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とんとん、とん

個人的な話で恐縮なのですが、私は現在パニック障害の治療の為、月に一度病院に通っています。
長年の付き合いである主治医、薬剤師の方とのカウンセリングと、数種類の薬による治療を施してもらっています。

日々の薬の服用はもちろん、適度に運動をしたり、ストレッチなどを日課的に行うことがとても大事だとのアドバイスを受け、毎朝仕事前、そして夕ご飯の前か食後に、計三時間ほどウォーキングをしています。

晴れた日は飲み物を持ち、雨の日は傘をさして歩いています。
いつもの見慣れた田舎道ですが、時に新しい出会いや発見があり、私にとってはとても大事な毎日の日課となっています。

私は都会の喧騒も独特の趣きと哀愁があって好きなのですが、こういう田舎の山道や海辺の道路も大好きで、仕事が休みの日はたまにお弁当を作ってハイキング気分で出かけることもあります。
海岸の大きな石に腰掛け、海風を頬に浴びながら食べるおにぎりは、また特別な味わいとなって身体に栄養を与えてくれる気がするから不思議です。
お茶もコーヒーも、普段飲んでいるのと全く変わらないのに、なぜか美味しく感じてウキウキします。

自然の声や音がとても心地良いのです。

耳を澄ますといろんな音色が聞こえて来ます。
頭の中をキレイに掃除してくれる波飛沫の音。
心の澱みを洗い流してくれる海鳥の声。
皮膚を若返らせてくれるかのような甘酸っぱいそよ風の優しさ。

人工的に創られる音も、自然が発する音色も、人の心を優しくし、時に勇気や感動を与えてくれると思っています。

私は、身の回りにあるたくさんの音の中で、特にお気に入りの音が三つあります。

ひとつは、台所から聞こえてくる懐かしい音です。

妻がまだ生きている頃、私たち夫婦は東京の世田谷にあるアパートに住んでいました。
妻は料理がとても好きな女性で、私が仕事に行く時は必ず手作りのお弁当を持たせてくれました。
お腹が大きくてつわりの時も、風邪をこじらせ少し熱がある時も、大きな二つのおにぎりと、たまご焼きや栄養たっぷりのしょうが焼きなどを朝早くに起きて作ってくれました。

とても恥ずかしい話なのですが、私は知人の借金を肩代わりしていた時期があり、二つの仕事を当時に掛け持ちしていました。
朝早く出掛け、終電で家路に着く日もあり、精神的にも身体的にも疲労していました。
たまの休みの日は、日頃の疲れからかお昼過ぎまで眠る日も珍しくありませんでした。
自分の為、家族の為、プライドと責任の為と言い聞かせながら生活していても、ふと弱音を吐きたくなったり投げ出したくなる時も正直ありました。
そんな時、ふと目を覚まして布団の中でゴロゴロしていると、いつも台所から妻の料理の香りに交じって軽快な包丁とまな板の音が耳に入って来ました。それがとても心地よく幸せで、私はよく二度寝をしていました。


ふたつ目は、娘が私の部屋のドアをノックしてくれる音です。

私には二人の子供がいます。
息子が一歳半、娘が産まれて半年の時、妻が病気で他界しました。
子供達を連れ実家に帰ったのですが、三十を過ぎてからの転職や、慣れない育児と睡眠不足などから自身が体調を壊し、しばらく入院したことがありました。退院してもすぐには復帰がかなわず、自宅で療養をしていました。

そんな時、まだ小さかった娘が私の体調を心配して様子をよく見に来てくれました。必ずドアをノックして、「パパ、大丈夫?何か欲しいものない?」
と聞いてくれたので、いつもブラックコーヒーを頼んでいました。
美味しそうに飲む私を見ている娘に、「ちょっと飲んでみる?若菜が作ってくれたコーヒー美味しいよ」と言って試しに飲ませると、慣れない苦味に娘はむせて咳き込んでしまいました。

それからも娘は高校生になって親元を離れるまで、いつも私の具合が悪い時には部屋をノックして、何か飲み物や食べ物を持って来てくれました。


みっつ目は、懐かしい息子の手のひらの音です。

子供達は二人して、よく病気に罹っていました。
仕方ないことではあるのですが、保育園で流行る嘔吐下痢症やインフルエンザ、季節性の風邪などによく罹患し、私もその度仕事を休んだり早退や遅刻なども同じくらいの風物詩でした。

娘がよく熱性けいれんを起こし、幾度となく点滴や治療のため入院をしていました。
息子も同時に病気に罹った時は、同じ病室のベッドに並んで入院となり、私は家からクッションと毛布を持ってきて一緒に泊まり、病室から仕事へ出掛けてまた戻る生活を送っていたのも、今にして思えばいい思い出と笑い話であり、鍋料理と共にいいお酒のつまみとなってくれます。

ある日、娘の咳がなかなか治らずに熱も高い夜がありました。
シロップを飲ませ、座薬を入れてあげても熱性けいれんの心配があるので、私も注意して様子を見ていました。
私達親子三人は、部屋の真ん中に布団を二枚ひき、私を真ん中にしていつも三人で寝ていました。
夜中三時頃、娘の熱も下がったので飲み物を飲ませてトイレに連れて行き、また布団に戻って髪を撫でたり汗を軽く拭いたりしながら寝かしつけていました。私も安心したのかついウトウトしていました。

何か私の背中に当たる感覚がずっとしていたので、「おや?」と思って背中の方を見ると、息子が私の背中を優しくたたいてくれていました。

「どうしたの?夜中なのに眠くないの?」

と尋ねると、私が毎日あまり寝れていないのを知っていたようで、少しでも眠れるようにと背中をとんとんと、たたいてくれていたようです。

保育園のお昼寝の時間に、先生が年少組の小さな子供の背中を軽くたたきながら子守唄を歌っていたのを覚えていたらしく、どうやらその真似をしていたみたいでした。
その後、ぐっすり眠れました。
そんな風に、いつも三人で寝ていました。

私はこの「とんとん」という、三つの小さな家族の音に支えられ、背中を押されて生きて来たような気がします。

雨風の音にかき消されてしまいそうな小さな音ですが、暗い夜道や嵐の中でも道をはっきりと照らしてくれる、頼もしい力です。

やがて歳を取って、目や耳や身体のあちこちが言うことを聞かなくなり、たとえ老いていくとしても、前に進もうと思っています。

心に点火した音の灯火が燃え続ける限り、
あしたの明日の、その先に。




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