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魔女の宅急便@ほぼ全画面分析その16(で、終わり)

ストーリーやテーマには関わらずに、アニメの【表現そのもの】に注視します。
そういう試み=「アニメの・てにをは」は、『魔女の宅急便』編その16をお送ります。
今回で『魔女の宅急便』の「てにをは」も終わりです。

前回(その15)はこちら


【394】
まだ飛ぶ力が安定してなくて、デッキブラシとの相性もばっちりではないので、突然落下します。
決定的瞬間を切り取るのはなかなか大変です…


【395】
落下して家屋の屋根にお尻を直撃です。
直撃する前と、後とでは、屋根に『衝突した痕』が生まれています。
これもセルに部分背景を描いた『ブック』という手法で処理されています。


【396】
ここは地味にすごい。
キキの転がりに沿って、一方で左斜め上方向にパラソル広がる地面が【迫り出てきて】…
もう一方で右斜め下へと屋根が【引っ込んでいく】…
両側へと背景を動かして、光景が広がっています。


【397】
このカットはパラソルがセル画で処理されています。
動きが伴わないので背景で処理してもいいのですが。
①動くヒトとの調和?
②次のカットとのつながり、という理由?
③生き生きした存在にするため?
など、いろいろ考えたうえでそうしたのでしょう。



【398】
さっきのカットで生き生きさせておいたパラソルが、このカットでキキの飛翔力にあおられて、みごとにひるがえってます。
それにしても2カット目のキキの顔は、やっつけ仕事っぽい造形ですね。こういうのもあると、ある意味、ホッとしますが。


【399】
ここは叶精二さんの普及活動もあり、横に長い『横長背景』が使われて、【右奥】から【真ん中手前】、そして【左奥】へと、一枚の背景で済ませている手間のかかったカットであることはよく知られていますね。。


【400】
でもクライマックスだけあって、さっきのアーケードだけじゃないですよ。視覚的に特別感あふれるカットが連続します。
建物から出て、上空へとひとっ飛びするキキ。
この一連の動きが連続していて、背景も一枚絵で出来ています。これも大変なカットだったはず。


【401】
何とか高度を保って飛べていますが、向き・揺らぎが安定していなくて、キキはデッキブラシに話しかけながら飛び続けます。
ここもけっこう地味に、作画的に大変そうに、個人的には見えますが。実際どうなんでしょうね?


【402】
気球が落下しそうで、路上のひとびとが逃げまどい、パトカーが道に沿ってカーブして動いています。
群衆の描き分け、作画量の膨大さも驚きですが、路上にかかる気球の影は『半露出』という撮影処理。パトカーの青い灯火は『透過光』。だんだん撮影処理技法も「見えて」くるようになってきましたか?


【403】
気球が頭部を下方向へ、尻を上にした格好で浮かび・移動する。
気球の輪郭・マチエールを美術が描き、船体をかたどる描線がセル画ですね。両方の手法が混在したハーモニー処理で成立しています。
気球の動きは『作用/反作用』を与えず・『スライド』(撮影台上で機械的にスーッと動かします)で処理。


【404】
さてこれから気球が時計塔へぶつかります。
この段階では気球も時計塔も『変化する・動く』必要がないので【背景美術】で処理されています。
これからぶつかって、気球も塔も変化・崩壊します。そのとき両者は【セル画に変化】しますので、その推移にも留意しておいてください。


【405】
トンボは、気球から垂れたロープにつかまり、パトカーのフェンダーに足をかけて、辛うじて助かっている。
ここからは、【複数のことが・同時に起こっている】ので、同じ場面でもひとつひとつ分解する形で見ていくことにしましょう。

まずはトンボのバランス感覚。
上の2枚の絵、車のフェンダーの傾き加減が違うのが確認できますか?
左右のつり合いがを辛うじて保っている【揺れ動く】さまが見事に表現されています。


【407】
トンボ目線で見えているので、時計塔が接近しているのが、時計塔の接近という形で確認できます。
これは『マルチプレーン』でしょうか?

