スポーツジム、ブレインジム
技術の発展は、トレーニング行為の源泉となっている可能性について。
悪化
「AIを使用することによって子供や大人の知能が悪化する」という懸念があるようです。AIが計算してくれるし、AIが教えてくれる、AIが自分の代わりに考えてくれますからね。
自分がしなくていいことが増えるという変化です。
では、仮に、この変化を「悪化」とあえて表現するとして、この悪化はいつから始まったのでしょう。
文字の発明という悪化
最初は、自分が知っていることは覚えていなければならなかった。知っていることを教えたい相手に言葉や身振り手振りで教えるしかなかった。
だから、どれほどの知識や経験をつんだとしても、その人が亡くなってしまうと、その全てが失われていた。
しかし、文字が発明されたことで全てを記憶しつづける必要がなくなった。
文字で記録できるからだ。文字が記憶してくれているからだ。
人類は知識を忘れてもいいことになった。
文字によって人類は悪化した。
知識や経験を、その人に会って話すこともなく得られるようになった。
記録が残っているかぎり、知識や経験は世代を超えられるようになった。
知りたくなったら文字を読めばいいからだ。
人類は話を聞かなくなった。
文字によって人類は悪化したのだ。
本の登場という悪化
知識という物は、それを受け継いできた文化の歴史とともにあるものだ。また、知識を新たにみつけるに至ったその人の努力と人生もおなじくらい尊重されるべきものだ。
しかし、本が登場したことで、知識を得るために人を訪ねることも無く、会って話し人生に触れることも無く、受け継いできた歴史を知ることもなく、ただ知識だけをかすめ取っていくようになった。
はした金だけを支払って知った気になる馬鹿が増えたのだ。
本によって人類は悪化したのだ。
自動車の登場という悪化
人は歩いて移動するほかに方法がなかった。私たちの体はそのために発達し、そうであればこそ健康が保てるように進化した。
しかし自動車や電車などの移動手段がでてきたことで、私たちの体は急激に衰え、病気がちになり、新たな病に侵されるようになった。
自動車によって人類は悪化したのだ。
「悪化」ではなく「変化」でいいのでは?
AIの全てを悪化であると否定するのなら、文字も、本も、自動車も全て悪化の原因です。野山を裸で、なんの道具も持たずに生きていくのがよろしいのではないでしょうか?
スポーツジムの登場
私たちの体は移動や運搬の手段が発達したことで衰えました。
食べものを探しに山へ入らず、遠くの川へ歩いて行かなくてよくなったからです。
しかし、スポーツジムというものが発展しました。
衰えた体を、ある程度は鍛えよう、健康になろうというサービスです。
このような失ったものを取り戻すサービスは、いまや一つの街に一つは見かけるほど人気です。
ブレインジムの登場
さて、ということは、これからAIが発展し、私たちの頭脳労働を肩代わりするようになると、私たちの頭脳は変化します。
私たちがいま持っている知性は、次の世代では必要とされなくなるということです。必要とされないということは、就職する際にも不要であり、そんなものを持っていても将来の可能性は増えない。
とはいえ、衰えた体が病をひきよせるように、衰えた知性が問題をおこすことが、病気とおなじ程度にはあるかもしれません。
ならば、体にスポーツジムがあるように、知性にはブレインジムのようなものが出てくるのではないでしょうか。
3ケタの掛け算を週に4回やりましょう。
A=B、A=Cであるとき、AとCは違うものですか?同じものですか?というような質問に週に2回は答えてみましょう。
などなど
学校の教師の転職先
ブレインジムのトレーナーという仕事は、学校の教師の転職先になるかも?
物理的に存在する人間と、物理的に接近し、会話することが知性に必要であるなら、あるかもしれない。
読んでくれてありがとうございます。
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