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フィレンツェ物語

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ルネッサンス文化が香る古都フィレンツェは、紀元前に古代ローマ人が開墾し築き上げた、なにもない小さな国でした。 依頼人がいて、職人という名のアーティストがいて、通りにひしめき合う…
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巨匠の試し描き。 プライベートのデッサン室。 n.5(最終回)

現在はフィレンツェのバルジェッロ美術館に展示されている、ミケランジェロの未完の作品。2018年に日本でも展示されている。 「ダヴィデ」と「アポロン」ふたつの名前を持っている。 ダヴィデは旧約聖書に登場する国を守る英雄。 アポロンはギリシア神話のオリンポス十二神の一柱。音楽、医学、予言など様々な側面を持ち、シンボルは竪琴。 特徴の異なるダヴィデとアポロンが、なぜ一つの名になったのか。 当初は新聖具室に飾る一体としてダビデ像を製作していたらしい。だが1529年に起きたフ

巨匠の試し描き。 夢と苦悩。 n.4

秘密の小部屋のデッサンの大半は、1530年に描かれたと推測される。 なぜか? 発端は、1527年5月6日に起きるローマ劫掠。 このときのローマ法王はメディチ家出身のクレメンス7世。 ローマがすごいことになっているらしい。 ジュリオ(クレメンス7世)も逃げるのに奔走しているはず。 機を虎視眈々と狙っていた反メディチや共和国支持者は、数ヶ月前からスペイン王カール5世の大軍がローマに向かっている情報を得ている。ローマの劫掠は、フィレンツェへ直ちに届けられる。フィレンツェ

巨匠の試し書き。 飛行する思考。 n.3

狭い階段を、足を踏み外さないように慎重に下りていくと、空気が湿気を帯びてくるのを感じる。床面に着いたので、顔を上げると、正面、右、左、背後。壁一面に描かれたデッサンが目に飛び込んでくる。 圧倒的な大きさや筆力に、唖然。何世紀も前に描かれたものなのに、デッサンからは新鮮な魂を感じる。 多くのデッサンは黒色で描かれており、わずかな部分が赤茶色。黒色は先端を尖らせた木片を火で焼いて木炭にしたものが用いられ、ある線は太く、ある線は細く描かれている。赤茶色は、十分に焼けきれなかった

巨匠の試し書き。 小部屋での発見。 n.2

全員が固唾を呑む。 ずっと昔に年配の学芸員が言っていたことは本当だった。 1メートルにも満たない木製の扉を開けると、暗闇の中に狭く急な階段が現れた。階段は、地下に繋がっている。10数段はあるだろう。 どのような状態になっているのか分からないので、扉を開けたままにし、地下に入る装備を整える。 湿気とカビの入り混じった匂いのする、狭い階段を一段づつ降りていくと、細長く狭い空間が現れた。暗闇に懐中電灯を照らし周囲を観察すると床には砂や泥が積もり、壁はカビで黒くなり、蜘蛛が至

巨匠の試し書き。 秘密の小部屋。 n.1

ずっと昔に聞いたことがある。 古参の学芸員が言ってたんだ。 地下に繋がっているって。 フィレンツェにあるメディチ家礼拝堂は、その名の通りメディチ家の礼拝堂があり、メディチ家一族が埋葬されているところでもある。 簡素な石造の建物からは想像もつかないほど、内部は色で埋め尽くされおり、礼拝堂に一歩足を踏み入れた者は、その色面積の大きさ、モニュメントの大きさに圧倒され、あんぐりと口をあけたまま、しばらく目に映る光景に立ち尽くしてしまう。 さらにその先には、新聖具室がある。白

高貴で冷々たる美しさを、我が手中に。

スペーコラ博物館 鉱物セクション   Museo Specola - Mineralogia メディチ家コレクションメディチ家のコレクションは絵画や彫刻のみならず、貨幣、甲冑、植物、陶器と、さまざまな分野に広げていきましたが、鉱物もそのひとつ。 ヴェッキオ橋を渡り、かつてメディチ家の邸宅だったピッティ宮殿を通り過ぎ、さらに南へと進んでいくと、最近リニューアルオープンしたばかりのスペーコラという博物館があります。 ここには昆虫から大型動物までのありとあらゆる生き物の剥製が

