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自然と共存する、銅版職人。*エノガストロノミア&アトリエ n.3*

『フード&デザイン』をテーマに、アトリエや工房を見学しつつ、「ワインを飲みながら、食事も楽しみましょう!」という、あちらも、こちらも、どちらも楽しそうなイベント。

前回までのお話しはこちらです。

3回目は、銅板版画職人を訪れます。


スクオーラ・ディフーザでの実演

ムジェッロの職人達が参加する、スクオーラ・ディフーザ。わたしがとても惹かれたのが、銅版画。

銅版画職人のヴィンチェンツォ・ヴォルピさんが、手にしているもの。小さな銅版。

印刷する紙を少し湿らせて、ローラーでゴロゴロと圧力をかけると、

できあがり。とても細かい彫りが施されています。

エクスリブリス

いまのご時世だからこそ、敢えて、レターヘッドに印刷し、手紙をしたためたり、結婚式の招待状に使ったり、用途はいろいろあると思うけど、たまに遭遇するのが、これ。

これはヴィンチェンツォさんの作品ではなく、たまたま、見つけたもの。日本語では「蔵書票(ぞうしょひょう)」と呼ばれる、エクスリブリス。

その本の持ち主を明らかにするための小紙片。「ex libris」という言葉と蔵書の持ち主の名前が入れられることが多い。
Wikipedia

どこで遭遇するかというと、こんなところ。

本の裏面に貼り付けてある。

イタリアでは、写真集のような豪華本を、銀行が刊行することがあります。大切な取引先にお渡しする「粗品」。行員も、自由にお持ち帰り可能。非売品なので、本屋で見つけることは100%不可。

それが、巡り巡って、古本屋さんで見つかることが多々あります。アマゾン等のネット上の市場に出回ることは稀。イタリアの古本屋は、掘り出し物が見つかる宝の山。価格の相場は、2500円あたりから1万円くらい。

エクスリブリスに出会ったのは、トスカーナ銀行が刊行した「トスカーナ地方の中世の教会建築本」。

本のかつての持ち主が「これはわたしのものです」という名札のようなものを残すエクスリブリス。わたしの手に渡ったのも、なにかの縁。

丁重に扱い、長生きしてもらいます。エクスリブリスって、ミステリー小説にも使えそう。ちょっとワクワクします。

さて、話しを戻すと、こんなときも、ヴィンチェンツォさんのような、銅板彫刻が活躍します。サンプルはあるにしろ、好みのデザインを製作してもらえ、「わたしの蔵書シリーズ」を作れます。

銅版画スタジオ「イッポグリフォ」

Studio Calcografico Ippogrifo

フィレンツェにも「イッポグリフォ」という、工房を兼ねた、同名の銅版画店があります。同業者で同名? 不思議に感じ尋ねると、フィレンツェ店の主人と、1977年に一緒に立ち上げ活動していたとのこと。

なるほど!

ヴィンチェンツォさんは、フィレンツェで活動をしながら、理想の家を探し続け、いまの家と出会ったそう。フィレンツェを引き払い、ムジェッロに引越したのが、1993年のとき。

ヴィンチェンツォさんと、奥様のエリザベッタさんに、銅版画のことや、アトリエ兼ご自宅の話などを伺っていると、ヴィッキオ村から車で15分くらいだから、おいでよ。

と声をかけて頂いたので、ムジェッロ風田舎ラーメンを食べたあとに、お伺いすることに。

すごい山奥。最初は、気持ちいぃ。なんて言っていたけど、アスファルトの舗装された道を15分走るのと、カーブと起伏の多い砂利の山道、そしてたまにアスファルトな道を、15分走るのとは、大きな違い。

ようやく、山の中の一軒家が見えてきた。

辿り着けましたね!ようこそ!畑にいたエリザベッタさんが、迎えてくれました。

ヴィンチェンツォさんは、トスカーナやフィレンツェの風景を銅板に彫り販売することもしていますが、個人のお客様より注文を受けて製造にとりかかるのが、メインのお仕事。

教会から注文を受けて銅板を製作している風景。スクオーラ・ディフーザでは小さな銅板でしたが、こちらは、とても大きい。

プーリャ州マテーラ県のピスティッチ街にある、聖人ピエトロ(ペトロ)と聖人パオロ(パウロ)を祀る教会。ヴィンチェンツォさんの両聖人の作品は、正面扉の中央に飾られています。

銅板は、版画だけでなく、ひとつの作品としても、成り立つんですね。

乗馬の好きな息子さんが、学士号を取得し大学を卒業したときの、お祝いのために依頼され、製作された作品。

銅版画といえば、エッチング。お魚の絵に合わせて、額縁も特注。絵と額縁の色が、ほぼ一緒。額縁はセラミック製のようだけど、よくこれほどに紙に印刷した色と、釜で焼き上げる色とで、色合わせができましたね。

