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目は口以上にものを言う

  久しぶりに息子とお出かけしています。買いたい洋服があったらしく、ついでに串揚げ屋さんでランチです。息子とは長い付き合いです(当たり前ですが)。野球やサッカーを一緒にやり、魚つりをしたり、山に探検に行ったり川で手作りの小舟を走らせたり、童話発表会に向けて音読や暗記の練習をして大きな会場に向かったり、本当にいろんなことがありました。

 ご飯を食べながら、なんとなく将来の話なんかもして、少しづつ話す内容や仕草なんかも大人になってきたなぁと思います。

 小さな頃は引っ込み思案で大人しい感じの子でしたが、今では私にダメ出ししてくれたり、アドバイスしてくれたり、とても頼もしい存在です。

 大きく変わったなぁと思うのは、人の目をしっかり見て堂々と話せるようになった事です。前はどことなく自信がない感じで、控えめな雰囲気がありました。高校生の時学校に行けなくなり、対人恐怖症になりかけたり、適応障害と診断されたり、本人も辛かったと思います。親として、してあげれることは限られていて、自分で殻を破ってくれるのを待つしかありませんでした。今では自分にも目標があるようです。深くは聞きませんが、その夢を語る時、目がキラキラ輝いているように見えて、私はそれが一番嬉しいです。子供は生まれながらに宝石のような存在です。その輝きは、大きくなっても目の奥にずっと残りつづけていくのだと思います。
 
 この子が生まれて間もない頃、当時は妻の実家のある新潟に住んでいました。ある冬の日、息子が高熱を出し、私達夫婦はあたふた。朝病院へ行き、心配になってお昼も行き、先生に診てもらいました。とにかく不安で、誰か専門の人にそばにいてほしかったのだと思います。優しい女性の先生で、笑いながら、「いつでも来てくださいね。初めてのお子さんだからなおさら心配ですもんね。何回でもいらしてくださいね」そう言ってくださる姿と言葉がどれだけ温かったことか。

 翌日の夕方過ぎ、高熱に加え嘔吐もあり、慌ててその病院へ連絡し診てもらうことになったのですが、かなりの大雪で途中から車で進めない状況になりました。安全な場所に一旦車を停めて妻と話し合い、私が息子を連れそこから歩いて病院へ向かう決定をしました。ベビー服の上から厚手のおくるみを巻き、フカフカの毛布でしっかりくるんで私は息子を抱っこして歩きました。何かあればすぐに引き返せばいい、このくらいの雪、負けてたまるか、そう思いながら息子の顔を覗くと、私の顔をじーっと見ています。私も息子の目をずっと見ながら白い息を吐き吐き歩き続けました。
それが息子との、初めての真剣な会話だったような気がします。息子は日が変わって熱が下がり、体に発疹が出来ていました。いわゆる突発性発疹だったようです。

 幼い頃は本当によく病気になり、食も細くて心配ばかりしていましたが、今ではもう私の倍以上のご飯を食べ、筋肉もついて、だいぶ男らしく成長してくれました。

 午後からは自分用のピアスを見て、彼女の誕生日プレゼントを買いたいそうなので、私もネックレスと指輪を探してみようかなと思っています。

 父親として、自分はちゃんとした背中をこの子に見せて来れたかな。頼りない背中じゃなかっただろうか? いくつになっても自分にだけはあまり自信が持てない毎日ですが、元気に長生きしたいと思っています。その理由は、自分の子供として生まれて来てくれた恩返しをしたいからです。子供達には無限の可能性があり、果てしない希望に溢れていると思います。もちろんそればかりじゃないし、辛い現実の方がはるかに多い。

この二十年、この子達の目の輝きのおかげで私は道に迷うことなく歩いて来れたような気がします。だから今度は、この子達が何かにつまずきそうになった時に、私が背中をそっと押してあげたいと思っています。いつの間にか大きくなったその頼り甲斐のある逞しい背中を、次は私が支える番だと思っています。


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