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高貴で冷々たる美しさを、我が手中に。

スペーコラ博物館 鉱物セクション  
Museo Specola - Mineralogia


メディチ家コレクション

メディチ家のコレクションは絵画や彫刻のみならず、貨幣、甲冑、植物、陶器と、さまざまな分野に広げていきましたが、鉱物もそのひとつ。

ヴェッキオ橋を渡り、かつてメディチ家の邸宅だったピッティ宮殿を通り過ぎ、さらに南へと進んでいくと、最近リニューアルオープンしたばかりのスペーコラという博物館があります。

ここには昆虫から大型動物までのありとあらゆる生き物の剥製が展示してあり、芸術作品のような蝋で作り上げた女性の人体解剖像などでも有名です。これらのちょっとグロい展示物の隅っこに追いやられていた鉱物コレクション。

リニューアルに伴い、フロア1階すべてが鉱物コレクションのセクションになりました。どこに保管されていたのか、1世紀以上もお蔵入りしていた美しい鉱物は、15世紀から収集されたメディチ家コレクションです。

素っ気ない外観とは対照的な調和のとれた美しい室内。鉱物セクションの入り口です。

メディチ家断絶後にロレーヌ家が跡を継ぎ、そのときに建てられた一室にあります。

メディチ家が断絶した後も、フィレンツェでは鉱物研究が続けられ、ざっと4世紀に渡り集められた石のコレクションは700を超えます。

まずは隕石から。

まるでSF映画に出てきそうな、奇怪な姿。自然の成せる創造は素晴らしいです。

かつて採石され、いまも採石されているイタリアの地図。

アドリア海側はほどんどなく、ティレニア海の、特にトスカーナ州と、国境付近の山脈に集中しているのがわかります。シシリア島やサルデーニャ島でも産出されるようです。

地質学とか地史学とか知っていたら、この地図を眺めているだけで面白いだろうなあ。

シシリア島の硫黄岩
トスカーナ州エルバ島の石。
虹色なんです。

地質学について何も知らないのでWikipediaで調べてみると、1603年にイタリア語でgeologia(英語でgeology)という言葉が初めて使われたそうです。

1669年にはデンマークのニコラウス・ステノ(ニールス・ステンセン)が『固体の中に自然に含まれている固体についての論文への序文』を著し、この中で地層が水によって堆積したこと、このため地層は成立時は水平であり、横方向に連続しており、さらに下から上に向かって堆積する、いわゆる地層累重の法則を提唱した。

Wikipedia

解説を読んでも、理解がついていかない。
けれど「ニールス・ステンセン」という名は聞き覚えがある。どこでだろう?

博物館を見学したときに撮っておいた説明書きを見返してみるとありました。

メディチ大公フェルディナンド二世の宮廷に呼ばれたニールス・ステンセン
(1638-1686) は、ステノの法則とも呼ばれる結晶学の第一法則を開発しました。

Museo Specola

ここにもメディチ家の存在がありました。彼らは知的好奇心と先見の明を持ち、地質学の研究に投資をしていたことが分かります。

17世紀のフィレンツェでは、メディチ家によりアカデミア・デル・チメントという実験研究アカデミーを設けており、ニールス・ステンセンはメディチ家によりフィレンツェに招聘され、アカデミーのメンバーとして地質学を研究していたようです。

これは硬度を図る機械。機能性と調和を兼ね備えた昔の機械は姿も美しく見惚れます。

ただの石。されど石。金剛石の、なんと美しきかな。

色見本。

目がきらきらしてきます。訪れていた人達は、顔を近づけ、時にはうっとり、時には感嘆の声を漏らしています。

Che Bella ! Bellissima !
なんて美しいんでしょう。とってもきれい。
という声があちらこちらで聞こえてきます。

各国の大使に働きかけたり、フィレンツェ商人に持参させたり、友人知人を通して一つづつ集められたものでしょう。15世紀後半からの大航海時代も、世界の鉱物の蒐集に拍車をかけたに違いありません。それにしても、よくもここまで集めたものです。

宝飾の匠

宝石やジュエリー店のショーウインドウに飾られている美しい宝飾品をある程度見慣れている、現在の私たちでも魅入られるのに、当時の王侯たちが喉から手が出るほど欲しがるのも、想像できます。