いや、そうではないと、ジブリ時代の先輩・片塰満則さんからコメントいただきました。

《片塰満則さんからのコメント》
ここのカットで使われている技法は、(マルチプレーンではなく)『オプチカル合成(光学合成)』です。
これは、複数のフィルムの絵を一つのフィルムに統合(合成)する、実写の特撮でもかつて使われていた技法です。アニメーションの撮影台ではなく、オプチカルプリンタという、特殊な機材が必要で、大手のフィルム現像所に発注して行われています。

トンボ危機一髪のシーンでは、
①黒バックで撮影したトンボ(セル素材)
②白バックに黒いシルエットのトンボのセル(マスク素材ですね)
③近づていくる動き(ズームアップや雲のスライド等)をつけた背景要素のみ
この3本のフィルムを撮影台で撮影し、その3本のフィルムをオプチカルプリンタ用いて、合成結果のフィルムを作成しています。

オプチカル合成を行うと、どうしてもマスクのわずかなずれが生じるため、今回の例でいえば、トンボ(ロープとフェンダー含む)輪郭線の太さが不均等になり、しかもその不均等さは、コマごとに不安定に変化してしまいます。
また色も、実線(マシン線)よりも暗く(黒く)なる傾向があります。

上記の欠点は、プリンタの機構上、避けることは出来ないものです。また、いわばフィルムによる”ダビング”なので、画質の劣化が必ず起きてしまいます。
そこでスタジオジブリでは、いち早くデジタル合成を『耳をすませば』で導入することで、イバラードのシーンの、多数の別の動きや拡大する素材を合成することにしたわけです。
★以上、片塰さんからのコメントでした。


【408】
さらに同じ背景美術でも、時計塔と背後の空とは別々の層として描き分けられています。
だから時計塔と雲の位置が少しずつずれていきます。
ただし、塔と雲は別の板ではなく、同じ板に重ねて、ひとコマひとコマ重ね・ずらしていると思います。『密着マルチ』といいます。


【409】
さらに接近。
時計塔のおじさんの姿も大きく見えてきましたね(悠長)。
あくまで【塔(+おじさん)の層】と【トンボの層】は別のガラス板の上に乗せられていて、板と板との距離の接近が、トンボの眼前に時計塔が大きく見えてくる効果をあげています。

さて、さきの話題をつづけますが、なぜここは「マルチプレーン」とは言えないのでしょうか。
また片塰満則さんのコメントに耳を傾けてみましょう。

《マルチプレーンを使わない理由としては、マルチプレーンを組んでしまうと、両方の素材にフォーカス(ピント)を合わせるために、十分な光量を確保するのが難しくなります。

《カメラの機構上、絞りを小さくすればフォーカスする範囲は広く取れますが、それには、通常とは異なるライティング(露光量)が必要ですし、他のカットと露出(明るさ)を合わせるのがむつかしくなります。
また、たとえ絞りを小さくしたとしても、距離を変化させた撮影では、やはりフォーカスが変化してしまい、違和感があると思います。

《ここからは、推測になりますが、マルチプレーンの高さとカメラの高さの変化を同期させることも難しいと思います。精確な同期を取るにはステッピングモータをコンピュータ制御する、いわゆるモーションコントロールのシステムが必要ですが、それが、当該作品の制作時に導入されていなかったのではないでしょうか?
★以上が片塰さんのコメントでした。両方の層にピント合わせてのマルチプレーンするには、確かに光量が足りなそうですね……


【410】
今度は視点が時計塔からになっているので、トンボがカメラに急接近してきますね。
トンボが大きくなって見えるのはただ普通に動画で処理、です。
塔に接近したさまは、トンボの身体にかかる『影の比率の変化』で見せていますね。細かい。


【411】
また視点はトンボの方から。
気球がついに時計塔に直撃する寸前の瞬間です。
時計塔のおじさんの動きを丁寧に見たかった、からではなく、ここでも【モノの接近が影によって示唆されている】を皆さんに見せたかったからです。


