Ozio Piccolo Studio Tessile
シモーネのトレードマークである、大きな耳ピアス。腕にあるタトゥー。高校を中退して、アウサイダー的な生き方をしてきて、いまがあるシモーネ。
履歴書だけで判断したら、彼の本来の姿とはまったく異なるイメージを想像するかもしれません。履歴書の代わりに、彼の織った生地に触れれば、彼の繊細な感受性を感じ取れるかもしれません。
アトリエに置かれている、ひとつひとつのオブジェや、イタリア中から探したアンティック家具も、彼の感性を表
Ozio Piccolo Studio Tessile
フィレンツェを州都とするトスカーナ州には、なだらかな丘陵に、葡萄畑やオリーブ畑が広がり、ところどころに、中世時代の雰囲気を残す、石積みで建てられた美しい村が点在します。
今回お話を伺ってる、シモーネさんの、小さな織物スタジオ「オツィオ Ozio」は、そんな自然に囲まれた中世時代の建物にあります。ずっと昔は、牛や馬を飼っていた牛舎でした。餌を食べる場所などが、そのまま残されていて、それが素敵なインテリアになっています。
糸杉に響く、とんからり。若き機織り職人の物語 - n.1
Ozio Piccolo Studio Tessile
シモーネ・ファッリ。1988年生まれ。
職業、機織り師。
彼の活動の拠点は、
自然に囲まれたトスカーナ地方の一角。
Ozio Piccolo Studio Tessile
小さな織物スタジオ「オツィオ Ozio」が
彼のアトリエです。
彼の作品と初めて出会ったのは、21年のAritiginato e Palazzo。柔らそうな布の感触や、優しい風合いに目を奪われたのを覚えています。その後も、展示会や、青空市場で
L'Opificio delle Pietre Dure - alluvione
貴石工房が作られた由来は、シリーズ第3回目でご案内していますが、なぜ「貴石」という名前を頭に掲げ、多種多様な作品を修復するようになったのでしょうか。
貴石修復所の歴史の紐を解いていきましょう。
貴石工房の誕生と危機貴石工房の誕生は1588年。貴石を嵌め合わせるコンメッソ・フィオレンティーノ、日本語でフィレンツェ風モザイクと呼ばれる技法で、メディチ家礼拝堂を装飾する専門工房です。
メディチ
秘密のアート基地、貴石修復所 *n.4
L'Opificio delle Pietre Dure - via Alfani Restauro
貴石・石彫刻・ブロンズ・陶器磁器
修復所の母屋では、前回案内した貴石類以外に、ブロンズ製のもの、石に関わるもの、陶器や磁器類と、分野ごとに部屋が区切られています。
ブロンズの修復ドナテッロ
ブロンズ部門に訪れてみましょう。
今年の春夏にフィレンツェで開催されたドナテッロ展。初期ルネッサンス時代に活躍した芸術家で、ミケランジェロに多大なる影響を与えています。
ドナテッ
秘密のアート基地、貴石修復所 *n.3 -commesso fiorentino
L'Opificio delle Pietre Dure - Museo Opificio delle Pietre Dure
前回までは、バッソ要塞にある、絵画や木製彫刻の修復所へ訪れていましたが、今回は母屋である、フィレンツェ中心街にある修復所へ移動します。
正式名は、L'Opificio delle Pietre Dure。貴石修復所。そもそも、どうして「貴石」という名が頭についているのか。
その理由を知るには、500年前へ遡らなければなりません。
礼拝堂と石の