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トップレベルの物理学者たちは「純粋意識」の存在を確信している/奥山実牧師の言葉【憂世で生きる智慧】

F・カプラ
「意識については伝統的に二つの意見があります。第一に、唯物論の立場から意識は、物質がある程度の複雑性に到達した段階において獲得した物質の所産であると考えられています。もう一つのアプローチでは、反対に、純粋意識という表現をとり、これがあらゆる実在の根底にあると見ております。そこでお尋ねしたいのですが、物理学の世界で言われる相補性の意味でこの二つのアプローチを相補的なものとして扱うという発想について、どうお考えになりましょうか?」
B・ジョセフソン
「まったく同感です。あなたのお考えは私の個人的態度ともぴったり当てはまります。緒現象の説明のしかたについて私は、意識経験の観点からもそれを説明できるし、物理学の立場からもそうできると考えておりますから。二通りの考えをそのまま認めてよいでしょうし、おそらく両者は互いに一致することでしょう。」

[『量子力学と意識の役割』67頁~68頁]

カプラ教授の言うように、一般に現代人は唯物論の線にそって「意識」というものを考えている。つまり物質の所産である副次的なもの、はじめに物質ありき、である。物質なしに意識もない。
ところが、その逆に「純粋意識」というものがある。
物質があってはじめて意識が生まれるというのでなく、ある意味で、別に物質と関係なく、独立して意識というものがある。この二つを相補的に取り扱ってよいか、と質問したのである。
相補的ということは、AとBという互いに矛盾に見えるものを両者とも受け入れて理論を構築することである。
光子の粒としての性質と波としての性質を、たとえ矛盾と見えても、現実を受け入れることである。そのように、物質あっての意識という考えと、物質と関係のない純粋意識の存在の考えの両方を受け入れてよいのか、との質問である。それに対して、ノーベル賞物理学者のジョセフソン教授が「まったく同感です」と答えているのである。これは何を意味するのか。
現在のトップレベルの物理学者たちが「純粋意識」の存在を確信しているのである

[奥山実牧師]



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