イタリアの冬休みと聖人と。

「世界の人に聞いてみた」さんの12月3日付の投稿では、クリマスシーズンのドイツのスケジュールが紹介されています。同じ欧州でも、同じキリスト教でも、国が変わればお祝いする聖人も変わることを知り、とても面白かったです。 12月25日の幼子キリストの誕生日は、キリスト教国で共通のクリスマス最大のイベントですが、クリスマスシーズン中は、その期間に鎮座する、その国にゆかりのある聖人をお祝いします。 12月8日 無原罪のお宿り(祝日) マリア様は神のお告げによりイエスを宿しましたが

サルバトーレと、靴と、フェラガモと。Ferragamo Museum n.5 - 番外編

Shoemaker of Dreams 夢の靴職人 第1回から第4回までフェラガモ美術館で開催中の展示会をご案内してきましたが、今回はフェラガモ社の創立者サルバトーレ氏の物語です。 サルバトーレ少年・イン・ナポリナポリ近郊の小さなボニート村で生まれ育った少年サルバトーレ・フェラガモ。村に教育設備もなく、教育費をかけられないフェラガモ家では、9歳になる小学3年で学校を終えなければなりませんでした。 サルバトーレ少年は、近所の工房で靴作りの作業をじっと見ています。 自分も

ドレスと、宮殿と、フェラガモと。 Ferragamo Museum n.4

ワンダ・フェラガモ夫人へ捧げる展示会より。 n.4 Donna Equilibrio - Museo Ferragamo a Firenze 主婦と母親の役だけでなく、仕事へ、旅行へと、家庭の外に出始める女性達。 女性が社会へ進出していくことで、洋服のスタイルも変化します。 男性が多数を占めていた、洋服のスタイリスト、仕立て屋、宝飾デザイナーの世界でも、女性が活躍し始め、それに伴い、ヒールの高さも地面に近づき、低く平らなバレリーナシューズが世に出ます。 展示会のテーマ

キッチンとイタリアン・デザイン。 Ferragamo Museum n.3

ワンダ・フェラガモ夫人へ捧げる展示会より。 n.3 Donna Equilibrio - Museo Ferragamo a Firenze フェラガモ美術館で開催される展示会は、1つのテーマから広げられる世界観が独特で、毎回楽しみにしています。 今期の「Donna Equilibrio(女性のバランス)」では、60年代のイタリアの女性を取り巻く環境を取り扱っています。 その中心に据えられるのは、サルバトーレ・フェラガモの奥様、ワンダ・フェラガモ夫人。1960年に夫が6

イタリアの女性達とモダンデザイン。 Ferragamo Museum n.2

ワンダ・フェラガモ夫人へ捧げる展示会より。 n.2 Donna Equilibrio - Museo Ferragamo a Firenze フィレンツェのフェラガモ本店の美術館で開催されている、Donna Equilibrio「女性のバランス」。 1955年からの10年間の女性達にフォーカスをしている展示です。この時代は、そのまま、2018年に97歳で他界されたワンダ夫人が生きた時代でもあります。 ワンダ夫人は、靴作りでフェラガモの名を世界に知らしめたサルバトーレ・フ

60年代のイタリアの女性たち。 Ferragamo Museum n.1

ワンダ・フェラガモ夫人へ捧げる展示会より。 n.1 Donna Equilibrio - Museo Ferragamo a Firenze 1960年。早すぎる夫の死は、それまで完全に専業主婦だった彼女を、実業家へと変身させます。 夫はサルバトーレ・フェラガモ。LVMH、ケリング、リシュモン、これらの大きなグループに属せず、現在でも家族経営でイタリアのブランド界を牽引するフェラガモ社の創立者です。 サルバトーレが42歳のときに、まだ18歳だったワンダさんを見初め、二人

フィレンツェの子供達。 n.2

前回は、ルネッサンス時代に創立した捨て子養育院で、子供達がどのように引き取られ育っていったかなどをご案内しました。 今回は、いまのフィレンツェの子供達に焦点を当ててみたいと思います。フィレンツェという歴史ある街で、その特徴を活かし、市や美術館がどのように取り組み、子供達が普段からアートに触れられるようにしているのでしょう。 フィレンツェの大人達にもアートを!フィレンツェ市立美術館(Musei Civici Fiorentini)には、市庁舎でもあるヴェッキオ宮殿を筆頭に、