#アニメてにをは

アニメ論考「アニメの『てにをは』事始め」を、2021年『熱風』にて連載。『もののけ姫』…

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アニメ論考「アニメの『てにをは』事始め」を、2021年『熱風』にて連載。『もののけ姫』と『となりの山田くん』で演出助手をしました。アニメーターじゃないんです。宮崎駿さんからいただいたあだ名は「逸材くん」。本名は石曽根正勝です。

マガジン

  • ジブリのてにをは~基礎講座シリーズです

    ジブリ作品を楽しむための、アニメの基礎的表現について説明していきます。

  • 『話の話』を記述する

    30数分の短編アニメ『話の話』(ユーリー・ノルシュテイン監督)の画面を、ひたすら・全編、記述します。

  • 魔女の宅急便@ほぼ全画面分析

    ストーリーでなくテーマでなく「アニメ固有の表現」を『魔女の宅急便』に沿ってみていきます。

  • 東小金井村塾@ジブリのこと

    ジブリで行われた東小金井村塾で起きたことをすべて書きました。 わたしはこの塾で宮崎駿に抜擢されジブリに入社した、いわば因縁の塾です。

  • アニメてにをは~ダイジェスト集その1

    あちこちに散らばって掲載されていた『アニメてにをは』な視点によるジブリ作品分析集です。

記事一覧

固定された記事

ご挨拶『アニメてにをは』が出来るまで。

『アニメてにをは』のページへようこそ。 この『アニメてにをは」のnoteは、 ①アニメの画面分析 ②ときどき読書関係 の文章を発表していく趣旨でやっています。 ★1.…

宮崎アニメのおはなし2023(その4でおわり)~とりあえずの結論へ

まずは前回分のリンクを貼っておきます。 「bookを使って、セルがセルをまたぎ、立体的な3層の構造が現れる」例を、もうひとつだけ具体的にあげてみてみましょう。『とな…

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宮崎アニメのおはなし2023(その3)~セルがセルをまたぐ話

まずは前回分のリンクを貼っておきます。  さて、引き続き、今回の本題・「セルがセルをまたぐ表現」についての話に入っていきます。  多くの観客、また多くのつくり手…

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宮崎アニメのおはなし2023(その2)~3層構造のおさらい

 この記事は、日本近代文学会北海道支部例会2023年9月23日にて行われた発表「セルがセルをまたぐときーアニメの表現を記述する試み」を(カットした箇所も復元した)再掲…

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宮崎アニメのおはなし2023(その1)~「似ている」性

 この記事は、日本近代文学会北海道支部例会2023年9月23日にて行われた発表「セルがセルをまたぐときーアニメの表現を記述する試み」を(カットした箇所も復元した)再掲…

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『話の話』を記述する(その24~テーブルクロス)

 さて閑話が長くなった。もとの『全画面分析の記述』にもどろう。  画面の続きを見ていこう。カットとしては「永遠」のシーンがミノタウロスのぎこちない縄跳びシーンで…

『話の話』を記述する(その23~このつづきものの基礎的立ち位置について3)

あらすじで理解する……それで何がわかるだろう? クレア・キッソン『「話の話」の話』から、あらすじ的な記述を引いてみよう。 【雨の中のリンゴ、赤ん坊が大きな乳房を吸…

魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その16(で、終わり)

ストーリーやテーマには関わらずに、アニメの【表現そのもの】に注視します。 そういう試み=「アニメの・てにをは」は、『魔女の宅急便』編その16をお送ります。 今回で…

『話の話』を記述する(その22~このつづきものの基礎的な立ち位置について2)

 しかしそれにしても、アニメを「ジャンルとして固有な・視覚的な表現」を判別する手段・アプローチはまだまだ貧弱である。その欠をここに補おうとしている。  さてこう…

魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その15

ストーリーやテーマに注目するのではなくて、アニメの【表現そのもの】を見据えます。 そういう試み=「アニメの・てにをは」は、『魔女の宅急便』編のその15をお送りし…

【元ジブリを自称してやまない、吉田自由児の未練】

wikiを何度も書き直しているんですが、いつのまにか元に戻っている。 だからあなたはジブリじゃないんですって。 吉田自由児氏の「元ジブリだった」妄念はすごいものがあり…

魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その14

前回分はこちら 【332】 ウルスラの描いた絵が、角度を変えて・斜めから呈示されています。 これまでは絵を正面からとらえているので、同じ素材を使いまわしている(同…

猫鍋さまへの返信~アニメにも絵画にも「瞬間(ないしは特権的瞬間)」はないことについて

 返信にお時間かかりすみません。  以下のわたしの返信は基本的に互いの見解のずれを明らかにさせるものなので、読んでいてあまり快さが訪れないかもしれませんが、ご了…

『話の話』を記述する(その21~このつづきものの基礎的な立ち位置について1)

 このつづきものは、ユーリー・ノルシュテインのアニメ作品『話の話』本編を頭から順々に見ながら、そこに展開される視覚的表現の数々をひとつひとつ説明していくものであ…

『話の話』を記述する(その20~ちょっと能書き)

