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ベスハチとの出会い② 前身バンドと歩む、ライヴ現場の世界・初期編

【前回記事↓】ベスハチの前身バンドとの出会いまで

前回とうとう、
Elizabeth.eight(エリザベス・エイト)こと
ベスハチ の、
前身バンドとの出会いについて書いた。

今回は、
ベスハチの前身バンド
the lovemachine (ラヴマ)』と
出会ってからの事を少々書いていく。

当時の日記のサルベージがかなわず多少の記憶違いはあるかと思うが、
幸いにも資料だけは多く残っているので、
それらと照らし合わせつつ。
わたしがラヴマからベスハチを追いかけていた、
初期の時代の話になる。


如何にしてベスハチの音楽にたどり着いたか。
わたしの通ってきた道と少しでも道が重なるのであれば、
これからこれを読むあなたには、
ベスハチを好きになる素質や素養がある。
そう思う。






▼ ライヴハウス通い、はじめました


the lovemachine
こと ラヴマ のライヴを生で体感したことで、急激にハマったわたし。
2002年のことだ。

あれだけ、
最初に行くライヴは絶対バンプだ
と息巻いていたのに、
気付いたらラヴマのライヴ会場にいた。

the lovemachine というバンドの音楽は、
そのくらいの衝動に走らせる魅力があった。


衝動的に行った最初のライヴは、
記憶が正しければ2002年4月頃。

普段からインドアな趣味で生きていたため、
ちょっとした遠出、と言えば
せいぜい東京ビッグサイトで行われるコミックマーケットだとか、
自分たちの同人サークルで作った本を売るための地方都市の同人誌即売イベントくらいのもの。

それがラヴマにハマった事で、
数少ない遠出の行き先の中に
埼玉 北浦和エアーズ が加わることとなる。

(HPのデザインが当時と全く変わらず、なつかしすぎて泣いた)

ラヴマは当時から頻繁にライヴをやっていたが、
平日のライヴが多く、
出演するライヴハウスも専らエアーズだった。

当時のフライヤーの類いの多くは手元に残していた(衝撃)
こちらは北浦和エアーズの母体であるSpiritsという会社の発行する無料配布の冊子。
ラヴマが表紙とあって永久保存せねばの思いだった。
収集・貯め込み癖のある当時の自分、GJ。

表向き真面目風に学生をやっていた身としては
学校をサボって遊びに行くという選択肢は無く、
かといってトチギの田舎から埼玉の北浦和までは
片道だけでも約3時間弱かかっていたため、
行けるのは予定の合う土日のみとなる。

遠方ゆえ行ける回数も限られるなか、
どうにかして絶対また観に来たい!!
CDで聞いたあの曲たちを、生の音で聞きたい!!

そう思わせるには十分の初ライヴ体験だった。

この月刊Spiritsによれば この前年のラヴマは、
演劇的な要素を加えながらのストーリー仕立てのライヴも行なっていたという興味深い話も掲載されており、
それもいつか観られる日が来るのだろうか、
という期待もあった。
(来なかったが)


これ以降、
同年5月の美輪ユータ氏(以下 総帥)の誕生日、
6月の60分ステージ、
7月の通常の対バンライヴと、
立て続けにラヴマのライヴに通った。

どの日のライヴも本当に素晴らしく、
今までに体験したことのない世界観で展開される基本30分のステージではあっという間。
中でも早々に60分ステージが体験できたことで、
より一層生音を浴びる事の気持ちよさを味わうことができたし、
ライヴを観れば観る程に、ラヴマに魅了されていった。


その他の体験として、
短期間のうちに二度三度とラヴマの対バンで見かけるバンドもおり、
中でも AirShooterZhart house といったバンドは印象に残っている。
hart house に至っては
当時としてもすごく良いなと思えるバンドだった事もあり、
解散ライヴにも立ち会ったように思う。
(確かラヴマの対バンで)


チケットの取り置き。
チケット代の他に強制的に付くドリンク代。
持ち時間30分の対バン形式のライヴ。
時間通りに始まることがなく、
出順がわかったとて読めない出演時間。
ライヴ後のアンケート文化。
物理的にも心理的にも近い距離感の出演者。
演奏クオリティこそ素人感のあるバンドもあれど、
TVだけでは出会う事のなかったジャンルの音楽。

