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エッセイ | 手料理をねだる〝第三の父〟へ送る不幸の手紙。

 もやもやしていて他のことに集中出来ないので吐き出してしまおう。

 料理のことである。

 わたしは料理が苦手だ。それなりに頑張ってみた時期もあるし、楽しいと思ったこともなくはないけど、ほんの一瞬だった。そもそもセンスが無い。そして、ずっと認めたくはなかったが、興味がない。

 どうして突然料理のことを嘆いているかというと、発端はおじさんだ。

おじさんというのはわたしの長年の文通相手のことで、御歳80歳。某航空機の機内食の調理でチーフを努めた、料理に精通する人である。おじさんとわたしは血縁関係にない。


 おじさんはこの十日ほどの間に、わたし宛に三通の手紙を送ってきた。これはおじさんが〝ハイ〟になっているときの現象なのだけど、今回は相当気分が高揚しているのか、クイズをだしてきたり、様々な要求を書き込んできた。

 その要求の一つが、今年の11月23日頃に(具体的すぎ)わたしの「手料理(和食)」を食べたいというものだ。しかも、この15年ほど密かに「夢見てきたこと」だという。

 確かに、わたしはおじさんとの手紙で、料理について「苦手」というエピソードを書いたことはない。興味がないことをわざわざ書かない。

 そんなわたしに、おじさんは大原千鶴さんのレシピを大量に(レシピ本丸々一冊分)図書館でコピーして送ってきてくれたことがある。
 おじさんのその労力を思うと申し訳なく、一つだけ(かまぼこに切れ目を入れて、刻んだ柴漬けとクリームチーズを挟むという簡単おつまみ)は作ってみたものの、残りのレシピの紙の束は、裏の白い部分を再利用すべく、我が家のメモ帳となった。
 もしかしたらおじさんは、わたしがそのレシピを見ながら繰り返し作って、料理の腕を上げたとでも思っているのだろうか。だとしたらおじさんはとんだ思い違いをしている。

 実際のわたしは、必要な栄養素を摂取できさえすれば、毎日同じメニューでも良いと思っているくらい、食事に関して彩りがない。
 なんなら、味付けなどほとんど必要なく、素材として体内に取り込めたら良いと、本気で思っている。

 先日、担当美容師(同い年)と健康の話をしていた時に、彼が食に関して、わたしとほとんど同じ心構えで過ごしていることを知り、嬉しかった。
「もう、素材だけでいいですよね」とお互いに言い合った時は、なんとも言えない安らぎを感じた。

 素材だけ、というのは極端だけど、それくらい料理にかける時間も省きたいというのが本音なのだ。特にこの一年は、小説を書く時間を捻出するため、できるだけ家事の時間を省くことにしていて、その最たるものが〝料理に時間をかけない〟ことだった。

 ある主夫が、テレビ番組でこんなことを言った。
「家事はやってみるととても大変。マイナスになったものをゼロに戻す作業が延々と続く。だけど、料理だけはゼロからプラスを生み出せるから好きなのだ」

こう聞くと確かに、料理って素晴らしいな、クリエイティブだなと感心はするけど、そうじゃない。どこまでも個人の感想なのだ。


 わたしの質素で時短な日々の食事はこうだ。
 具だくさんの味噌汁(各種野菜、豚バラ入り)、胚芽玄米、肉or魚を美味しい塩で焼く。一食分はこれで十分だし、あとは卵二つとベビーリーフをどこかのタイミングで食べて、運動のあとにはプロテインを飲む。
 小腹が減ったらナッツ(特にくるみ)を食べ、甘いものを欲したならデーツをつまむ。これでいいのだ。

 たまにはお菓子も食べるし、豆も結構食べるけど、基本はタンパク質を十分摂れたら安心して一日を終えられる。

 そんな、〝いかに料理をしないか〟を追求し始めて幸せを感じつつあったわたしに、どうして今更〝和食でもてなして〟などというのだろう。

 ある時期、人を家に招くことが苦痛になって「おもてなしが疲れる」という本を読んだ。
 わたしの場合はとにかく、人に料理を振る舞うことが嫌だった。それがたとえ持ち寄りパーティだったとしても、自分の料理を食べてもらいたくないのだ。
 だけど、この本には「まずは昼間のお茶から始めてみよう。買ってきたサンドイッチを盛り付けるだけでいい」というようなことが書いてあって、とても気が楽になった。

 それからは割り切って、人を呼ぶときにはあらかじめ、「買ってきた美味しい物を提供する」と宣言することにした。人の家にお邪魔するときも、買っていくものを伝えてからお邪魔する。

 わたしは料理を好きになれないだけで、美味しいものを嫌いなわけではない。むしろ食べたい。
 美味しいものは誰かと外で、良い雰囲気の中で食べたい。間違っても私に、美味しいものを作るよう要求しないで欲しい。これは切実な問題なのだ。

 おじさんは父の日が近いこともあって、「第三の父より」などと書いて、甘えてくる。そう言われたら、なんだか断りづらい。
 おじさんの15年間も密かに思っていた願いを一刀両断したくはない。だけど、このわたしだって、同じくらいの時間をかけて「料理が苦手」ということに気が付き、認めて、やっといい塩梅で今を過ごしているのだ。

 半年も先のことなんだから、その間に練習できるし、引き受ければいいじゃないかと思わなくもないが、わたしが常々思い出しては心の拠り所にしている樹木希林さんの「楽しむより面白がりなさい」という言葉さえかき消すほど、今はストレスを感じる。

 そしてわたしは、今朝読んだおじさんの手紙に対し、夕方には返事を送った。というのも、おじさんは6月1日が45回目の結婚記念日だそうだが、2つ目の要求として、そこに間に合うように赤ワインを送るようにねだってきたのだ。そして文末に「※ビール券で」と注意書きまで添えている。

 赤ワインそのものであれば、ネット注文すればおそらく間に合う。しかしビール券となると、数駅先の街まで買いに行って、それから郵便で送らねばならない。
 おじさんから今日届いた手紙は、5月24日に書かれたもので、4日経った今朝、わたしの元に届いた。だから、もしかしたらおじさんは、結婚記念日にビール券を受け取れると思ってウキウキしているかもしれないけれど、実際はわたしからの「間に合いません」という手紙ですら間に合わないのだと思う。

 そんな残念な手紙の末に、追い打ちをかけるように「料理が大の苦手で苦痛な要求である」という内容を書き綴った。もうこうなると、おじさんにとっては〝不幸の手紙〟だ。だけど仕方ない。いつだって互いが幸せになるためには、本音で向き合い、密に話し合うことが必須なのだ。

 互いに傷ついたとして、その傷が、今後もいい関係を保つために必要な傷であるならば、主要な栄養素を正しく摂取して、ただ待っていればいい。
 味付けなど本来不要。
 あっという間に傷は完治するだろう。






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