場さん時代の全日本プロレスとも関係ない「全日本プロレス"協会"」です。力道山率いる日本プロレスよりも先に旗揚げされたプロレス団体であり、こちらを日本におけるプロレス興行の始まりとされる説もあるぐらいです(NHK大阪放送局の試験放送期間中ながらテレビ放映もこちらが初とされている)。役員全員が関西系組織のヤクザで、興行は主に大阪府立体育会館というナニワのプロレス団体であります。

ただ全日本プロレス協会はこの大会より前の1957年9月で崩壊したとありますから、山口利夫の引退を機に特別興行が打たれたということでしょう。「※」はその意です。だからなのか、柔道の後輩である木村政彦がラインナップされています。協賛には力道山率いる「日本プロレス協会」の名も。日本のプロレス界が一時的ではあるものの、一つにまとまった格好です。その一つにまとまった印となる興行が水上リングのプロレスとはまた興味深いところです。
よく日本プロレスから新日、全日と分派したと歴史の原点として語られますが、正確には最初っから一つではなかったんです。山口利夫率いる全日本プロレス協会、そして木村政彦率いる国際プロレス団(国際プロレスではない)ができて、大同山又道が設立した東亜プロレスもあった。

山口、木村、力道山辺りをdigるんだったら「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」をまず読みましょう。漫画版もありますよ。

写真見りゃ一発ですね。正にこういうことです。

実は水上プロレスは、日本でのプロレスが発足より当初は珍しくないものだったのです。以下でもこちらでの興行が続きます。というのも、日本プロレスは力道山と役員に名を連ねる経済界の大物たちが、全日本プロレス協会は山口利夫と関西系大物ヤクザの面々が、アメリカから日本にプロレスを輸入してこようと大金を投入して大きな仕掛けを企てていますから、半端な会場では開催されず、千人規模ではなく万を越せる動員が可能な会場での開催が必要とされていました。
この扇町プールもその一つで、ナニワのスポーツのメッカとして著名な施設であり、2万2千人の動員が可能な大箱の会場だったわけです。「最も観客収容数の多いプール」としてギネスにも載ったようです。

大阪・扇町プール

この「テーズvs力道山」の映像を見ると、水上リングではない仕様のようですのでこちらは水上プロレスの歴史には入らないかと思われます。プール一面を板かなんかで閉じてるのかな。扇町プール(旧大阪プール)ではボクシングやバレーボールなんかも行われていますから、他のスポーツでも使用できる作りになっていたと考えられます。
ちなみにこの日の興行は3万6千人を集め、昭和最高観客動員試合として記録されています。しかし前述したように箱のサイズは2万2千なので、(当時あったか知らんけど)消防法シカトして詰めに詰めたとしても、3万6千は盛り過ぎでしょう。この辺も「昭和の良さ」と言ってしまえばそれまでですので、是非を問わず肯定したいと思います。
更にちなみに、この6日前の後楽園球場でも「テーズvs力道山」が行われています。もちろんフルハウス。はちきれんばかりのプロレス&力道山ブームですねぇ。

1955年7月 全日本プロレス協会 大阪プール?

斎藤文彦著「昭和プロレス正史」で記述がありました。大阪プールなのか大阪扇町プールなのか気になるところです。
こちらのページから引用させてもらいますと

*その後力道山対テーズ、矢尾板対ペレス、原水禁大会などが行われたとされる会場は大阪プールという名前の、扇町プールとは別のプールだったことが判明。

ということなので、どっちか分からなくなりがちなんですよね。当時の扇町プールは、wikiで見ると「旧・大阪プール」という扱いになっていたり。
ただこれより一年前が重要なので、こちらは軽く触れるのみにしておきます。

全日本プロレス協会 大阪・扇町プール?

「扇町プール?」とクエスチョンを付けたのは、「大阪プール」との記述の記事しか見つけられなかったからです。ツイート内にもありますが、いにしえの産経新聞大阪版に掲載されているようなので、大阪に行った際にでも国会図書館的なところを訪ねて確認してみようかと思います。写真からして扇町プールと思われますけどね。

またしても全日本プロレス協会の興行です。58年に行われた山口利夫の引退試合での水上リングは、全日本プロレス協会のお家芸ということが分かります。だから山口の引退興行は全日本プロレス協会らしい形式で送り出したと言えるでしょう。
水上リングだったり、日本初の女子レスラーと言われる猪狩定子率いる女子プロレスを取り入れたり、後の国際プロレスやFMWを感じさせる、なんでもアリなインディーっぽいけど始祖的な存在、それが全日本プロレス協会です。

現時点でしっかり確認できた水上リングが設置された日本のプロレスはこちらが最古と思われます。
しかしわずか10日前の9月16日に日本プロレスが「浜松市営プール」で興行を打った記録があります。これが水上リングでなければ証明が取れそう、といった現段階です。引き続き調査してみます。

1950年、52年 Seattle Aquatheater(シアトル・アクアシアター)

以下の引用文は上記の動画のコメント欄より抜粋したものです。

This match featuring Gorgeous George wrestling Masked Marvel aka Buddy Knox at Seattle's Aqua Theater was located on Green Lake. The date was August 28, 1952, this was not the first time the Aqua Theater was used for wrestling. It was a common Summer location dating back to 1950 when promoter Bob Murray held his first event there on August 11, 1950.

