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職人のモノづくり

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ときに、生活とは無関係の無用の用で、遊びの世界かもしれない。 それなのに? それだから? より美しく、心をこめて、魂をこめて、生み出されるモノと、人との関係に焦点を当てています。
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アーティストは、いつ誕生したの?

ルネッサンス時代のマルチな天才、 レオナルドダヴィンチ。 彼の功績は多岐に渡りますが、 工房の世界に一石を投じたのも レオナルド。 レオナルド以前にも、 絵を描かせれば、 彫刻を彫らせれば、 建築を建てさせれば、 素晴らしい腕を発揮する人たちがたくさんいて、 依頼人が、彼らや、彼らの 所属していた工房を指名して、 製作を依頼していた時代。 ただ、 彼らがどんなに腕が良かろうと 「工房の職人」というカテゴリーから 脱することはありませんでした。 ここで登場するのが、

絵画と額縁の関係

ご訪問頂いた方に質問です。 「絵を見るとき、額縁も見ますか?」 ヨーロッパで絵を鑑賞するとき、 絵の迫力に勝るとも劣らない立派な額縁が 中心の絵を支えていたりします。 額縁って、単純に木枠。 たかが木枠、されど木枠。 壁に直接描くフレスコ画から、 板絵に変わったのが1300年代。 それ以降、 額縁製作は工房の重要な仕事の1つになります。 板絵をそのまま飾るのは味気ない。 板絵を守る木枠が欲しい。 旅路には持ち運べるようにしたい。 1300年代は ゴシック教会の縮小バ

中世時代の工房風景

工房は、イタリア語でボッテガ(Bottega)と呼びます。ボッテガベネタは「ベネト州(ベニスがあるところ)にある工房」という意味。ボッテガベネタの商品は、職人技が光るものが多く、ベネト州で設立した会社なので、まさに!というネーミング。 18世紀半ばから19世紀にかけて、イギリスで産業革命が興り、大量生産の道へと歩むようになるけど、それまでは、すべて手作り。職人が作る一点ものばかり。 産業革命が起こる前の「工房」は、モノをつくって、それを店頭で販売するスタイル。商業ベースな

レトロでかわいい小物を、ひとつづつ作っています。

ジュリアーノさんの工房へようこそフィレンツェの対岸、 アルノ川を渡った先にある地区には、 古き良きフィレンツェの雰囲気が残されている。 フィレンツェ中心街とは時間の流れが違う、 ゆったりまったり フィレンツェの生活地区。 この一角にある 歴史ある重厚な建物の呼び鈴を押すと ガーっと重い音がして、扉が開く。 60年代の空間が広がり、 匂いも、音も、見るものも、 外とは別世界。 正式名は、 チェッキカルロ・ディ・リッキジュリアーノ CECCHI CARLO DI RICC

世界一を誇る、世界で一番の自分たちの寺院を作るんだ!

マリア様に捧げたれた、 フィレンツェの大聖堂。 サンタマリア・デル・フィオーレ。 花の聖母大聖堂。 1296年に着工され、 正面の部分が一度取り払われ、 空白の時間を経て、 ようやく完成したのが 1887年。 その間、591年。 完成から現在まで134年。 建設途中を見てきた人たちの方が、 完成後の姿を見ている私たちより ぜんぜん多い。 まるでサグラダファミリアのようだが、 こちらは1882年に着工し、 2030年前には完成予定。 もちろん約6世紀の間、 中断して

時のない絵画

画家としてのミケランジェロといえば、ローマのバチカン市国内にあるシスティーナ礼拝堂のフレスコ画が代表作。 実はフィレンツェに暮らしていた時に、1枚の絵画を出がけています。ウフィツィ美術館の所蔵作品である、トンドドーニがそれ。 写真:Google Arts & Culture より この絵を見た印象、どうですか? 鮮やかな色、堂々とした人物像、ダイナミックな構成。絵だけでも迫力があるのに、絵に負けない、というか、絵に匹敵する、豪華な額縁。 中央にキリスト、左右には聖人

炎に生きるオトコたちの匠

2年に1回開催される、ヨーロッパ鍛冶職人芸術祭。今年24回目。48年間も続いてる、息の長いイベント。初めて知り、行き、見てきた。 着いたのはお昼頃。鳥の鳴き声と川のせせらぎの音で、心は癒されるけど、鍛冶屋独特の、鉄を打つ音、カンカン、コンコン、カンカンが聞こえない。 誰もいない静寂な鍛冶場や街は、一瞬にして人類が消滅したような、シュールな世界。 しばらく歩いて、やっとわかった。職人達は方々へランチに出かけ、鍛冶場は、もぬけの殻状態だったのだ。 いいねえ、このユルさ。

3歳のとき彫ることに惚れ込んだ、フィレンツェの若き額縁職人。彼の想う額縁とは?

