#アニメてにをは
ジブリの回想記だよ。16回目から30回目が収録されています。
ぼくの知っているジブリのことを書きました。
ツイッターでつぶやいた独自のアニメの見方「アニメてにをは」をまとめたものへのリンク集です。 『魔女』『千』はほぼ全画面分析がお楽しみいただけます。
論考『アニメ「てにをは」事始め』が雑誌『熱風』に発表されてから2年。2023年度に考案した新しいアニメ「てにをは」考察です。
ジブリ作品を楽しむための、アニメの基礎的表現について説明していきます。
『アニメてにをは』のページへようこそ。 この『アニメてにをは」のnoteは、 ①アニメの画面分析 ②ジブリ時代の回想録(ジブリ私記←いまこの作業が進行中) の文章を主に発表していく趣旨でやっています。 ★1.アニメの画面分析とは?アニメを、具体的な画面にしたがって分析していきます。 たとえば、こんな感じです。 何か不思議な分析だなあ?と思うかも知れません。 わたしの分析の特徴は ①ストーリーやテーマは論じない ②音声を消して画面を見たときに初めて「視えて」くること
わかりやすいジブリネタをあげれば受けはいいのでしょうが、ここ数回の地味な回は今後の「私記」のあり方を左右する、いわば「地盤」のようなものだと思います。ジブリをめぐる「極私的な城砦」を着々と築いている感があります。一年後、これはどうなっているのでしょう。我がことながら楽しみです。
「ジブリ私記」の各投稿の末尾に「次の投稿」「前の記事にさかのぼる」リンクを付け足しました。 全体像が追いやすくなったかと思います。 これを機会にほかの記事も読んでいただけたら、うれしいです。
0~この続き物としてのコンセプト この続き物は行き当たりばったりに話題が錯綜して進んでいるのですが、以前にも書いたとおり、基本的には最新の投稿が終わった段階の「雰囲気・余韻」を受け継ぐようにして、次の投稿内容を決めるようにしています。 そんな風にしているのは、いずれ将来、この私記を全体通して読むひとが現れたとき、続きものとしての流れをもって読んでもらいたいという希望があるからです。そういう読者の最筆頭はぼく本人なのでしょうけれど。 またもうひとつの理由としては、これを書
ジブリの研修期間は3か月間でした。 同期の仲間たち(作画、仕上げ、美術)と一緒になって、作画の研修や仕上げの研修に携わりました。それぞれおよそ2週間。 研修の目的は、自分の属する部署だけでなく、より広く部署を横断してアニメーションの制作工程を学ぶことにありました。だから、3か月の研修の最後は、新人全員が各自「料理」のセル画をつくるのです。自分でレイアウトを描き、清書し、セルにトレーシングし、色指定をし、自分で色を塗って、それ一品もののセル画を完成させるのでした。 「ジ
ノート(note)の手記『ジブリ私記』がとどこおっている。書きたいネタ、書けるネタはいくらでもあるのだけれど、つづきものとして読めるようにしたいと考えると、いまの流れを受けてどうするか、という点で迷っている。そんなこと誰も気にしてないというかもしれませんが、ぼくが気にするのでした。後で余生で読み返すときを思うと、ここで迷っておくのが一番。 ジブリ私記はまだまだ全貌を現わしていない。おそらく最後まで書き残そうか迷う話題もいくつかある。 そんなひどい話が、そんなうまい話が、とい
NHKが人形劇形式で送るインタビュー番組『ねほりんぱほりん』が先日アニメの制作進行に焦点をあてて特集していました。 これはその内容で私的に覚えておきたいことをメモしたものです。 今回インタビューを受けたのは2人の制作進行さんでした。 ★カット袋、健在 冒頭から、制作進行さんが例の黄色のカット袋を手にして奔走しているのを目にして、「ああ、デジタル時代になっても、あのカット袋は健在なのだ」と思いました。 あのカット袋は(専門でない方に説明すると)原画、動画をカットごと
