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スピリチュアルと現実をつなぐ「超現実的主義」を守る

ある人が、仕事の転職について悩んでいたので話を聞いていた。

 現在の仕事を続けていくか、それとも新しいところに変わるか。私なりに話を聞いていたけど、その中で自分の「腑に落ちる答え方」が気になった。

 過去のブログにたくさん書いていたのだが、2年ほど前は自分と向き合ううちにスピリチュアルの世界にどっぷりと入ってしまっていた。

意図せず近くなった私は、夢で神託をもらったり、何かを感じ取ることに敏感になった。

 こんなことを人に言うと笑われるだろうからあまり言わないが、「木と対話できる」というのは大自然の中で育ったせいか、小さな頃から当たり前にあった感覚だ。

木も、草花も「静」で、今あるものに同調や受け答えはするが 抗うことはないし、自分に起こるものをそのまま受け止めている。
いたい、つらい、かなしいという感情も彼らにはあるだろう。
でも、だからといって恨みつらみを言うとか、呪いをかけるだとかそんなことはしない。
嬉しい時も、突然花を咲かせたりだとか、そんなことはしない。
すべては自然のまま、静かにその状況を受け止める。
良くも悪くも、同調と流れに身をまかせる姿勢をやめることはないのだ。

そこで私はその人にこの「木の考え方」を伝えようとした。

 この考え方は普遍的であるし、取り入れることでいい方向に向かうことを私は体感している。悩んでいる人に対してはとても適切な考え方で、心も多少軽くなるのではないだろうかと思った。

 だけど、普通に過ごしてスピリチュアルをあまり意識していない人にこういったことを伝えるのはとても難しい。

 その方は、私が「そういうところがある」ことを理解しているからまだ話しやすかったが、耐性のない人の相談でいきなり「私、木の気持ちがわかるんですけど~」って言ったって何を言ってるんだこいつ…くらいにしか思わないだろう。

今、私がスピリチュアルに染まり切りたくないのはそれが大きな理由で、
こちら側の話を受け入れることが出来る人と出来ない人に分かれてしまうからだ。見えない世界と繋がりを持ち、教えられてきたことは本当に自分のためになっていると心から感じる。

 だけど、人は自分で実感しないと信じることはできない生き物なのだ。

いきなり「魂が~」「きつねが~」って言われてもスピリチュアルから離れている人は「やばいやつがなんか言ってる…」と、きっと聴く耳を持たないだろう。

 私はスピリチュアルだけを通してお金をもらうつもりは今後もないし、何かを売ったり団体に勧誘するつもりもさらさらない。だけど、そういう人たちを否定しない。言っていることやもらっている言葉などはだいたいは理解できるからだ。

 なぜならそれは、同じ場所からの教えだから。そう、人は誰でも意識さえ変えれば同じ場所から同じ教えを得ることができる。

 スピリチュアルを仕事にしている人はその言葉を受け取れる訓練を人に与えているのだろう。(この場合、詐欺のような人物は除く)

彼女たちを見ていても思うが、

私の役割はそこではないのかな、と感じる。

ではスピリチュアルの意識を多少持ちあわせながら、万人に「説得力のある人間」となるのはどうすればいいのか。

より直接的に、人にこの文章を書く能力や絵、手で触れるなどを通して何かを伝えないといけない。

自ら飛び込んでくれる人は聴いてくれても現実世界に浸かっている人に、
スピリチュアルの世界からの声は届きにくい。

だけど、

言葉にすれば、心に響く。絵や歌にすれば目に、耳に響くのだ。

そしてまた、手で直接触れることによって、「超現実的」に心のもやを晴らし解決に導いていける。

手当という言葉があるように、人を癒す、治すには触れることはとても有効だ。マッサージの仕事をしていた時も、そう感じた。

私はこれから、色々な「スピリチュアルの世界で学んできた教え」を
「自分の言葉や表現」に起こしていかないといけない。

きつねや木をダイレクトに伝えても、現実世界の人は頭に入らない。

だからこそ姿が見えないのだ。

それを現実にすくいあげることこそ、
世界と世界を、つなぐ役割となるのだろう。


本日加筆修正記事。新しい文字を書けそうにないため。


山口葵

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