 切り絵アニメという平面的な素材で表現を開拓してきたこの作者ノルシュテインにとって、絵がひらべったくなることをまったく恐れをいだいてはいない。  現在比較的廉価…

『話の話』を記述する(その19~「永遠」のまとめ)

「永遠」の一回目のシーンはここで終わる。ここまで画面に横溢していた表現の膨大さに記述が追いつかない思いで書いてきて、そのため大局的な画面の見え方を指摘しそれびれ…

ご挨拶『アニメてにをは』が出来るまで。

ご挨拶『アニメてにをは』が出来るまで。

『アニメてにをは』のページへようこそ。

この『アニメてにをは」のnoteは、
①アニメの画面分析
②ときどき読書関係
の文章を発表していく趣旨でやっています。

★1.アニメの画面分析とは?アニメを、具体的な画面にしたがって分析していきます。
たとえば、こんな感じです。

何か不思議な分析だなあ?と思うかも知れません。

わたしの分析の特徴は

①ストーリーやテーマは論じない
②音声を消して画面

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宮崎アニメのおはなし2023(その4でおわり)~とりあえずの結論へ

宮崎アニメのおはなし2023(その4でおわり)~とりあえずの結論へ

まずは前回分のリンクを貼っておきます。

「bookを使って、セルがセルをまたぎ、立体的な3層の構造が現れる」例を、もうひとつだけ具体的にあげてみてみましょう。『となりのトトロ』の終盤クライマックスから。

 これをセルの重なりとして図解すると、こうなります。

 ネコバスの走る田んぼの経路上に、こんもりした茂みを形成するbook①と、大地の高低差がつくる窪みがあるわけです。ネコバスはまずAセルと

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宮崎アニメのおはなし2023(その3)~セルがセルをまたぐ話

宮崎アニメのおはなし2023(その3)~セルがセルをまたぐ話

まずは前回分のリンクを貼っておきます。

 さて、引き続き、今回の本題・「セルがセルをまたぐ表現」についての話に入っていきます。
 多くの観客、また多くのつくり手は、画面の背後に背景画がありさえすれば、それでもう・空間表現として完結されている、と思ってしまいがちです。
 それに対して、宮崎駿というひとは、背景画が担保している「書き割りとしてある・遠近法」だけでは満足せず、空間を3層に切り分けて、画

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宮崎アニメのおはなし2023(その2)~3層構造のおさらい

宮崎アニメのおはなし2023(その2)~3層構造のおさらい

 この記事は、日本近代文学会北海道支部例会2023年9月23日にて行われた発表「セルがセルをまたぐときーアニメの表現を記述する試み」を(カットした箇所も復元した)再掲したものの、第2弾です。

まずは前回分のリンクを貼っておきます。

3.セルまたぎについて~どう評価すべきか?
 さていままでの話をまとめると、アニメにおいては、運動と空間がそれぞれの位相で「似ている」ことによってその特異性を得てい

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宮崎アニメのおはなし2023(その1)~「似ている」性

宮崎アニメのおはなし2023(その1)~「似ている」性

 この記事は、日本近代文学会北海道支部例会2023年9月23日にて行われた発表「セルがセルをまたぐときーアニメの表現を記述する試み」を(カットした箇所も復元した)再掲したものです。

 今回は宮崎アニメで頻繁に散見される、ある・ひとつの表現=「セルまたぎ」についてお話しし、皆さまからご意見をうけたまわりたいと思います。
 率直に言って、この表現=「セルまたぎ」を発見したわたしは、この表現をどう解釈

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『話の話』を記述する(その24~テーブルクロス)

『話の話』を記述する(その24~テーブルクロス)

 さて閑話が長くなった。もとの『全画面分析の記述』にもどろう。
 画面の続きを見ていこう。カットとしては「永遠」のシーンがミノタウロスのぎこちない縄跳びシーンで終わったところ、一瞬の暗闇が挿入された後である。

 シーンは変わり、夜闇に浮かぶ集合住宅を背にして、野外に横に長くテーブルクロスが敷かれ、風にあおられている。

クロスがあおられることで下に見えるテーブルは、間に合わせでくっつけたような・

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『話の話』を記述する(その23~このつづきものの基礎的立ち位置について3)

『話の話』を記述する(その23~このつづきものの基礎的立ち位置について3)

あらすじで理解する……それで何がわかるだろう?
クレア・キッソン『「話の話」の話』から、あらすじ的な記述を引いてみよう。
【雨の中のリンゴ、赤ん坊が大きな乳房を吸っている。それを仔狼があこがれのまなざしで見つめている。男性の声で子守唄「灰色狼の仔がやって来る」が歌われ、タイトルが現れる。
 大きな古びた木造家屋。突然、超自然的な光が家の奥のドアからあふれだし、カメラを中へズームするように誘い、全く

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魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その16(で、終わり)

魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その16(で、終わり)

ストーリーやテーマには関わらずに、アニメの【表現そのもの】に注視します。
そういう試み=「アニメの・てにをは」は、『魔女の宅急便』編その16をお送ります。
今回で『魔女の宅急便』の「てにをは」も終わりです。