地元が遠いゆえ、終電の関係で最後まで観られない日もあった。

しかしラヴマのライヴに通うことで、
ライヴハウスの空気感のようなものを
少しずつインストールしていくような感覚だった。

総帥の誕生日に配られたラヴマのアンケート。
当日のセットリストが書かれている親切仕様。
手元にあるという事は、
この日は書いていなかったのか偶然余ったのか、謎。

最初のライヴ以降、
オタク仲間でバンプ仲間の友人K
(以後のライヴ相方的存在)も連れて行くと、
何回かに一度は誘えば来るくらいには気に入ってくれたようだった。

これをきっかけにして、
お返しとばかりに友人Kが誘ってくるライヴにも足を運ぶようになるのだった。


ただ、一人で来る日の、
ライヴハウスでのライヴとライヴの間に出来る、
アウェーな雰囲気がどうにも苦手だった。
周りのお客さんも、明らかに自分よりは年上であろう者ばかりだ。

場慣れも人慣れもしていないため、
2度目のライヴでようやく物販に顔を出した。

ホールがそこまで広くないため、
人の多い日はホールの外にある非常階段のような寒々とした階段の踊り場に物販が立つ。

当時はスタッフさんに対応していただき、
既に所持していたシングルCD3作の予備用として改めてCDを購入した。

ラヴマの予備用シングル。
以前買ったものからケースが若干仕様変更されている。
背面もクリアなケースのため、
美しいレーベルデザインも映える。


何も考えずに足を運んだ この2度目のライヴは、
偶然にも総帥の誕生日ライヴだった。
ラヴマにはまだハマりたてでもあったので、
メンバーの誕生日に対しても無頓着が過ぎた。

後から知った事だがこの数日前、
当時のラヴマのギターであった岡田氏が脱退したらしく。

少なくともこのライヴ前に刷られたであろうフライヤー。
既にギターが募集されている。

最初に観たライヴは総帥に釘付けだったため、
ギターの岡田氏という方がどんな風貌であったかは全く印象に残っていない。

総帥の誕生日ライヴは急遽、
ラヴマと親交が深いという
DOTというバンドのたつや氏がサポートギターとして入っていた。
その際は物販にも立っていたので、DOTのCDも購入させてもらった。

音楽としては好みのタイプでもあったものの、
DOTのライヴ自体は残念ながら観られずじまいだったので、
あの後真面目に追えていたらと今も後悔しているバンドのひとつだ。

当時エアーズで購入したラヴマの対バン+αのCD。
右上 DOT(たつや氏のバンド)
左上 Child☆Style
下 シザーズ

出演ジャンルも多彩なことと、
ライヴやCD等の作品もひっくるめて、
それぞれにクオリティの度合いや方向性も様々で味わい深い。

ラヴマのメンバーと初めて相対したのは、
このタイミングだったように思う。

若年テンプレオタク女子的な風貌のわたしは、
どう見てもライヴハウスの中で浮いていたし、
どうにも珍しがられているようだった。
(もちろん、邪魔にならない・悪目立ちしない格好ならどんな格好でも良いと思いますけどね!ビバ多様性!)


その日の物販にはラヴマのスタッフさん、
DOTのたつや氏に加え、
当時から楽曲の要として独自の存在感を放つ、
ベースの“コスモ”菅原俊司氏の姿が。

ステージ上での格好良さとは打って変わった朗らかで物腰柔らかな演者ご本人の対応に、
一気に心が解される思いだった。

当時のフライヤー。
シングルCDの案内が入ったものはこれだけだったように思う。
ライヴの度にこうしたフライヤーを作る手間を惜しまない姿勢には大変敬服させられた。

さらにその後のライヴで相対したのは、
抜群の力強さと安定感で楽曲全体のクオリティを支える、
ドラムの和泉大佐”。
背が高く、サングラスをかけたギャングのような出で立ちながらも気さくに接していただき、
そのギャップに驚かされたものだった。


そして7月のライヴ後には初めて、
美輪ユータ総帥”が降臨なされた。
ステージ上でジャガーを携えて歌う、
凛とした佇まいのヴォーカル&ギターのユータ総帥。

ベースの菅原氏とドラムの和泉大佐を斥候として、
満を持して現れたのようでもラスボスのようでもあり、
だだ漏れの大物オーラ
正直ビビっていた。

ただ一度話してみれば、
新参者のわたしをやさしく歓迎してくれた。

当時から神様的な、
易々と触れてはいけない存在感だった事もあり、
下界に降りず遠巻きに眺めさせて欲しかったという思いもあったが、
ライヴハウス初心者の身としては
超強力な味方をつけたような気持ちにもなったのだった。


