掌編小説|ある男
「こんなことを言うと君に嫌われてしまうかもしれないのだけど。僕は君がどういう人間かということに、全く興味がないようだ」
こう言い放つと、目の前に立つ彼女は不信感を顕にした。
「それなのに、どういうわけか僕は君のことを大好きなんだ」
こう告げた時などは、彼女は僕から二三歩後ずさったくらいだ。
「どう思う?」
僕は彼女の率直な意見を聞きたかった。
「どうって。どうも思わないわ」
無表情に近い彼女は、先程の動揺を隠して強がっているのか、そんなことを言った。
「どうも思わない?」
「思わない。だって貴方とは恋人でもなければ、友達ですらない」
「友達ですら……ない?」
「ええ。少なくとも私は、数分前に出会った人を友達とは呼ばない」
なるほど。僕たちはまだ関係を説明できるほどの繋がりがない。だから彼女は困っているのだ。
「それは失敬。僕はてっきり、君とは昔からの知り合いのような感覚を覚えてしまって。よくないね、会ったばかりの君にこんなにストレートに思いを伝えることは」
「いいのよ。よくあることなの。少なくとも私においてはね」
「君はもしかしてモテるタイプなのかい?」
「見てわからなかった? すごくモテるタイプなのよ」
僕は彼女から数歩分の距離を空けてまじまじと彼女を見た。
なるほど、彼女は一般的にモテそうな容姿をしていた。
「言われてみればその通りだ。君に興味がないばかりに、君の容姿をよく見もしないで」
「いいのよ、それはかまわない。貴方は私の見た目ではなく、中身を重視したということよね? それなら一向にかまわないわ」
そのとき、彼女の表情はなぜだか嬉しそうだった。
「どうして、こんなにも君に興味がわかないのだろう。すでに狂おしいほど好きになってきているのに」
僕は情けない気持ちで、近所のボランティアの大人たちが一生懸命かき集めた落ち葉の山を蹴散らした。
それを見た彼女は「いいのよ」と小さな声で言った。
「どうして、君の好きな食べ物や趣味やスリーサイズや年齢さえ知りたいと思わないのに、こんなに……こんなに好きなんだよう!」
僕は苛立っていた。足元に落ちていた小さな子供用の玩具を拾い上げ、思い切り地面に叩きつけた。
そんな僕を、彼女は再び無表情になり観察しているようだった。そして僕の呼吸が整うのを待ってから言ったのだ。
「思うのだけど。貴方は私に一目惚れをしたのだと思うわ」
「一目惚れ。僕が、君に?」
……こいつ、何いってんだ。
「そう。恥ずかしがらなくてもいい。よくあることなの。特に私のような一般的にモテるタイプにおいては」
ほう。言うねぇ。
「貴方ははっきり言って私のタイプではない。喋り口調も、見た目も。特にその清潔感のないところだとか」
あぁ、なんだか思い出してきた。
「お風呂にちゃんと入ってるのかなとか、食事しているのかなとか、とても心配になる」
間違いない。お前は、あいつだ。
「まあ、身なりが多少悪くても死ぬわけじゃないけどね。あっはは!
……あ? ああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「……お前さあ、あの時もそんなこと言って笑ってたよなぁ?」
女の悲鳴は俺の手の平に阻まれて、誰にも届かない。
「俺が勇気を出して相談したのに。ずっと誰にも言ってはいけないと思っていたことを、お前にだけは打ち明けたのに。
馬鹿で口ばかりの気取ったお前は、可哀想な教え子に手を差し伸べなかったんだよなあ……」
口を塞ぐ俺の手をどかそうと、必死で暴れまわる女を地面に伏せさせて、後ろから女の体に跨った。
いよいよ苦しがって地面を掻きむしる女の耳元で、ささやく。
「助けてよ、先生。なんで助けてくれなかったんだよお」
女が必死に顔をこちらに向けようとする。血走った目は俺を捉えようと必死だ。女がぶるぶる震える振動が伝わって、俺は妙な興奮を覚えた。
開いたままの女の口からよだれが垂れて俺の手の平を不快にする。この状況は俺にとっても既に限界だった。
俺は女がこの世で聞く最期の言葉を聞かせてやろうと、女の耳元で大きく息を吸った。
その刹那、体を焼くような激痛が走った。
大きな声、幾人かの男たちが一斉に俺を押さえつける。
何がなんだかわからないまま、めちゃくちゃにされた。
叩かれる。誰も俺の事情も知ろうとせずに。誰も、俺に興味を持つことなく。
なんでだよ。
なんでいつも、何もわからないままめちゃくちゃになるんだ。
誰も、話を聞いてくれなかったじゃないか。
誰も、俺を助けてくれなかったじゃないか。
先生、俺はあんたに期待したのに。
救いを求めたんだよ。
守ってほしかったんだよ。
それなのに……
[完]
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