木版画は、凹凸(おうとつ)の凸(とつ)の部分の、彫られていない、平面のところに色をのせるけど、銅版画は、その真逆で、凹凸(おうとつ)の凹(おう)のところに、インクを染み込ませて印刷する違いがあるそうです。

影や、奥行きは、深く彫るのではなく、細かくたくさん彫ることで、表現するそう。さらに、印刷用なら、反転した鏡文字で彫らなければならない。

パルマ市で開催された、
ヴェルディ音楽祭のために製作。
背景の楽譜はリゴレット。

時代の移り変わりとともに、銅版は劣化するけど、印刷物が残って入れば、再現が可能。

左側はマリア様。
右側は聖アントニウス聖人。
輪郭とか、細かいところが、
すり減って分からなくなってます。

残された印刷物を頼りに、当時と同じ姿を取り戻すことができます。

残された印刷物を元に再現された銅版画がこちら。彫る技術だけじゃなく、絵も描けなければ、できないお仕事。

15世紀にタイムスリップ

突然ここで、タイムスリップ。1400年中期のルネサンス時代。フィレンツェの洗礼堂の扉の製作を受け持つほどの、腕の立つ職人。

金細工師であり、彫刻家の、マーゾ・フィニグエラ [Maso Finiguerra]。工房でコツコツと製作中。

よし!できた! 

マーゾが作り上げたのが、こちら。銅板彫刻。細かい!

参考:Wikipedia

フィレンツェのバルジェッロ美術館の所蔵作品。今度、探しに行ってこよう。

そしてもうひとり。マーゾより50年ほど後に登場する彫金師。ペレグリーノ・ダ・チェゼーナ [Peregrino da Cesena]。

参照:Cesena di Una Voltaより

ペレグリーノは「巡礼」という意味もあるけど、「独特な」とか「珍しい」の意味もあり、彼の独特なタッチから、ペレグリーノと呼ばれるようになったようです。

金細工の技術をもって、銅板彫りを、ひとつのアートに伸し上げた、マーゾとペレグリーノ。この技術が、脈々と受け継がれています。すごいですねぇ。

画家として名の通っている、アントニオ・デル・ポッライオーロ。彼の職業は、画家、彫刻家、版画家、金細工師。ルネサンス男児だけあり、多才。

ウフィツィ美術館に展示されている「ヘラクレスとヒュドラ」。実物は意外に小さい。

彼もまた、銅版画を製作しています。なにが面白いって、アントニオは『印刷されることを前提として』この作品を作っていること。

参照:Wikipedia『裸の男たちの戦い』

文献が残されていないので、アバウトだけど、1429年から1433年にかけて生まれたアントニオ。1452年生まれのレオナルドダヴィンチや、1475年生まれのミケランジェロよりも、ずっと先。

なのに、この、筋骨隆々な、迫力ある男たちのカラダは、どうでしょう。二人の天才芸術家に先駆けて、死体を解剖して人体を研究していたそうです。

ルネサンスを代表するアルブレヒト・デューラー。版画での作品も、多く残していますが、お父さんが、金銀細工師だったそうです。

デューラーも、幼い頃はお父さんから細工の技術を学んだことでしょう。なるほどねぇ。繋がりますね。

「メランコリア」
参照:wikipedia

このまま、ルネサンス時代から戻れなくなりそうなので、そろそろ現代に戻りましょう。

自然と共存する銅版職人

人里離れた一軒家にご夫妻で住む、ヴィンチェンツォさんと、エリザベッタさん。周囲の山は、彼らのもの。

水は、近くの清水から。山の実を摘んできては、生で食べたり、天日に干して乾燥させ保存したり。もちろん、家庭菜園もあり、お庭は色とりどりの花が咲き誇っていました。

はちみつも自家製。ヴィンチェンツォさんお手製の養蜂箱。

蜂が箱のなかを、行ったり来たり。せっせと、アカシアの蜜を集めています。蜂が穴に入りやすいように、手前に水色のタイルを置くところに、ヴィンチェンツォさんの自然に対する優しさを感じます。

緻密で根気のいる製作を強いられる銅版彫刻。だからこそ、生活はシンプル・イズ・ベスト。

360度自然に囲まれた生活で、目を休ませ、心も体も回復し、余裕も生まれるんだなと、実感した、訪問になりました。

お家のすぐそばにある、水飲み場。

幸せそうなお二人に出会え、山を散歩し、おしゃべりを楽しみ、とても豊かで美しい時間を過ごさせて頂きました。

ヴィンチェンツォさんのHP。

ヴィンチェンツォさんが製作した作品は、HPから参照しています。

最後まで、お読み頂きまして
ありがとうございます!

次回は、笑いが方々で起きた
革小物職人を紹介します!

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