修復士トンマーゾさんは若き21歳。 絵画と彫刻の修復専科に通いながら、祖父の代から続く工房で仕事をしています。 ダビデ像を展示しているアカデミア美術館の近くに、気をつけないと見過ごしてしまう、貴石博物館(Opificio delle pietre dure) があります。 博物館の奥に続く中庭を抜けると、芸術修復分野の世界的リーダーである修復工房があり、ウフィツィ美術館を始め、世界の名だたる美術館所有の修復を行なっているところです。 修復工房には、併設された専門学校が

イタリアの伊達男が着こなす、毛玉が特徴のカゼンティーノ生地。

セーターを着ているうちに、毛が絡まって毛玉ができてしまう、この毛玉を「あえて」作る生地が、イタリアに存在します。 フィレンツェからカゼンティーノ地区まで、車で2時間弱かかる。直線距離にすれば、きっと40分くらい。トンネルが開通してないので、山と谷を越えなければならず、トスカーナ州の秘境。 というと、地区の人々に失礼かもしれないけど、はあ〜〜やっと着いた。と、車から降りて背筋を伸ばしたくなる感じ。 カゼンティーノ地区には、山があり、川があり、羊さんもいる。 山では、生地

名門コルシーニ家のプライベート庭園で催される職人展示会- Artigianato Palazzo :前編

今年で27回目。いつもは5月だけど、2020年と2021年は、9月にづらして開催。 庭園での開催なので、屋外ということもあるけど、延期やキャンセルせざるをえないこの状況下で、開催すること自体が、すごい。 展示会を決行するにあたり、いつもの倍のエネルギーが必要だったのではないかしら。コルシーニ家の真剣さ、集まった職人の「想い」に、心からの敬意を表します。 今年は庭園のほかに、屋敷の一部も開放しており、規模が大きくなっていました。2時間くらいで見終わるだろうと目論んでいたの

名門コルシーニ家のプライベート庭園で催される職人展示会- Artigianato Palazzo :後編

今回も、前回に引き続き職人展示会の様子をご案内します。後編です。 出展された職人さんたち訪問初参加であり、今回の展示会の王子様(主人公)は、フィレンツェ郊外はペッシャ街にある、製紙会社「エンリコ・マニャーニ・ペッシャ(Enrico Magnani Pescia」。 1481年創業の、一度は廃墟化した製紙工場を、数年かけて改装し、よやく完成。今回のコルシーニ職人展示会が、初仕事。スタッフが、全員若い! こちらは紙を漉いている動画です。 植物繊維ではなく、コットンを使います

カッラーラ山は、宝の山よ。

フィレンツェから高速道路に乗り、海沿いに向かって行くと、夏でも真っ白い山々が現れます。これが、カッラーラ山。 前回案内したサンミニアートアルモンテ教会の白い部分も、ルネッサンス時代を代表するフィレンツェの大聖堂の白い部分も、ミケランジェロ作のダヴィデ像も、ぜーんぶ、カッラーラの大理石。 いざ、カッラーラ山へ何トンもある大きな塊の大理石を乗せたトラックが、行き交うカッラーラ街。すれ違うだけで、迫力。採石場に行く道は何本もあり、まるで迷路のよう。 カッラーラ山の大理石は、世

聖なる石の街に、恋する芸術家たち

大理石シリーズ最終編3部目です。 カッラーラ街から30キロほど海沿いに南下したところ。その名を「聖なる石の街」、イタリア語で「ピエトラサンタ」と言う。「大」をいくつ付けても足りないほど大好きなところ。 街名から察するように、ここも、やっぱり大理石とともに生活している街。工房があり、博物館があり、芸術家も、住んでいる。 この街に恋し移り住んだ代表的な芸術家に、コロンビア出身のフェルナンド・ボテロがいます。 ポテっと小太りの可愛らしい絵や彫刻が特徴。メインストリートに面す

モノづくりは、1つ1つの工程に意味があり、1つ1つの時間を持つんだよ。針も糸も使わずにつくる、哲学職人シモーネの革工房。

イタリアを旅して、革製品のお店に入ると、コロンと手の中に収まる、馬蹄形のつなぎ目のない小銭入れをみかける。 実はこれ、イタリア・メイドじゃなくて、「フィレンツェ・メイド」。 ***** 見た目はがっしりなのに、手に取ると、しっとり、しっくり、ほっこりする、革オンリーで作られた箱。 実はこれも、イタリア・メイドじゃなくて、「フィレンツェ・メイド」。 ***** どちらも、フィレンツェの革工房で生まれた伝統工芸。 フィレンツェの革事業の歴史は古い。1276年の革なめ