マスクド・マーヴェルだとされ、シアトルのアクアシアターという会場で行われているっぽいです。ただし50年に第一となる興行が打たれたとも。

ゴージャス・ジョージはテレビ放送黎明期、つまりプロレスがテレビのキラーコンテンツだった頃に頭角を現したこともあって、プロレス界のみならず国民的スターの一人。テレビと共にその名とプロレスを高名にしたのだから、日本版のゴージャス・ジョージが力道山と言えるのでは。最も力道山はプロモーター的な側面も特筆されますが。
アメリカのプロレスブームは50年代に終わったとされますから、黄金期の40年代にスターへと駆け上がったゴージャス・ジョージもまだまだ全盛期と言って良いのではないでしょうか。典型的なヒールのように見えますが、その典型のパイオニアと言えるのでは。
主に西海岸で人気を博したとのことなので、シアトルもやや北ですが西ですね。ちなみに「GORGEOUS GEORGE'S」というレストランがシアトルにあるらしいので、訪れた際には行ってみたい場所の一つです。

ここからは人から聞いてまだ掘り下げていませんが、アメリカにはこの手のマリーナスタジアムといった水辺の会場が多かったらしい。ということは40~50年辺りに水上リングの始まりが眠ってる可能性がある、と考えられます。

日本に結び付けて考えてみましょう。
木村政彦、山口利夫、力道山、そしてグレート東郷に連れられて遠藤幸吉と大山倍達らは日本にプロレスを輸入する以前から、アメリカで転戦を繰り返しています。特に木村と山口は、ラバーメン樋上をマネージャーとして帯同し、1952年3月にロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムのプロレス興行に参戦、続けて同年にサンフランシスコ(ここで遠藤&大山と一時合流)で17試合をこなし、木村は7月下旬まで滞在していたとされるので、そこそこの期間をサーキットしていたことになる。木村&山口 vs シャープ兄弟も実現させている。
木村はともかく、後に全日本プロレス協会を立ち上げる山口が米マットの情勢を知ったことが重要で、この期間を中心に見聞を深めたに違いない。プロレスの興行では女子の試合も組まれることはオリンピック・オーディトリアムで目の当たりにしているはずだし、ゴージャス・ジョージ全盛後期を知ってプロレス興行を多角的に理解し、水上リングで行うプロレスを観てはいなくとも耳に入っている可能性は高い。
ちなみに力道山は同じく52年の6月にアメリカ本土入りしている。こちらは約一年の滞在で300試合も行ったとか。力道山が誰よりも本気でプロレスを吸収しようという決意が感じ取れる一つです。
力道山が我慢強く体得して粘り強く発足させた組織と共に作り上げたプロレス観が今日まで続いているのは周知の事実ですが、一方で見方によってはズル賢く早い者勝ちしようと企み、あの手この手で集客を試みた山口利夫のプロレス観もまた、掘り下げればこのアクアシアターで行われたような水上プロレスからFMWの神宮プールまで繋がりは見えてとれる気がします。

【蛇足】1950年前後? オクトパスレスリング

蛇足どころか無関係レベルで恐縮です。昔々、Octopus wrestlingというダイバーとタコの闘いが競技になっていたようでして、無理やり紹介してみました。大きいタコが取れたらチャンピオン的な感じだそうです(雑)。

1936年「FLORIDA WATER CARNIVAL」

なんと1936年まで遡ってしまいました。フロリダ・ウォーター・カーニバルとかいうお祭りで、確かに水上レスリングが見受けられました。
ただロープもないし、"プロ"レスと呼べるシロモノなのかは疑問が残るところですよね。
映像最後のよく分からない棒から落ちる模様が実に低俗で最高です。

Vol.1はこれにてギブアップ

自力&周りの他力を合わせてdigれる限りはやってみたつもりですが、おそらくまだ埋もれていると思いますし、各興行のエピソードも掘れるでしょう。納得いく完璧な状態での記事アップを、と思いもしましたが、大体「水上プロレス」というアマチュアプロレスのプロモーションがある(水上さんという方がやっている)から検索しづらいったらないですし、やたら探しづらかったテーマでした。
1936年のフロリダ・ウォーター・カーニバルのような催しの一環としてのレスリングではなく、シアトル・アクアシアターで行われていたようなプロレスが他にも見つかると嬉しいので、というか胸を張って水上のプロレスといえるので、40~50年代のアメプロを始めとして、54年の日本のプロレス、そしてその他海外ですね。フランスのやつみたいに出所がクソムズイ映像も出てきちゃうことでしょう。どうやって解析すんだあんなの。

ご意見、ご助言はTwitterまで貰えたら嬉しいです。

これらをまとめるに友人であるプロレス有識者の方々にご協力を承りました。ここに感謝したいと思います。そして、どうか現代に水上プロレスが復活してもらうことを祈って、続く。

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