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カッラーラ山は、宝の山よ。

フィレンツェから高速道路に乗り、海沿いに向かって行くと、夏でも真っ白い山々が現れます。これが、カッラーラ山。

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前回案内したサンミニアートアルモンテ教会の白い部分も、ルネッサンス時代を代表するフィレンツェの大聖堂の白い部分も、ミケランジェロ作のダヴィデ像も、ぜーんぶ、カッラーラの大理石。

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いざ、カッラーラ山へ

何トンもある大きな塊の大理石を乗せたトラックが、行き交うカッラーラ街。すれ違うだけで、迫力。採石場に行く道は何本もあり、まるで迷路のよう。

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カッラーラ山の大理石は、世界でもっとも貴重だとされている、大理石のひとつ。190ほどの採石場があるらしいけど、現在は半分ほどの90の採石場から切り出され、豪邸の装飾や、芸術家の注文に応えています。

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カッラーラの大理石の一番の特徴は、なんといっても「白色」。粒が小さく、ギュっと詰まっていて、そこに薄く、グレーや黒の筋が入っています。

化学的には、炭酸カルシウムの比率が高いと白色になるらしい。近くで見ると、石灰の結晶が太陽の光に照らされ、クリスタルみたいにキラキラ光り、真珠みたいに美しい。

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ジュリアスシーザーの頃のローマ時代から採石され、建造物や彫刻に使われていたカッラーラの大理石。

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車輪という意味のルオータ。

石を切るにも、運ぶにも、道具を回転させることから、カッラーラ街のシンボルになっています。

紀元前から存在するこの大理石の山は、実は、戦後に採石量がぐっと増え、イタリアで最も読まれている新聞コリエレデッラセーラが、「過去20年間の採石量は、2000年以上に渡り採石された量を凌ぐ。」と発表したのは、数年前のこと。

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歴史的にも国の大切な遺産。物理的にも削りすぎると、山の高さや角度が変わり、外観を損なう以外にも、風の流れが変わり、気象にも影響を及ぼすようにもなります。そのため、現在は、一部を自然公園とし採石できないようにしています。

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山から石を切りだす人を、イタリア語でカヴァトーレ(Cavatore)と呼び、昔はいまのように機械なんてないから、つるはしで、カンカン、コンコン、打ちつける手作業。

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時間も膨大にかかり、
キツくて、ツラくて、キケンな仕事。

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いまはこんな便利な機械が。
ザクザク切っていきます。

古代ローマ時代からの手法が、なんと1800年代まで続いたそう。自然にできた断層に、木製の楔(くさび)を押し込み、大量の水を流し込むことで石を膨張させ、切り出します。

最終的に2メートルの厚さにするため、15〜20センチの溝を作り、そこに鉄製の楔(くさび)を押し込み、ひたすら打ち続けたそうです。気の遠くなるような作業。

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(参考資料:XXXIV Corso nazionale di 
formazione per insegnanti)

爆弾を仕掛けて採石もしてたようですが、1860年以降に新しい手法が生み出され、現在は、人工的に作られた合成ダイヤモンドを連ねたワイヤーを石に当て、水とともに切って行きます。

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(参考資料:XXXIV Corso nazionale di 
formazione per insegnanti)

やっと切り出せた石。次の難問は、山から降ろすこと。いまはトラックがあるけど、昔は、リッツァトゥーラ(Lizzatura)という方法しかなかった。

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ロープを持って山を登り、石の杭にロープをかけます。

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少しづつロープを緩めて行くことで、何トンもある重い大理石を、徐々に山から降ろしていきます。

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熟練の頭を先頭に12人がチームを組み、大理石の下に丸太を渡しながら、傾斜を下ろします。手綱をゆっくり引かないと、速度が上がって、瞬く間に大事故に繋がる危険な作業。当時、労災なんてなかったでしょうし、命がけの仕事。

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鉄道が開通し、山から降ろした大理石を、貨物列車に乗せて、近場の港まで運搬できるようになったのは、イタリアが統一した1800年代中頃。

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いまはトラックが大活躍。何トンもの大理石をホイホイ運べる。

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名の通り、ヘアピンカーブばかりの道。かなりの運転技術が必要だと思う。

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実際に現場を見るまでは、
 石の山と
 切り出された石材と
 美しい芸術作品が
なかなか頭の中で繋がらなかった。

その背後には、気の遠くなるような、人の力が必要だったんですね。

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カッラーラ山から眺める、ティレニア海。

世界を魅了する、建築物や彫刻も、古代ローマ時代からの、採石の勇者達がいたからこそ。彼らに心からの賞賛を。

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カッラーラ街とミケランジェロ

カッラーラ山の白い大理石を好んだのが、ミケランジェロ。採石場に足を運んでは、自分の目で探し、確認し、自分が選んだものだけで作品を作っていたミケランジェロ。

あ、でも例外的に、ダヴィデ像に使われた大理石は、すでにフィレンツェにゴロンと置かれてたものを使ってます。

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すぐに行って、すぐに見つかるものでなく、しかも、完璧主義で妥協を許さぬ、ミケランジェロ。じっくり腰を落ち着けて探すために、滞在していたカッラーラ街のお家がここ。

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ミケランジェロ・ブオナロッティが滞在した
アパートの上に石碑があります。

アパートの場所は、大聖堂広場のすぐ脇。

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さすがは大理石の街カッラーラの大聖堂。通常は、建物を建立するときは石積みで、最後にお化粧として大理石でカバーするけど、ここは、100%大理石で造られています。

大聖堂の真正面にあるアパート。住人は毎日、このバラ窓を見ているのか。見飽きるってことがなさそう。

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カッラーラ街の彫刻工房

カッラーラ街には、彫刻工房が何件かあります。こちらは現代の若手彫刻家達が活動する、カッラーラ彫刻協同組合。バチカン市国とも契約を結んでいるところからも、水準の高さが、うかがい知れる。

この工房にはコンピュータというものが存在しません。ということは、コンピュータでのモデリングなし。模型を作ったら、直接に作業を進めていきます。

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男性の後ろに、ベールを被った女性がいますが、この女性は亡くなった奥様。旦那様が、奥様を偲んで依頼した作品。

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この女性は、誰でしょう。

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スーパーモデル、ナオミ・キャンベル。当時付き合っていたロシア人大富豪から依頼されたもの。男性が体育座りしていて、すごい構図。

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黒い大理石はアフリカから運んできたもので、ものすごく硬い石らしい。

モデル時代に足がボロボロになってしまったので、この彫刻のナオミの足はほかの女性の足をモデルに製作したそうです。

イタリアの工房を訪れると、世界的に有名なセレブリティや著名人、たまに一国の政府が依頼したものを製作している場面に出会うことがある。

これは、意外に、頻繁に遭遇する、イタリア工房「あるある」。

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そして、そのほとんどが、口コミ。センスと技術を持ち合わせた職人やアーティストにより生み出される、メイドインイタリー。

世界の表舞台にはあまり顔を出さない、イタリアの層の厚さを感じます。

今回も長文になってしまいました。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。

次回は、カッラーラ第二弾。
大理石とともに生きる、
コロナータ村を紹介します。

大理石の山の3編はこちらから。
カッラーラ山は、宝の山よ。(本編です)


大理石の山 2部目
うまうまラードのコロンナータ村


大理石の山 3部目
聖なる石の街に、恋する芸術家たち






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