【412】
気球が時計塔の頂点にぶつかり、気球は形を崩し、時計塔も尖塔部が破壊されます。
ただし、同じように変化しているようでも、気球は完全に『セル』として変化・変容しています。一方、尖塔部はうまく気球の内側に隠れていて、破片が飛び散ることでその破壊のさまを告げる形にとどまっています。セルアニメ特有のうまい「ごまかし方」。


【413】
さあ、ここはいくつも見どころ、ありますよ。
トンボが時計塔の壁面に両手を這わせています。
本来【トンボ=セル】と【時計の壁=背景美術】は別々の部署で仕上がるのでした。
こんなに巧みに・しっくりとセル画と背景美術がからみあうって、普通のアニメにはなかなかない贅沢な効果です。

あとは、破壊された塔の破片が落ちてきて、おじさんが出入り口から身を引っ込めます。
このとき枠の輪郭線に沿って『組(くみ)』が切られています。つまりおじさんは、出入り口の輪郭に沿って『切れて・存在しなくなっている』のです。


【414】
さきほどは気球だけが、【背景美術からセル画に変化】しましたが、カット変わってここでは、【気球と、あと時計は尖塔部分だけがセル画になって】破壊されていく様子が描かれていますね。
「セル画と美術の使い分け」が見事ですね。


【415】
ここもすごい。
トンボがつかんでいるのが、時計塔を構成する・レンガの継ぎ目の部分で、【指先が、ぴったりとレンガの継ぎ目にあたって】いますね。
レイアウトの原図をもとに、2つの部署~『作画部』と『美術部』がちゃんと連携して作業している律義さがディティールをきっちりに生み出しています。

レンガの継ぎ目に当てた指先も細かいですが、トンボの足を支えている車のフェンダーが・不安定に揺れているさまも【作用~トンボの体重/反作用~かしぐフェンダー】の原理がうまく表現されています。


【415~3】細かく動きを見ていくと、トンボが時計塔の壁面から手を離してしまうのは、頭部にがれきが当たった衝撃からだったのですね。
『ラピュタ』でドーラが気を失うのとまったく同じですね。


【416】時計塔の壁から手が離れてしまったトンボは、ロープをつかんだまま、中庭上空へ。頼りにしていた車のフェンダーも落ちてしまいます。アクロバティック。

トンボのアクロバティックな運動を見せるこのカットは、ロープにぶらさがるトンボの動きにそって『つけパン』してますね。
『つけパン』とは動作物に沿ってカメラの視点移動すること。
この場合、カメラの上方向へ向けてパン(カメラ視点移動)することで、トンボの動きを追っていますね。


【417】
トンボに接近していくキキ。
ここはすごい。
キキの見た目になった瞬間、視界の両側を通り過ぎていく屋根の連なりが『背景動画』になっていますね。
【背景動画】とは視点の移動にともなって背景を動かす必要があり、ポイント的に背景美術をセル画に変えて動かすことです。
よく出来てますね、ここ。


【417~2】
おっと、指摘しそびれるとこだった。
ここは3層構造の奥行き。
1:手前=キキ
2:中間=すぐ背後の屋根
3:奥=さらに背後の建物
2と3とで、背景として退いていく速度が違い、奥行き感を出しています。


【418】
ここぞというときに、デッキブラシが言うことを聞いてくれなくて、急落下するキキ。

この落下するときの、背後にも注目。
【建物が迫り上がる速度】と、【雲が建物に隠れる速度】が違うので(1~1.5秒ほどのカットですが)【建物と雲の位置関係が違っている】のがわかるでしょうか。
これ、1秒間に何ミリ動かすかを、撮影に指示しないといけないのです。演出としての熟練が試される技ですね。

地上すれすれのところで落下が止まる瞬間、わざと『作用/反作用』のメリハリを【つけない】ことで、キキの飛ぶことへの【馴れ】を感じさせる演出になっています。
キキもナウシカという【飛ぶ女性の系譜】にあったのだなとあらためて認識させてくれます。