これも何故か手元にあった、
総帥と初めてお話した日のアンケート。
同行者の余り物だったかもしれない。
セットリスト内の当時よくやっていた曲『U.S.P.』も魅力的な楽曲でとても好きだった。


▼ エアポケット期間、再び音楽開拓へ


そんなこんなで数ヶ月通ったライヴであったが、
ちょうどこの頃から受験に備えるため、
その後しばらくはライヴ自粛という事になった。


そうして受験期間は、
ライヴの行き来やネットに割く時間が減った分、
この年の夏頃放送のTVドラマ『天体観測』
週に一度、鑑賞するのを楽しみに生きていた。

BUMP OF CHICKEN の楽曲『天体観測』から着想を得たドラマで、
しかも劇中使用の楽曲の多くは BUMP OF CHICKEN という、
何故かバンプとは真逆のイメージの、
夏の恋愛青春ドラマである。

バンプのオタクとしては、観ない訳にはいかなかった。

天体観測で秋冬っぽい寒い時期の印象が強かったこともあるが、
少なくとも夏のイメージはないバンプ。

ドラマのテーマ的にもバンプのイメージからかけ離れていた事や、
劇中のどのタイミングでどの楽曲が使われるのかをメモしながら、
時には盛大にツッコミながら、
かじりつきで観た。

元々 男女グループのひと夏の恋愛青春ドラマ的なものが全く好きではなかったため、
ドラマ自体は全く刺さらなかったのだが、

何故ここでこの選曲なのか!?
というような強い感情でツッコミを多々入れていたこともあり、
どういう訳かバンプ熱が再燃した

【↓参考記事】バンプのオタクだった頃の話

ここでバンプに立ち戻ったことで、
音楽的に視野が狭くなりかけていたところに、
若干のストップがかかったように思う。

再び音楽を開拓しようという気持ちが生まれた。

ちょうどこの頃、
ロックバンド ACIDMANアシッドマン)が
短期間に限定シングルを連続リリースしており、
どれも安価で手を出しやすかった事で聴く機会を得た。

これによってしばらくはアシッドマンにもハマったが、
それも間もなく上書きされることとなる。


友人Kと渋谷に訪れた際に通ったスペイン坂。
当時まだそこにあったシネマライズというミニシアター系で有名な映画館の前、
大きく飾られたポスター。

そこに大きく写る松田龍平の、
雰囲気たっぷりの佇まいの美しさに目を奪われた。

松本大洋の漫画短編集をベースに作られた、
『青い春』という映画だった。

その場で観る事はなかったが、
やはり渋谷で見たポスターが頭から離れず。

公開終了間際になって友人Kと共に、
電車で2時間半程かけた先の映画館へ観に行った。

内容は不良もので、劇中には
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTミッシェル・ガン・エレファント
の楽曲が使用されていた。

オープニング曲『赤毛のケリー』

エンディング曲『ドロップ』

この映画の内容自体はもちろん、
劇中で鳴るこれらのミッシェルの音楽に、
完全に心を奪われた

特にドロップ、聴くだけで泣けてきてしまう。
バンプ、ラヴマに続いて、
さらなる音楽の扉が開いた気がした。

しかし、
何故かこの時はまだ本格的にミッシェルの音楽に手を出すことはなく、
しばらくは心の奥にピン止め状態のまま過ごしたのだった。


さらに、この時期には
Syrup16g のメジャーアルバム『coup d'Etat』が発売された事で、
シロップが衝撃を覚える程に格好良いバンドであることに気付いてしまった。
それまでに出ていたインディーズアルバムで持っていたシロップへのイメージは覆されたが、
友人Kもハマらず楽しみの共有もかなわなかったので、
一人密かにシロップへの熱が灯るのだった。

