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サルバトーレと、靴と、フェラガモと。Ferragamo Museum n.5 - 番外編

Shoemaker of Dreams
夢の靴職人

第1回から第4回までフェラガモ美術館で開催中の展示会をご案内してきましたが、今回はフェラガモ社の創立者サルバトーレ氏の物語です。


サルバトーレ少年・イン・ナポリ

ナポリ近郊の小さなボニート村で生まれ育った少年サルバトーレ・フェラガモ。村に教育設備もなく、教育費をかけられないフェラガモ家では、9歳になる小学3年で学校を終えなければなりませんでした。

サルバトーレ少年は、近所の工房で靴作りの作業をじっと見ています。

自分も靴作りをしたいけど、当時は足の悪い人や、無学な人が靴作りをするものと考えられていたので、両親は猛反対。

ある日、妹が教会に履いていくための白い靴が必要になります。

貧しいフェラガモ家では、金銭的に余裕がなく、困り果てます。

妹の晴れの日の前の晩に、サルバトーレ少年は、工房から材料と道具を借りてきて、小さな手で妹のために、真っ白い靴を仕上げ、両親を驚かせ、妹は大喜び。

これが、サルバトーレの初めての靴づくり。その後、兄達を頼りアメリカに渡り、ハリウッドの女優達の靴づくりで成功を収めます。

サルバトーレ青年・イン・アメリカ

大きな工場で、1日に何千足という靴が大量生産されるアメリカ。

私は、靴の痛みから足を解放したい。足が靴に合わせるのではなく、靴を足に合わせる靴を作りたい。

私ひとりでは、一日に作れる量は限られる。ならば、職人を雇い、みんなで作れば、生産数を伸ばせるのではないか?

よし。職人のいるイタリアに戻ろう。

サルバトーレはアメリカを離れ、イタリアで自分の活動が可能な街を探し求め、ようやく、職人の街として知られるフィレンツェに落ち着きます。

経験を積んだ職人を指導することは難しいと感じ、全員を解雇。
その後は、若い職人達に靴作りを教え製造することになります。
参照:Shoemaker of Dreams

アメリカ時代には、仕事をしながら夜間大学で解剖学を学び、足の構造を研究し、そこからサルバトーレの「疲れない靴」が生まれます。

体重の重みがかかるのが、土踏まずのアーチの部分。ならばアーチの部分を補強すれば、何時間歩いても疲れず、足の指を痛めることもない。

美しいだけでなく、疲れない靴。それが、サルバトーレの靴です。

サルバトーレ師匠・イン・フィレンツェ

アメリカで成功したサルバトーレの顧客は、イタリアに製造場所を移しても、ほとんどがアメリア人。流通の便を考え、工房は、鉄道駅付近の目立たない建物に決めます。

参照:Shoemaker of Dreams

ようやく軌道に乗り始めたとき、世界恐慌が襲い、サルバトーレもその煽りで倒産します。

顧客がアメリカ人だけでなく、欧州や自国イタリアにもいたら、倒産は免れていたかもしれない。販路を広げなくてはならない。

だが鉄道沿いの、この人気のない靴工房では、わたしが求める顧客はまずこないであろう。

一流の顧客を抱えるには、それなりの環境が必要。どこがいいだろう。

そこで、現在はブランド通りと呼ばれる、トルナボーニ通りのスピーニ・フェローニ宮殿に目をつけます。サルバトーレは倒産しているので金銭的な取引は一切できません。お姉さんの名前で契約を交わし、宮殿の一部を賃貸で借ります。

スピーニ・フェローニ宮殿にて
参照:Shoemaker of Dreams


サルバトーレの戦略は当たり、彼に靴を作ってもらうために、世界中からセレブリティーが訪れるようになります。

あるとき、宮殿のオーナーから、思いもかけぬ提案を受けます。

ローンを組んで振り込み期日をきっちり守れるなら、この宮殿を君に売ってもいいよ。

ローンは、毎月金額が増えていく仕組みになっており、もし指定の振り込み期日を過ぎても支払えなければ、それまで支払っていたローンの金額は一円足りとも戻ってきません。

一種の賭けです。オール・オア・ナッシング。勝つか負けるかの大勝負。

サルバトーレは賭けにでます。

朝から晩まで靴を作り、ローンの返済を毎月行い、ようやく最後の支払いに漕ぎ着けます。宮殿のオーナーは、まさかサルバトーレが完済できるとは思わず、そそのかして一儲けしようと企んでいたのが、大きな誤算だったことに気がつきます。が、後の祭り。

かくして、スピーニ・フェローニ宮殿は、サルバトーレの所有になるのです。

これが、1200年代にスピーニ家が建立してから現在に至るまでの、スピーニ・フェローニ宮殿の歴史です。まさか、賭けで勝ちフェラガモ家が所有することになるとは、彼の物語を知らなければ、誰が想像するでしょう。

サルバトーレの物語は、まだ続きます。

宮殿を手にし、郊外の美しい邸宅へも引っ越し、順調満風に進んでいたら、今度は第二次世界大戦が勃発します。

モノがない。なにもない。靴が作れない。

足を支えるために、土踏まずに挿入する鋼が手に入らない。

なんともイタリアらしい発想で、鋼の代わりが見つかります。

それはなんでしょう?

