緑の中に村が点在する、トスカーナの田舎。その2。 *エノガストロノミア&アトリエ n.6*
『フード&デザイン』をテーマに、アトリエや工房を見学しつつ、「ワインを飲みながら、食事も楽しみましょう!」という、あちらも、こちらも、どちらも楽しそうなイベント。
前回に引き続き、ムジェッロ地方をご案内します。緑のなかに村が点在し、緑のなかで動物がのんびりと草を食む。
まるで時が止まったような、ムジェッロ地方へようこそ。
サンタアガタ村 Santa Agata
聖女アガタ。250年頃に殉教した、シシリアはカターニア州の守護聖人。拷問で胸をえぐられ殉教したので、お盆の上に載っているは、彼女の胸です。恐ろしいぃぃ。
乳がんの守護聖人なのは理解できるけど、胸の形からなのか、鐘(かね)職人やパン屋の守護聖人でもあるそうです。
さて、彼女の名前の村が、ムジェッロ地方にあります。前回案内した、スカルペリアよりも、もっと小さい。
この小さな村には、宝石箱のように美しい教会があります。ファサードはいたってシンプル。
984年の文献にすでに記録されている教会。が、その以前から存在していたらしい。蔦のからんだような、ロマネスク様式の彫刻。
聖女アガタの絵。痛いイタイ。
ひとしきり雨が降ったあとの、一筋の太陽の光が、マリア様に捧げた花に照らされていました。自然の演出はいつも美しい。
ひとつの空間に、いくつもの世紀が折り重なる。村とともに生きる教会。
ここは、洗礼を受ける場所。サンタアガタ村の人たちは、はるか遠い1000年前から、現在に至るまで、ここで、洗礼を受けているのでしょう。
カラーで描かれたフレスコ画や、絵画、ダイナミックな大理石の額縁があるかと思えば、このようなプリミティブな彫刻も。
1000年から1200年にかけてのロマネスク様式では、まだ、天国と地獄は主流ではなく、幾何学模様とか、動物とか、自然のモチーフがメインで装飾されていた時代。
だから、なのか、ロマネスク様式の装飾を見るたびに、厳しさよりも、温かみを感じることが多い。
ボスコ・アイ・フラーティ Bosco ai Frati
新緑のなかに、ひっそり佇む教会。
「ボスコ・アイ・フラーティ」という名の教会。
ボスコは森。フラーティは修道士。「修道士のための森」教会。
建立は7世紀頃。数年前に起きた地震でダメージを受けたテラスの一部は、現在修復中。季節が温かくなると、お祈りは、オープンスペースにて。
外に目を向けると、緑の中庭が広がり、風の音、鳥のさえずり、緑の香り。この教会における、この言葉。そのままです。
井戸は、人里離れたコミュニティでは、貴重な存在。いまは水道があるから便利だけど。それにしても、立派な井戸だ。
それもそのはず。
1212年に、アッシジのフランチェスコ聖人がこの教会を訪れ、1237年に、フランチェスコ修道会の第七代総会長で、スコラ哲学者でもあった、ボナベントゥーラ聖人が訪れた教会。
いまでも、この二人の聖人が利用した部屋が残されています。
窓が大きく、部屋が広めなのは、大切な客人用。普通の修道僧の部屋は、窓も部屋も小さめ。
聖人フランチェスコは、客人用を遠慮して、普通の部屋を所望したかもしれないけど。
1本の廊下の左右に部屋が並び、偉い修道僧も、下っ端の修道僧も、同じ空間を共有する僧坊。
お台所もありますよ。修道僧が、交代で料理担当。
前回も登場した、メディチ家。最初に頭角を表す老コジモが、故郷であるムジェッロ地方に別荘を建てるために、広大な土地を購入。
老朽化していたボスコ・アイ・フラーティも、メディチ家の所有地に含まれ、教会の黄金期を迎えます。
現在は、フィレンツェのサンマルコ美術館に展示されている、この絵画。タイトルも「ボスコ・アイ・フラーティの祭壇画」。もとは、この教会に置いてありました。
