【不安と葛藤の日々】ありのままの自分の重みが何トンもあるのだから
週の初めのスケジュールに1日もフリーの日がないことにため息をつき、今日は朝から用事をこなしにでかけた。
夕方には自宅に帰ってこれたので、今日はたくさん文章を書こう。
私はいつも、「ありのまま」がいいと人に言い、また自分にもそうしていこうとありのままで生きている。
だけど私のありのままの姿は時として人に忌み嫌われ、妬まれ、いがまれ、引かれたり、重たがられたり、色々だ。
こうやって人から思われる色々なことを受けているうちに私の「個性」は世界中全員の人が受け入れてくれるものではないということはわかってきた。
わかっていても、直接言われたり、少しずつ人が離れていくと、
そんなにも私のありのままは気持ちが悪いのだろうか。
という風な感情が芽生える。
気にしなくていい、と人はいう。
でも気にするよね、人だから。
私のありのままの姿を表現するのに一番なのは文章で、その次に絵や写真、そして歌。色々な方法で自己表現をすることができるが、その中でも私の書く文章は何トンもの重みを感じさせたり、近づきたくないようなオーラを放つものを生み出してしまうようだった。
私は、私がその時感じたことを思うままに書いているだけなのに。
ありのままでいることが、本当にいいことなのか?わからなくなった。
人に嫌われることを恐れずにいられたらきっと、そんなもの気にならなくなるだろう。
だけど私は変化に弱い。
「この間まで普通に話していたのに」と押し寄せてくる不安のせいで、
「嫌われることを恐れない」でいることが難しい。
好きでもない人に何を思われていようが耳に入らなければどうでもいい。
だけど大好きだった人たち、仲良くしたかった人たち、信頼していた人たちがどんどんと「ありのままの私の文章」に、やばいやつだ、きもちわるいと感じ、いなくなってしまう。
知らないところで陰口を言い、突然もう関わりません、と言われたあの出来事は、本当にトラウマだった。
結局、私はいつも一人だ。
向き合うのはいつも私自身で、私はいつも、私の心の中にいて、
そこからなかなか出ることが出来ない。
私は、現実世界に馴染めない。
今連絡を取っている人はいるけれど、誰かと話すということが極度に怖くなってしまい、前みたいに音声でコミュニケーションを取ることが怖くなった。信頼できる人との電話すら、今は怖い。
いろんな「こわい」がこの世にはある。
だけど、私の中の私だけの世界にはそんなものはない。
また、このひんやりとしたうす暗い暗闇の穴の中で一人佇んでいる。
誰かの声は、聴こえるようなきがする。でももうわからない。前よりもその薄暗い穴は、ずっと深くなっている。
そこにいると孤独だが、傷つくこともないから暗がりでも安心できる。
私は今、「生かされている」ような状態だ。
ありのままの自分を良いね、素敵だよと
声をかけてあげることができない。
私しかいないのに、私が私の味方じゃなくなったらどうなってしまうだろう。そこにはもう、生きる希望がなくなってしまう。
もう少し、もう少ししたら色々と変わってくる。
それはわかっていても、怖いのだ。
今は少しこの、ひんやりとした暗闇から外に出たくない。
それでも私は書き続けるのをやめない。ありのままのこの文章を気持ち悪いと思われても嫌われても書き記し続ける。
これは、誰かのために書いているわけじゃない。
誰かのための文章なんて私には書けない。
私が、私の指が勝手に動くからそれを必死で追っているだけだ。ありのままの自分は人に嫌われてしまうけれど、それでも言葉はなくなることはない。
それが私の唯一の、生きている証だ。
山口葵
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