長旅に空き時間ができて、マンガ喫茶に入ってノート(note)にアクセスし、「ジブリ私記」を最初から読み直している。案外と書いているときの「衝動性」は、読む分には伝わっていないと知る。ならば今後は、もっと巧妙に書いていくよう心がけるとしよう、そう思った。
ぼくが描けるジブリのことなんて、大したことない。 前回ぼくが描いたのはスタジオの2階のだいたいの配置図であって、「だいたい」でしかないし、あの文章で言っていた/求めたように、あの当時の記憶やいきいきした感じをよみがえらせること、なんて、とても出来てやしない。 だからそのスタジオの配列を決定づけていた「作画机」の描写なんて、とても出来やしない。 あの、学習机に似ていて、非、なるもの。 学習机みたいに、すべすべした合版じゃなくて、あらっぽくヤスリがけしただけでニスを塗
今回は、プロデューサーの鈴木さんのことを書いてみよう思ったけれど、書き終わってみたらとんだ脱線をしてしまい、その脱線を活かすために大幅に書き直した記事がこれである。 鈴木さんのことを書こうとして、なんとなく鈴木さんのスタジオでの居所であった「金魚鉢」のことを書こうとした結果、興味の方向がそのままスタジオのレイアウト・配置図へと向かってしまった。 結果的に「スタジオの地政学の必要」を訴えるような文章になってしまった。 しかしこれだって「私記」の重要なエピソードだ。 「
姉に電話したら姪っ子が内定式に出ているという話になり、あとでローカルニュースを見てたらやはり内定式の話が出た。10月1日、今年も下半期。そういう季節なのか。 そうだあれを書こう。ジブリ入社式の顛末。儀式を不謹慎に扱うと後が痛い。そんな話。乞うご期待。
ジブリには連載持たせてもらった恩義がありつつ、しかしあの給与明細はいずれ表にしたかったのも確かで……失敗したなと思ったのは、あの明細を出したぼくの真意が一切ぶっ飛んでしまう(というか、ツイート自体が説明不足だった)形で炎上してしまったことです。 でも削除するつもりは(いまも)全然なくて、あれでジブリに迷惑をかけたことに対する帳尻って何なのかな?って炎上以来考えてましたね。 だから本当は、回想記をもっと早くからやりたくて。炎上してからは特にずっと。でも膨大な量になるし、コ
たまにはたわいのない話でも書いてみよう。 巨匠と寿司の話である。 たまたまだが、ぼくは宮崎駿と高畑勲、それぞれと寿司を食べに行った経験がある。 宮崎さんとは、ぼくがまだ新人ほやほやのころに寿司に連れていってもらった。 しかし記憶がいまいちあやふやだ。 宮崎さんが3億円だかの税金を支払いに行ってきた帰りだったのか、それとも「トトロの森」に3億円だかを寄付してきた帰りだったか、忘れてしまった。納税と寄付がほぼ同時期に宮崎さんの手で行われたのは確かなので、そのふたつがぼ
こんなことをXでつぶやいている。ノートとしても聞き逃せぬ。
この回想録はぼくがジブリで働いてころのことを書いていく、つづきものの記事のひとつです。 いままで書いてきたものはこちら【 】。 はじめて読むひとに向けてあらすじを書いてみると、ぼく・石曽根正勝は、宮崎駿に誘われて1996年の春にスタジオジブリに入社した。面接や入社試験を受けたのではなく、宮崎駿本人から個人的に誘われてジブリに顔パスで入社したのだ。 なぜそういうことが起きたのかと興味を持った方は、その一年前にジブリで開催されたアニメ演出塾『東小金井村塾(第一期)』
気づいている方も気づいていない方も、このノート(note)にはマガジンという名の「記事を束ねる機能」がついていて、ぼくの目安では15本前後でひとつのマガジンとしてくくったらどうかと考えて、書き続けていました。 ひとつのマガジンとしてそれ以上の数の記事を入れ込むと、ボリュームが大きすぎるような気がしますし、書き手の自分としても目標としてひと区切りにできる(=頑張れる)のは15本が精一杯かなというのもありました。 というわけで、「シーズン1」と銘うった「私記のまとまり」はこ