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スタジオのレイアウト・地政学~ジブリ私記18

 今回は、プロデューサーの鈴木さんのことを書いてみよう思ったけれど、書き終わってみたらとんだ脱線をしてしまい、その脱線を活かすために大幅に書き直した記事がこれである。
 鈴木さんのことを書こうとして、なんとなく鈴木さんのスタジオでの居所であった「金魚鉢」のことを書こうとした結果、興味の方向がそのままスタジオのレイアウト・配置図へと向かってしまった。
 結果的に「スタジオの地政学の必要」を訴えるような文章になってしまった。
 しかしこれだって「私記」の重要なエピソードだ。
 「なんだこりゃ?」という文章がつづき、これまた人気のない記事になるだろうが、こういうこともたまには書く、そういう続き物です。

 当時は最寄り駅の総武線JR東小金井駅に降りると、「ここにあのジブリがあるの?」と思わされるほど殺風景な田舎の駅でした。いまや開発されてオシャレな駅界隈ですが。でも総武線の沿線沿いに伸びる東西の道はいまも変わらず、そのまま東の方へ向かいますと送電所にぶち合たり、田舎道は北へと(道沿いで言うと左方向へと)曲がり、そのうちに道の左手には見ごたえのある花屋が見えて来て、その花屋と小道を挟んで右隣りに(進行方向左奥に)建つのが、ジブリの当時ただひとつの社屋でした。
 通りに接した社屋の2階部分(東方向)に丸窓が開口しているあたりが「金魚鉢」からの窓です。建物内から見ると、金魚鉢を回り込む形で2階の東半分が制作ブースにあてられ、道沿いから見て建物の背後にあたる西半分が作画ブースでした。そしてこの西半分の作画ブースのスペースで、北辺に面した一角がメインスタッフのブースでして、作画ブースに凹状に囲まれている形でした。
 このように、2階部は東西で制作ブース(東側)と作画ブース(西側)で切り分けられていて、その東西を中央で貫く通路が走っていて、その通路沿いに進行表が貼られていたり、QAR(また別の機会に説明します)が置いてあったり、給湯所があったりしました。この通路の南端が有名なガラス張りの螺旋階段につながっていて、その階段を半周しながら降りると1階の広いダイニングルームがひかえていて、ここはスタッフのお昼休憩所だったり、喫煙所だったり、ドリップコーヒーを飲みながら仲の良いスタッフ同士でしばし雑談したりした憩いの場であると同時に、この同じ場所が毎週金曜日(土曜日?)の朝一番に、あがったばかりのラッシュを見る場所だったりしました。

 いまも三鷹の森ジブリ美術館にはジブリ(第一)社屋の模型は置いてあるのだろうか。十数年前に美術館を訪れたときはその展示ブースの一角にスタジオ第一社屋の模型は置いてあって、中を覗いてみると(少なくとも)2階の建物内部のレイアウトが『もののけ姫』のころとそう変わっていなくて、メインスタッフブースもそのまま再現されていました。宮崎さんが座っていた机にはメガネをかけた豚の人形が座っているのを確認しつつ、「あ、ぼく(石曽根)の席も再現されてるな」と机の並びを見ながら楽しく拝見したものです。
 それから数年して『アリエッティ』の準備のころに、ぼくは書き継いでいたアニメ論考の進捗状況を報告しにジブリを訪れたのでしたが、作画ブースのレイアウトがずいぶん変わっていて驚いたことも覚えています。そのころ監督の米林くんが絵コンテ作業をするため(宮崎さんに居所をつかまれないよう)秘密の場所に蟄居していたのですが、ひさしぶりに同期の仲間に会えたものの、米林くんのことは箝口令を敷かれていたので、米林くんの所在を訊ねたぼくに同期の仲間は気まずそうに黙るしかなくて、その事情が後でわかって、悪いことしたなと思いました。

 スタジオの建物レイアウトの話題を続ければ、ジブリを訪問した客人はまず一階左脇の事務所で面通しして、右手にある階段をあがっていきます。1階から2階へと続く踊り場の部分に会議室の入り口があって、ぼくが参加した『東小金井村塾』はここで行わました。スタジオの外の正面から見ると、右半分に出っ張った箱のような部分があって、それが会議室です。
 踊り場で180度回転して階段をのぼると、3階につづく階段がさらにつづいていますが、とりあえずジブリを訪問したひとは2階フロアで用が済むはずで、用件によって右手直進の道を進むか、左手にあるドアへ進むか、ふたつの進路を選ぶことになります。左手は制作ブースと「金魚鉢」につながっているドアなので、おもにビジネス方面で用事のある訪問客が通るコースですね。
 一方右手直進のコースはクリエイターサイドのお客さんが通る道。作画ブースへ通じるドアがあって、そこを抜けるとまだ未公開・準備中の作品のイメージボードや試作品のセル画なんかが無造作に貼ってあって、あれは訪問客としてはドキドキしますよね。新作の秘密を盗み見たようで。ぼくも新人社員としてスタジオを訪れ、右手直進コースで作画ブースに入ったとき、いま思えばタタリ神のセル画の試作品が貼ってあって、「なんだ、これ?」とびっくりさせられた思い出があります。だから一般観客として完成形のタタリ神を見せられたひとは、けっこう衝撃的だったのではないでしょうか。

