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あんからの昔話

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私の小さかった頃の出来事や、家族について書いた記事をまとめています
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3.11の思い出

3.11の思い出

3.11がやってきました。noteを始めて初めての3.11。あの時をnoteに残しておきたいと思い、つづってみます。

仕事のお昼休憩中、友人とLINEをしていました。ちょっと忙しくなって予定の日が行けなくなった連絡。また調整しよう、と送った瞬間に地震がきました。休憩室のテレビをおさえる人、テーブルをおさえる人、窓側にいた私はブラインドがゆれまくっているため危険を感じ、反対の壁へ移動したいのですが

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今だから言える「お父さん大好き」~父その1

今だから言える「お父さん大好き」~父その1

父との楽しい思い出がある私は良いほうなのだと思っている。父親との思い出が、消してしまいたい思い出となっている人も現実にいるから。。。

もう亡くなって15年くらいになる。私は父が40の時の子だ。

仕事一本でかまってもらった記憶が少ない幼い頃。でも父が仕事している姿が好きで、自宅にある仕事場へのぞきに行っては連れ出された。

父の買い物について行ったある日、私はトイレに行きたくなったが、なぜか「ト

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躁うつ病高校生が一浪して大学で一人暮らしするまで~私その2

躁うつ病高校生が一浪して大学で一人暮らしするまで~私その2

その1で、大検に合格して記念受験したまでを書かせていただいたので、もう少し続きを。。。

大手の進学塾に手続きする。入塾試験では、担任に驚かれるほどの成績の悪さだった。とにかく英語の単語数がない。塾の席順は成績順。2クラスある下のクラスの後列からスタートした。いくら皆さん大学受験に失敗したとはいえ、相応に受験生活していた人たちだ。前の方にたくさんいる同級生に追いつけるよう、予習復習自習室という毎日

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躁うつ病という病名をもらうまでから大検に受かるまで~私その1

躁うつ病という病名をもらうまでから大検に受かるまで~私その1

兄とのことを書いていたので、自分のことだけ書いてみようと思う。

小学校から内部進学的に中学校へ行って、同じ学校のはずなのに、外部の人が入るだけで、小学校の仲良し組の数人が他の中学校へ行ってしまっただけで、学校がガラッと変わる感じだった。

それでもカラーはいくぶん踏襲されており、外部からの友だちも増えた。内部進学はゆったりした人間が多いが、さすが戦ってきた人たちだけあって外部の人は何につけ優秀だ

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大学で家を出て兄から解放されてから~兄と私その3

大学で家を出て兄から解放されてから~兄と私その3

とうとうその3に突入。この間の躁うつ病話はおいおいするとして。

一浪して、とにかく自宅通学が絶対無理、という大学を受け、受かるしかない。ありがたいことに、来ていいよ、という大学があって、合格が信じられず母の友人が掲示板を見に行ってくれた。

大学あっせんの住み込み家族が管理してくれているアパートに決めて、引っ越し。最低限しか入らないから荷物は季節ごと送り返したりする。

大学は休みが異常に長いの

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躁うつ病の妹が大検を受ける~兄と私その2

躁うつ病の妹が大検を受ける~兄と私その2

兄が嫌いだった思春期。苦手と書くまでに数十年かかっている。

私自身のことはまとめて書きたいかも、ということもあり、書き方に困っているが、とにかく書いてみよう。

私の知らぬところで、兄から母がまもってくれていたに違いない。父も母も大好きだから、泣かさないようにするにはどうしたらよいのだろう?でも学校にはいけない。何をしたらいいんだろう?

病名がついて半年くらいは何もしていなかった。寝て、兄に見

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家族のこと~兄その1

家族のこと~兄その1

私は兄が苦手だ。苦手と書けているのは今だからで、昔は兄が嫌いだった。

兄は私を「さる」と呼んでいた。一回り以上も離れていたから、ちょろちょろする姿は猿だったんだと思う。そして、私の耳を引っ張って遊ぶので、私はよく泣いて母や祖母にひっついていた。

小さい頃ボール投げで遊んでくれた。家の中で遊べるスポンジボール。兄は時々私の顔面ねらいをする(絶対そう)。へらへらとした顔は忘れない。私は泣いて言いつ

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