あと、個人的に感慨深いのは、地面すれすれに落下して水平方向へ飛ぶという表現は、『ラピュタ』の海面すれすれを飛ぶのと、まったく発想が一緒ですよね。


【419】
パトカーを追い越して飛んでいくキキ。
微妙昇り勾配なので、撮影台も微妙に時計回りに回転させたあと、キキの上昇方向に沿って背景を斜めにずらして撮影しています。こだわりを感じさせます。


【420】
これ。ここ好きです。
ラストのクライマックスの一番の見せ所は、個人的にはここですね。
『背景動画』爆発です。

にしても、これ、もう魔法じゃないですよね。
ステルス戦闘機並みの精度で飛んでる。


【421】
あらためて時計塔にぶつかってる気球船が映し出されてますが、ここは背景美術で描かれているんですね。
もうセル画として一度登場しているし、またこの後変形するのだからセルのまま提示していてもいいのはずですが、こだわりがあるんですね。
リアルなタッチ、量感は出てますが。


【422】
気球の様子を中継するテレビクルーと野次馬たち。

中継の様子がちょっとひと時代古臭いような。
『カリオストロの城』(79)でも峰不二子が…


【423】
気球が傾き・形を変形させつつ・各所の破れ目から何か塵芥のようなものを噴き出しながら、倒れていく。
動きがともなうので、ここでの気球はセル画で処理されている。
セルと美術での描きわけには、なにかポリシーがあるのでしょうかね。
お詳しい方、アドバイスいただけたら。


【424】
気球が自分たちの方へ落下してくるので、あわてて逃げまどう野次馬さんたち。
巨大物体・気球の『脅威』が、直接的なものでなく、『影』という【間接的な形で提示】されることが多いのは、今回あらためて気づきました。

気球を『影』で『間接的に描く』、と言っても、『脅威とは予兆のように接近する』とかって文明論を語ってるのではなく、単純にまずは影から迫ってくるだろ、というだけの話で。影は『半露出』ですね。


【425】
倒れた気球が屋根に直撃します。
ここでも時計塔での処理のように、屋根自体は変化させず、倒れこんだ気球の陰に隠れて・ダメージを負ってます、という風に見せています。

ここで『二重露光』が2箇所使われてますね。
ひとつは気球の影が屋根に。『半露出』という方法です。
それから煙が立っていますね。こちらは明るい色調になっていて『ダブラシ』という効果。

ダブラシなり半露出、スーパーなどなど、様々な撮影技法を、宮崎さんなり演出家さんは、その撮影の面倒くささ・手間を頭の中で想定してながら絵コンテなりレイアウトするものなんでしょうかね?

ここの場面は半露出とダブラシという違う撮影処理(多重露光)を使っているから、都合3回、フィルムの同じ箇所を撮影していることになります。

【426】
テレビ中継されているキキの映像と、それを見守るひとびと。
『アニメのなかに、もうひとつ別のアニメがある』と申し上げましたが、ひとつ忘れてました。
中の方のアニメは『モノクロ・アニメ』なんですね。そういう意味では『アニメのなかに、考古学的なアニメが現れる』と言ってもいいのではないでしょうか?


【427】
せっかく手が届きそうなところにいるのに、デッキブラシと相性が悪くて、なかなか手がつかめない。
宮崎アニメの飛行シーンとは『浮遊する安定した飛行の幸せ』に真骨頂なく、『飛べるかな?飛べないかな?』の緊張関係のなかでこそ試されるのです。

この手が届きそうで・届かないシーンは『ラピュタ』中盤とそっくりですね。
自己模倣というより、宮崎さんはクライマックスを創造するとき、頭のなかの一番快い装置を持ち出してくると考えた方がいいかと思います。


【429】
ついに力尽きてトンボがロープから手が滑り落ちる瞬間。
ここで3コマ撮りではなく、1コマ撮り=フルアニメになっています。


【430】
トンボの落下に間に合って、キキはとんぼを助けます。
群衆の大喝采。
消防隊が受け皿のトランポリン(?)を持参して大喜び。
これ、『千と千尋』の最後ととても似てますね。
みんな大喜び。迎え入れるのと、送り出すのとの違いがあるだけで。
この一体感には、ちょっと違和感。


【431】
この、あたりを舞う紙ふぶきも、何なんでしょう?