前回(その15)はこちら

【394】
まだ飛ぶ力が安定してなくて、デッキブラシとの相性もばっちりではないので、突然落下します。
決定的瞬間を切り取るのはなかなか大変です…

【395】

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『話の話』を記述する(その22~このつづきものの基礎的な立ち位置について2)

『話の話』を記述する(その22~このつづきものの基礎的な立ち位置について2)

 しかしそれにしても、アニメを「ジャンルとして固有な・視覚的な表現」を判別する手段・アプローチはまだまだ貧弱である。その欠をここに補おうとしている。
 さてこうまで大上段に振りかぶりながらも、やるべきことはとても地道な作業だ。
 「てにをは1」という論文は、一種インデックス型・電話帳のような体裁だった。
 床屋について調べたいと思って、この電話帳で調べて、床屋がいくつ、どこにあるかを知る。あるいは

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魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その15

魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その15

ストーリーやテーマに注目するのではなくて、アニメの【表現そのもの】を見据えます。
そういう試み=「アニメの・てにをは」は、『魔女の宅急便』編のその15をお送りします。

前回はこちら

【359】
気球が上空へ【引っ張る】力が作画としてダイナミックに描かれていますね。

【360】
『てにをは論者』としては、この引っ張り上げられる運動が、まさに【斜め奥】方向へ【軌道を描いている】ことに気づきます。

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【元ジブリを自称してやまない、吉田自由児の未練】

【元ジブリを自称してやまない、吉田自由児の未練】

wikiを何度も書き直しているんですが、いつのまにか元に戻っている。
だからあなたはジブリじゃないんですって。
吉田自由児氏の「元ジブリだった」妄念はすごいものがあります。

wikiにこんな項目があります。

東小金井村塾とはジブリが主宰したアニメ演出家を目指す若手養成塾のことです。
この塾の活躍で、宮崎駿さんに注目され、ジブリ入社へと抜擢されたのは、吉田自由児さん……じゃなくて、ぼくなんですよ

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魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その14

魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その14

前回分はこちら

【332】
ウルスラの描いた絵が、角度を変えて・斜めから呈示されています。
これまでは絵を正面からとらえているので、同じ素材を使いまわしている(同一ポジション、いわゆる『同ポジ』)だと思われますが、これはさすがに『同ポジ』ではないですね。
背景さんが同じ絵を描き分けていますね。

【333】
絵(である人物)が絵(キキの顔のデッサン)を描く。
この奇妙さ。
しかも「絵が絵が描く」

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猫鍋さまへの返信~アニメにも絵画にも「瞬間(ないしは特権的瞬間)」はないことについて

猫鍋さまへの返信~アニメにも絵画にも「瞬間(ないしは特権的瞬間)」はないことについて

 返信にお時間かかりすみません。
 以下のわたしの返信は基本的に互いの見解のずれを明らかにさせるものなので、読んでいてあまり快さが訪れないかもしれませんが、ご了承ください。

 まず基本的な誤解ですが写真・実写と違い、アニメーションでは「露光」されていない、という認識です。セルアニメーションは撮影台の上でひとコマひとコマ、カメラに撮影されて「露光」しているからこそ、われわれの視覚に知覚しえているも

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『話の話』を記述する(その21~このつづきものの基礎的な立ち位置について1)

『話の話』を記述する(その21~このつづきものの基礎的な立ち位置について1)

 このつづきものは、ユーリー・ノルシュテインのアニメ作品『話の話』本編を頭から順々に見ながら、そこに展開される視覚的表現の数々をひとつひとつ説明していくものであった。
 そしてついでに言えば、この論文は「アニメの「てにをは」事始め、その2」という意味合いもある。
 「アニメの「てにをは」事始め」という論文は、商業アニメ作家・宮崎駿の表現と日本のセルアニメを視覚的表現に特化して分析するものであり、ジ

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『話の話』を記述する(その20~ちょっと能書き)

『話の話』を記述する(その20~ちょっと能書き)

 切り絵アニメという平面的な素材で表現を開拓してきたこの作者ノルシュテインにとって、絵がひらべったくなることをまったく恐れをいだいてはいない。
 現在比較的廉価で購入できるノルシュテイン作品集DVDを視聴すれば二時間足らずでこれまでの作品をすべて見終えることができる。
そしてこの作者が『いかにひらべったさを・自らの表現の強み』としてきたか確認できるだろうけれど、ここで各作品に立ち入るのは遠慮してお

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『話の話』を記述する(その19~「永遠」のまとめ)

『話の話』を記述する(その19~「永遠」のまとめ)

「永遠」の一回目のシーンはここで終わる。ここまで画面に横溢していた表現の膨大さに記述が追いつかない思いで書いてきて、そのため大局的な画面の見え方を指摘しそれびれるところだった。
 それはこの「永遠」のシーンの画面が、まったく「ひらべったく」出来ていることだ。

このシーンの画面は基本、横一直線上に続く土手を、カメラが右へ移動したり左へ移動したりするだけだ。ときにカメラはズームしたり引いた画角の調整

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