 鈴木敏夫さんのことを書くつもりが、スタジオのレイアウト図をなんとなく書きたくなって書いてみました。
 しかし案外この記述は後世に役に立つ可能性はあって、少なくとも『もののけ姫』の頃の2階配置図が、この文章を読めば、おおよその見取り図の想像がつき、美術館の資料としても残っている第一社屋の模型もいつごろの見立てのものかという証言にはなるわけです。
 ジブリでスタッフとして関わったひとであれ、ジブリ以外のスタジオで仕事をしたひとであれ、その当時そのスタジオはどういうレイアウト・配置のなかで仕事をしていたか、は案外アニメ考証家にとって大事な情報だったりします。
 ジブリにかぎらずアニメスタジオがどういう風にレイアウト(とその変更が)されていたかをたどっていったり、できることなら、どういう意図があってそういう配置に変更したかというのは、スタジオ社内をどうムード的に活気づけるか(あるいは、その限界がいつ訪れたか)を知る上でとても参考になると思うのです。
 東小金井へ独自の社屋を建てる前、ジブリが吉祥寺時代のスタジオにあったころ、資料を読む限りでは東小金井時代とは異なる、独特の活気があったことは確かなのですが、ぼくの嗅覚としては(あるいは『もののけ姫』に関わった身としては)その活気の秘密のひとつが「スタジオのレイアウト」と係わるような気がして仕方ないのですが、そのレイアウトがどうだったか、資料にはまったく残されていないんですよね。
 将来ジブリをトータルに論じようとする人には、ジブリがどのようにスタジオをレイアウトし・変更しつづけて来たかを知っておく・まとめておくのは、決して無駄にはならないはずです。まだ関係者が沢山存命ですから、インタビューをとっておくのは価値として尽きないものがあるはずです。
 先の段落で『もののけ姫』時代のジブリの配置図を(2階部分だけですが)叙述してみたのは、そういう意図があるからであって、しかし叙述・描出としてはまだまだ全然上手くないのは認めます。
 アニメ研究者を自称しているひとのなかには、スタジオのレイアウト図の重要性に気づいていないひともいるはずです。ぼくと違って研究者としての余力のあるひと(特に若いひと)には、ぜひ(レイアウトに限らりませんが)関係者インタビューをいまのうちに、もっともっと、とっていって欲しいですね。
 あるいはこれからアニメ研究者として売り出していこうとする若手院生なんかが、こういうところから地道に研究を開拓していってほしいですね。関係者に会ってもなに聞いたらいいかわからない、けど意欲はある、ってひとは連絡ください。相談のりますよ。

 あと研究的な機微として言っておけば、スタジオのレイアウトを「図」で表示すれば、何か根本的に「分析として完成する」と思ってはいけないですね。もちろん「図示」するのはいいことなのですが、図示がすべてを体現するとは思ってはいけない。パワーポイントの台頭以来の弊害ですね。パワポでの図ですべてが足りてるはずがないので、いまだにパワポで図示しつつ説明の口述を必要としているんですね。主従を間違えてはいけません。パワポを説明するために話しているんではなく、話していることを図式として頭に入れさせるためにパワポを使ってるんであって。逆になっている発表、たまに見ますが。
 「言葉」(書き言葉/話し言葉)という、リニアに(線的に)時間的に限界づけられてロジックをたどっていくという作業は、「図示」での(仮想空間的による)理解によって代替できるものではないとぼくは思います。
 さらに(ぼくはまだうまく叙述が出来ていないけれど)優れた「叙述」は「それ自体でロジックをはらむ」ものです。たとえば、スタジオの配置図を説明しているだけで、そのスタジオの新しい活気を活写できるような。こちらはどちからというと、研究者よりもノンフィクションの書き手が得意とするかもしれませんね。

 書いてみて気づいたけれど、これは学問でいう「地政学」の重要性ですね。「場所」が占めうる「ひとの思惑(政治)」を見定める学。そういうものとしての「地政学」はアニメーションスタジオの配置図をめぐっても考察の対象たりうる。
 だから「アニメーションの地政学」はもっともっと認識されていっていいはず。それは現在のスタジオに関与するフィールドワークでもあってもいいし、過去のスタジオを再現・活写する考古学であってもいい。そういうアニメのフィールドワークの成果を実際いくつか目にしている。たとえば松永伸太朗さんの『アニメーターはどう働いているのか』(2020/ナカニシヤ出版)があったりするし、学術誌に掲載されたものならもっとありそうだ。こういったひとたちも巻き込んで、アニメ研究者の皆さんでそれぞれの得意分野を補い合いながら、ひとつのコンテンツ(作品)を複数の視野で切り取る「共同研究」があってもいいだろうし、そういうのはきっともう実際されているのだろう。

 さて、これはまた、興味の湧く読者が少ないだろう記事ができてしまった。しかしこの連載は、誰も言わないけど/誰も言わないからこそ、ジブリやアニメについて(わざわざ)提言していくことが目的(のひとつ)であったりもするので、こういう地味な記事もたまには書きますよ。これだって「私記」ならではな投稿なのです。

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