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『話の話』を記述する(その19~「永遠」のまとめ)

「永遠」の一回目のシーンはここで終わる。ここまで画面に横溢していた表現の膨大さに記述が追いつかない思いで書いてきて、そのため大局的な画面の見え方を指摘しそれびれるところだった。
 それはこの「永遠」のシーンの画面が、まったく「ひらべったく」出来ていることだ。

このシーンの画面は基本、横一直線上に続く土手を、カメラが右へ移動したり左へ移動したりするだけだ。ときにカメラはズームしたり引いた画角の調整をしたりするが、それは切り取りたい対象との理想的な距離をはかるためである。
もちろん縄跳びの回転する縄や片足を上げて半回転する詩人の姿や振り向く母親の顔など、平面的でない動きも混ざっている。

しかしこのシーンを支配する横一直線上の舞台の仕立てを壊すほどのことはない。
むしろあまりに平面的に展開される光景に馴れ切っている観客をすこし驚かそうとした作者のたくらみのような例外的な・ちょっとした回転運動だ(そうなのだ! このシーンに出てくる、平面を裏切る動きの箇所はすべて回転運動で出来ている)。

詩人が右へ行ったり、左へ行ったり
母親も正面顔から立体的に右へ向く

唯一規格外な魚の存在も、遠近をつくることなく、むしろ平面状をべったり貼り付いた印象だ。


この項、おわり。
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