メディチ家の老コジモが、画僧ベアトアンジェリコに依頼して描かせた作品。
左手の茶色の修道服を着ている二人は、聖フランチェスコと、聖ボナヴェントゥーラ。
右手の赤い帽子の二人は、双子のお医者さんの聖人、コスマス(コジモ)&ダミアヌス(ダミアーノ)聖人。メディチ家の守護聖人です。
この双子の聖人が描かれていたら100%メディチ家が依頼したもの。メディチはメディスン。薬や医者を意味するので、この双子の医者聖人が守護聖人なんです。
ボスコ・アイ・フラーティ教会を大改築したのは、ミケロッツォという建築家。老コジモの右腕となり、フィレンツェのサンマルコ教会も改築し、メディチ家のムジェッロ地方の別荘カファジョーロや、彼らのフィレンツェの私邸メディチ・リッカルディ家を建築したのも彼。
誰よりも先駆けて、本の収集家だった老コジモ。この教会にも図書館を作らせています。
時を経て、1800年後期から1900年初期にかけて、製作されたこの作品。テラコッタ製。当時のこの教会の司教が作ったものです。
陶芸家であり、アーティストでもあった、エドアルド・ロッシ司祭は、美術をちゃんと勉強したことがなく、まったくのひとりで、この「最後の晩餐」を作り上げたそうです。
すごいですねー。
歴史がいっぱい詰まっていますねー。
画僧ベアトアンジェリコの名が出てきましたが、実は、彼は、ヴィッキオ出身なんですよ。
って、だれ?
代表作品は、こちら。フィレンツェのサンマルコ美術館の壁に描かれているフレスコ画です。
フィレンツェのサンマルコ修道院は、さきほど案内した通り、老コジモの依頼によりミケロッツォが改築したところ。
ベアトアンジェリコは、ムジェッロ地方ヴィッキオ出身。サンマルコ修道院に呼び寄せられ、画僧として活躍。ボスコ・アイ・フラーティ教会のために、絵を描いたのも、その流れ。
1枚の絵画。1つの教会。それぞれは単体だけど、それぞれの物語を紐解くと、繋がるんです。点と点が線で結びつくようで、面白いですよねー。
ところで、ヴィッキオってどこでしたっけ?
ムジェッロ風ラーメンを食べ、スクオーラ・ディフーザや、革細工のパッリーニ工房を訪れた、あの、ヴィッキオです。
ヴィッキオ Vicchio
ヴィッキオ村のはずれに、散歩に最適な池があり、ここから眺める村が、とても美しい。
後ろを振り向くと、畑。
どこかで、美しいところで生まれ育つと、感性が磨かれると読んだことがあるけど、ヴィッキオ村もそうなのかもしれない。
ヴィッキオが生んだもう一人の偉大な画家。ジョット。
有名なところでは、アッシジの聖フランチェスコ教会や、パドヴァのスクロヴェーニ教会に描いたフレスコ画。
フィレンツェの大聖堂(ドゥオーモ)の隣に建つ鐘楼も、彼の設計。ゆえに、いまも「ジョットの鐘楼」と呼ばれています。
わたしのnoteでも、ジョットを案内しているので、興味のある方は、こちらから、ご覧ください。
ベアトアンジェリコの生家は残されていないけど、ジョットのはこちら。
なんか、とっても大きいんですけど。
ここにあった。というのは事実かもしれないけど、建て直しは、してそうです。
羊飼いで、羊を石版に描いていたところ、師匠になるチマブエが才能を見出し、フィレンツェの自分の工房に弟子入りさせたというエピソードが残されています。
木製のジョット。3頭身だ。
丘の高台にあり、眺めがとても良いのです。
羊飼いだった、ジョット。いまでも、ムジェッロ地方は、乳業がさかん。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
次回は、
羊さんと、牛さんに
会いに行きます。
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