コルクです。

サルデーニャ州では、ワイン用のコルクを生産しています。これにサルバトーレが目をつけました。

いまはサンダルの定番になっている、ウエッジソールの誕生です。

参照:Museo Ferragamo

モノがなくても、なにもなくても、靴は作れる。

子供達が食べたキャラメルの包み紙が、テーブルに無造作に散らばっています。窓から太陽の光が差し込み、包装紙がキラキラ光ってるのを、サルバトーレは見逃しませんでした。

包装紙を手にし、折ったり伸ばしたり切ったりし、紙の特徴を研究し始めました。集めた包装紙は、長く伸ばされ、キャンラメルの包紙から、光を受けてキラキラ輝くサンダルのストラップへと生まれ変わります。

上はウエッジソール。
下は包装紙(セロファン)使用の靴
参照:Shoemaker of Dreams

窮地に陥いっても、常に前を向き続ける心の置き方が、サルバトーレたるものなのでしょう。

フェラガモの靴と言えば、90年代に大流行したリボンのついたパンプス『ヴァラ』のイメージが強いですが、戦時中に作られたこれらの靴を初めて知ったときは、感動と衝撃を受けたのを覚えています。

そして、もう一足、戦時中に生まれた美しい靴があります。

同僚の職人が、食料を確保するためにアルノ川で釣りをしたのでしょう。釣り竿をひっさげて工房へやってきました。

ここでサルバトーレはあるものに注目します。

おい、ちょっと釣り糸を貸してくれ。

サンダルの足の部分に、無造作に釣り糸をグルグルと巻きつけていきます。

できあがったのは、足が浮いているように見える、透明なストラップのサンダル。

これは、見えない靴(Invisible)と呼ばれ、サルバトーレの代表する作品となります。

コレクションといま。

サルバトーレが創造した美しい靴のコレクションの一部は、本社である宮殿に展示されています。

マリリンモンローの
11センチヒールのパンプス

そのほかの数々の作品は、フィレンツェ市街にある、2020年に完成したばかりのフェラガモ工場内の資料館に集められています。

資料館の1階は、マノヴィア(Manovia)という名の工場が併設されており、デザインから完成するまでの全工程が、人の手により作られています。機械生産では難しい、細かい調整が必要となる靴はここで作られます。

デザイン案が上がってきたら、それを木型に移し立体に構築し、コンピューターで3D化したら、細かい微調整を行います。革を裁断したら、ミシンで縫い、木型に留めて型をつくり、ヒールやビーズなどの装飾品を加えていきます。

マノヴィアは、サルバトーレの意思がいまでも受け継がれていることを証明している、現代版工房です。

職人を育てる財団

大きな企業や銀行には財団があり、芸術や伝統を守る活動を行っています。フェラガモ財団もそのひとつです。

マノヴィアでは、研修生を受け入れており、常に学生達が作業を行なっています。手でモノづくりをするのが、イタリアの伝統であり文化です。その血を絶やさず、次世代に受けつがれなればならない、大切なイタリアの財産です。

以前に紹介したアルティジャナート&パラッツォ(Artigianato e Palazzo)という、コルシーニ家が企画する職人展示では、将来を担う35歳以下の職人達を、欧州から招待しています。その役割を担っているのがフェラガモ財団です。

展示会の参加費、飛行機のチケット、ホテル代、すべてフェラガモ財団が負担し、若き職人をサポートします。

フィレンツェは小さな街ですが、20世代以上続いている貴族や、フェラガモのように1代で世界に名を知らしめた一族が、職人文化を守り、過去から未来へと繋げる活動を続けている街です。

こんな活動を知るたびに、歴史や伝統を繋いでいくことの大切さを感じます。どうか、未来永劫続きますように。

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9歳で学校を終えてから、成功と失敗を繰り返しながら、腕一本でフェラガモ社を設立したサルバトーレ氏。

美術館に展示されている
サルバトーレ氏の肖像画。
現代の巨匠アンニゴーニの作品

状況に応じて柔軟に対応する頭の回転の速さ、精神の強さ、感性の鋭さなど、もともと彼に備わっていたものが、あらゆる困難な状況と対峙するにつれ、より強くなっていったのかもしれません。

サルバトーレは、62歳で永眠します。あまりにも早すぎます。それまで専業主婦だったワンダ夫人の肩には、突然、6人の子供達とフェラガモ社の運命が重くのしかかります。女性が少しづつ、社会へ進出始めた時と重なりますが、ここから、ワンダ夫人の新たな人生が始まります。

参照:Wikipedia

彼女の生きた時代の女性達。先にこちらにお立ち寄りくださった方は、1955年からの10年間の女性達にフォーカスをしている、フェラガモ本店の美術館で開催されている、Donna Equilibrio「女性のバランス」をご覧ください。

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今回の記事は、こちらの本をベースにしています。過去に一度読んで、すごく面白くて、改めて今回読み返してみましたが、やっぱり面白いです。

サルバトーレ氏が書いている、ひとりの靴職人の物語。おすすめです。

フェラガモ美術館の案内のみにする予定でしたが、ワンダ夫人を語り、フェラガモ社の創立者のサルバトーレ氏を語らないのは、片落ちの気持ちがして、結局第5回に至ってしまいました。

長らくお付き合い頂きまして、
ありがとうござます。
次回、
みなさまとまたお会いできたら嬉しいです。
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
😊😊😊

Ferragamo Museum - Donna Equilibrio
目次
60年代のイタリアの女性たち。n.1

https://note.com/artigiana_arte/n/n137042902342
イタリアの女性達とモダンデザイン。n.2
https://note.com/artigiana_arte/n/n34d61c765e84
キッチンとイタリアン・デザイン。n.3
https://note.com/artigiana_arte/n/n6b59f8407354
ドレスと、宮殿と、フェラガモと。n.4
https://note.com/artigiana_arte/n/n49e69f7e7488
サルバトーレと、靴と、フェラガモと。n.5 - 番外編(本編)
https://note.com/artigiana_arte/n/n5f51dc9d1183


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