並行して くるり
『さよならストレンジャー』
『TEAM ROCK』
『THE WORLD IS MINE』

等も受験準備期間のお供に、高い頻度で聴いた。
(このラインナップで何故か『図鑑』が抜けている謎)
以下はその当時良く聞いたもの。

くるり『虹』

くるり『ワンダーフォーゲル』

くるり『GO BACK TO CHINA』

くるり『ワールズエンド・スーパーノヴァ』

ただ、くるり は作業中に流し聞きするのにちょうどよく、
当時はさんざん聴いても声を大にして言えるほど好きかというとそこまでの熱は無いかな、という程度に留まった。

ただ、これらのおかげで聴ける音楽の幅が広がったことも間違いない。



▼ 短い自粛期間の終了


音楽の開拓が進む中、
ラヴマからは月1ペースでDMが届いていた。
総帥の直筆メッセージ付きである。

毎回のデザインも凝っていて、コレクション心を擽られた。
直筆で毎月のようにこんなものがいただける良き時代。
受験がんばって!との激励まで書かれていた。
昇天。

DMをもらう事でライヴに行きたい気持ちが爆発しそうにもなったが、
受験のためにと我慢した。


が、

秋頃に届いたDMには、
11月末のライヴ日程と共に衝撃の文言が。

ベースの菅原氏のセクシーなお姿。
トリミングの仕方が絶妙ですごく好きなDMデザイン。

ア ル バ ム 発 売 だって !!!???

ホームページもろくに覗けていなかったため、
DMで初めてこの衝撃情報を知る。
こうしちゃいられない!!!
と、早々に自粛解除を決定

実際のところ、
アルバム発売頃には諸々が終わり結果待ちの時期。
結果が出るまでは自粛のつもりだったし、
合否の結果がわかっていないスリリングな状況ではあるが、

一刻も早くラヴマのライヴを観たいことと、
いち早く新しいラヴマの音というものを聴きたかったこともあり、
やや早い段階での自粛解除となってしまった。



数ヶ月ぶりの北浦和エアーズ。
この日も既存の曲のみのライヴであったように思うが、
当時もまだギターにはサポートが入っており、
この日のイベント企画者でもあった hart house のメンバーが担っていた。

それでも久しぶりのラヴマの生音は、
何もない砂漠でようやく手に入れた水のように、
心も体も潤した。

そしていざ物販へ。

ラヴマの初めてのアルバム『命題0』。
収録曲は
1.命題0(0バージョン)
2.薔薇色ギミック
3.アンタレス
4.素敵なパラノイア
5.腐敗しない時間
6.エンドロール

エンドロール』が収録されている!!!!(大興奮)
当時の楽曲の中でも、『常夜灯』に続いて好きだった曲だ。

その他は、
素敵なパラノイア』以外はライヴで聞いたことのない曲。

早く聴きたい気持ちを抑えて、
物販に立っていたメンバーに勢いでお願いし、
御三方からCDにサインをもらった。

「サイン!?」と少々びっくりされたものの、
きっちりかっこいいサインをいただけて満足。

しかし当時、
サイン入りCDと実際に聴く用のCDを分けて買おうという発想がなく、
気付けば結構な使用感のあるケースとなってしまった。

わたしとあろう者が、予備を買わないとはなにごとか。


▼ 現場復帰も束の間


その後の12月。
ギターの正式メンバーが中々決まらず、
時折3ピースで活動することもあったラヴマ。

わたしのライヴ現場復帰後 早々に、
この年の年末のライヴをもって
無期限活動休止との告知がされた。

アルバムも発売したてで、
これからこの中の楽曲が聴けるであろう日を夢見る中でのことだった。


2002年12月30日。
年末スペシャルと題されたライヴは、

ギターヴォーカルのユータ総帥
ベースの菅原氏
ドラムの和泉大佐

のみによる、
3ピースの編成で敢行された。

演奏曲は、
まるで the lovemachine という映画作品の終わりとでも言うような、
エンドロール
の わずか1曲のみ。

それ自体が、映画の中の出来事のようだった。

しかし、
活動休止という事実や、
このエンドロールという曲のチョイスを目の当たりにしても、
不思議と悲観的な気持ちにはならなかった。

絶対に彼らは戻ってくる。

『無期限』休止 であるにも関わらず、
何故か、そういう確信があった。


そうしてこの2002年12月の年末ライヴを最後に、
ザ・ラヴマシンは休止期間へと突入していった。


次回へ つづく。


ミッシェルの事書いたら絶対貼ろうと思ってたやつ。

わたし自身はライヴから離れていた時期の楽曲ではあるが、
どことなくミッシェルを彷彿させる曲でもあり、
テイスト的にも大好物すぎる曲。

👑 Elizabeth.eight(エリザベス エイト)

Webサイト
https://beth8.net/

YouTube公式チャンネル
https://m.youtube.com/@ELIZABETHEIGHT

X(旧 Twitter)
https://twitter.com/ELIZABETH_EIGHT

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