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noteを初めて1周年。1年間文章を書いて感じた想い、諦めなかったこと。

noteをはじめて1年が経ったと、お知らせに出てきた。

noteは何度も挑戦してはなぜか続かなくて、「とりあえず長文が書けるところが欲しい」と思いはじめたものだった。

この頃の私は今のTwitterになる前のクラハ友達が観ている200人ほどのフォロワーのアカウントで、毎日つぶやき続けていた。

私のつぶやきを「面白い」という人がたくさんいる反面で
「きもちわるい」「メンヘラだ」という人がいた。

1年前の日記にも書いているが、私は高校の頃から文章を書き続けていて、「文章がとても好きだ」と言われるか「気持ち悪い」と言われるか、二択の感想をいただくことがほとんどだった。

Twitterを活発に動かしていたので、見る人が増えそのような二極化することはある程度想定内だったが。「きもちわるい」と言われると素直にショックで何度もアカウントを消そうとしては止められた。

ある日、そんな私の更新頻度や内容を「キモい」と言った人がいた。
とても、心の喉にひっかかってちくりとするような、そんな言葉だった。

その言葉は言われてからしばらくしても、時々思い返していた。

私の心から出てくる言葉はありのままで、ありのままを文字として世に出すのは気持ち悪い行為なのだろうか。高校時代から今までもたびたび、言われることはあった。

「お前の行動や考えは、きもちわるい」
「調子に乗るな」


更新のたびにチェックをしては私の言葉に文句をつける人というのは何度も遭遇した。だからどんどんと公開する幅を縮小していき、そう言うことを言わない人にしか見えなくして、もうずいぶんと長い間、ネットでは非公開の空間に閉じこもっていた。

この「山口葵」という私になってから、SNSを公開して更新し続けているが、最初はそういった言葉を避け気を遣いながら文字を綴っていたように思う。

少しずつ自分の言葉が出始めたころに、たくさんの人から文章が面白いと言われることが増えた。

面白いには色々な種類がある。

興味深い。笑える。なんだか気になる。言葉遊びが楽しい。

これらは全て「面白い」だ。そのような言葉を貰うようになったことは

ありのままの自分でいいのか、と思えるきっかけだった。

そんな思いを持ってからの、あの「キモい」の言葉は、今まで言われたどんな一言よりも心に刻まれた。

この「ありのままの言葉」は、面白くもなり、気持ち悪くもなるのか。そう考えるようになった。

それはなぜだろう?自分に問いかける。

私が、私の人生をがむしゃらに生きているからだ。

私が文章を書き続ける理由|山口葵

これは私が友人と思っていた人から言われた言葉だった。色々な人から色々な感想を言われ、不思議に感じて考えたことだったのだ。

その頃に思い描いていたのは「何もない普通の人間になりたい」ということ。私の個性が邪魔をして、人に嫌われ、気持ち悪がられてしまう。うまくいかなかった恋だって、「普通の女」だったなら、うまくいったかもしれないのに。

そんな「個性」なんていらないから、人に迷惑をかけない私になりたい。
そんなことに毎日焦がれる日々だった。

あれから1年。

noteやQuoraをはじめInstagram、stand.fm。
色々なものをひたすらやり続けた。そうするうちに周りからの言葉は不思議とあのようなマイナスなことを言われることが減っていった。

そして、多くの、多くの応援。好きだという言葉。
たくさん聴こえるようになった。

もしかしたら去年からその言葉を伝えてくれる人がいたのかもしれない、だけどそれを「私が」受け入れられなかった。

まだまだ受け入れられる私じゃなかった。

「個性」を武器にする。

簡単なようでとても難しく感じた。自信がないと、前に進めないからだ。

去年の「普通でいたい」という想いがまさに、武器すら投げ捨てて座り込むことしかできない状態に陥っていた証拠だった。

それでも諦めなかった、がむしゃらに生きることを。

自分の個性がしっかりと武器になっていると気付く頃には、私はあの頃の山口葵とはまったく違っていた。

自分らしく、自分らしくと私を見つめながら道を歩いた。
色々な自分らしい可能性がたくさん見つけられることができた。

くじけるようなことがこれからもし起きても、この1年間での成功体験は私の人生の励みになり続けることだろう。

山口葵


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