もちろん、鉱物はその姿を眺めるだけでなく、腕の良い名工に細工を施させ、高級手工芸品として生まれ変わります。

鉱物をカッティングし磨き、金や銀の装飾金具で飾り付けされた小さなオブジェ。実際の大きさは10センチにも満たないものばかり。

技巧を尽くし贅を尽くしたこれらの工芸品は、諸外国へ贈られ、メディチ家の財力や教養を知らしめる、外交政策としても役に立っていたようです。

当時の宮廷での流行りは「ヴンダーカンマー」。ドイツ語からきている言葉で、意味は「驚異の部屋」。

『珍しいものならなんでも、オッケー!』的なノリだったようです。

主人の目に叶ったものなら、ミイラも、巨大な巻貝も、ダチョウの卵も、イッカクの角も一つの部屋に集約されます。自分の「お気に入り」を披露しては、目を皿にして一心に眺める来客を眺めてほくそ笑んだことでしょう。

宮廷人は競争心を心に隠しながら、互いに見せ合い、より奇抜な、より技巧の超絶した作品の蒐集に熱を注ぎます。

いまの私たちの「美」の基準からは首を傾げるような、ダチョウの卵に細工したゴテっとしたオブジェなども、当時の宮廷人にとっては「ヴンダーカンマー」入りする大切なコレクションだったのでしょう。

ヴンダーカンマーの大切なコレクションとして扱われることを周知していたメディチ家は「こちらなどはいかがでしょうか。」と、凝りにこった美しい高級工芸手工品を、外交手段として諸外国へ贈ります。

以前に紹介したフィレンツェ風モザイクも、諸外国の宮廷人が喉から手が出るほどの超逸品です。

貴石のサンプル。

貴石を糸鋸で切り、パズルのように嵌め合わせ、一枚の絵のように仕上げるフィレンツェ風モザイク。

現在、欧州の美術館の所蔵になっているフィレンツェ風モザイクのテーブルは、メディチ大公が諸外国へ贈答したものが、美術館入りしたと言うことです。

こちらは現在ウフィツィ美術館に展示されているフィレンツェ風モザイク。リボルノ港を描いています。すべて貴石を嵌め合わせて作られています。

フィレンツェ風モザイクは、こちらでも案内しています。

メディチ家のヴンダーカンマー

これだけの卓越した技術を備える名工を揃えていた、フィレンツェの職人の厚みにも驚かされます。1500年代に入ると、メディチ家直轄の工房が作られるようになります。

どこにあったと思いますか?

現在のウフィッツィ美術館です。メディチ家直轄工房が2階に置かれ、美しい細工の品々が生み出されていました。

コジモ一世がウフィッツィ美術館を建立したときは、事務所と工房と回廊で成り立っていたのを、息子のフランチェスコ一世の代になったときに、「芸術を眺めなら歩きたい!」という一声により、作られた「トリブーナ」。

現在はメディチ家のヴィーナスという彫刻が中央に展示されていますが、当時は逸品中の逸品を収めるための小部屋でした。ここがメディチ家の「ヴンダーカンマー」です。

欧州の宮廷に負けじと、コレクションはもちろんのこと、それらを収める部屋にも力を注ぎます。

誰もが息を呑む、8角形の小部屋の天井。

丸屋根を覆う真珠貝。いったい幾つあるでしょう。数年前に修復をしたときに数えたようです。

5780枚。

状態の良いものだけを使ったはずなので、実際にはそれ以上のものが運びこられたことでしょう。インド洋から輸入されています。

これだけの真珠貝を集めて装飾させる案を考えついた建築家ベルナルド・ブオンタレンティもすごいです。彼はマルチな才能の持ち主で、メディチ家に仕え、建築だけでなくさまざまなシーンで活躍しています。もし過去に戻れるなら、会ってみたい人のひとり。

鉱物セクションに面して小庭園があり、中心街とは思えない緑に囲まれ、小鳥のさえずりが聞こえてきます。

奥はボーボリ公園。メディチ家やロレーナ家の時代は繋がっていたようで、現在ボーボリ公園からも入館できるように準備中とのことでした。

かなりディープなテーマの博物館なので、万人が足を向けたがる場所ではありませんが、鉱物セクションだけでも訪れる価値大です。


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最後までお読み下さり、
ありがとうございました!

またお会いできたら嬉しいです。
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