これ、『カリオストロの城』を思い出します。


【432】
宮崎さんの作品って、表現力豊かなんですが、終わらせ方がおおげさで苦手です。
なので素っ気ない分析になってしまいました。
さて、あとはエンディングです。


【433】
さてエンディングパートですね。
トンボたちの自転車飛行機が完成して、そのペダルと歯車部を横イチから撮っています。
『ラピュタ』のオープニングと似てますね。歯車を横イチで。


【434】
完成なった自転車飛行機。
高低差をつけてひとびとが【3層構造の奥行き】をつくっています。
1:手前~飛んでいるキキ
2:中間~これから飛ぼうとするトンボ
3:奥~追いかける友人たち
飛行機の影が草原に『ダブラシ』(半透明の影色に)。

さきほどの【奥行き】をつくっている3つの要素が横から図解された感じに。
トンボの飛行機の翼が奥行き感(パース)を強調して手前に伸びています。
草原には影のダブラシと走行感を出すタッチが走っています。


【436】おや、キキはデッキブラシを手なづけたようですね。

格納されたトンボはセルのどんな構造で出来ているでしょう?
下からAセル=飛行機胴体部分
Bセル=トンボを腰の部分で(組線で)切る
Cセル=コクピットの骨組み(光線があたったスーパーの処理)


【437】セルアニメーションは『重なる』ことでしか、最終的に『手前・奥の関係』を決定しえない。そんなことを告げ知らせているようなカットですね。


【438】奥行き感を伝えつつ、とても『平べったい』画面構成ですね。

手前=キキ
中間=トンボの飛行機
奥=海面上のダブラシの影
宮崎さんが抱く『アニメの平べったさへの意識』が美学として表出されたかのようなカット。


【439】飛行機と波がしらが重なって。
【セルの重なり】が生み出すマジックを、このエンディングではとても強調していますね。


【440】このカットなんか、前と後ろの関係がとても危ういですね。デッキブラシとリボンが飛行機に重なっていても、どちらが奥でどちらが手前かわかりにくい。



【441】
これなんか、はずみでやっちゃった男の末路みたいな。
という言い方はフェミニズム的に問題ですかね?
ここは『同じもの(のように見えて)違うもの』の見せ方を発揮してますね。


【442】ここの飛行機のシーンから波止場に場面が移る意味がわからないですね。
まあ4つ目のカットで時計塔は修復されたようだとはわかりますが。
この『飛行機⇒波止場』のつなぎの意味は皆さんはわかってらっしゃいますか?


【443】この車のラッシュ風景はデジタル作画を見慣れているひとにはちょっとショックが大きいかもしれませんね。ガタつきがひどいな、と。
アナログ時代は線の太さを補正なんて出来ないんで、トレースマシンっていう原始的な機械の調子で一発決まりです。
でもそんなアバウトな線の太さの揺らぎがこのシーンの雑踏感を生み出している。それを計算した上でのこのシーンだったと思います。


【444】
この下り坂にかかる薄暗闇の強調をみると、キキが出会ったグーチョキパン店って階層的にランクが下のひとが住まう地区にあったのかな?と思ってしまいますね。
ジャーナリストのお姉さんもいますが、一方で疲れた労務者みたいひととか職業不明なひとがこの先の下り坂にはいましたよね。


【445】
グーチョキパン店ののどかな風景。
公開時の宣伝にも使われた見た目なせいか、この映画を代表するルックを決めた、窓ガラスの奥が半透明に見える撮影技法が目を引きますね。
キキもすっかり店の看板娘という感じでお客さんと話をしていますね。

ガラスの『うつり』だけでも面倒な作業なのに(マスクという素材・工程が増えます)、さらにショーウィンドウの前をおっさんや少年を横切らせて、手間が増えると…

見る方としては『手間をかけてくれて、贅沢だ』と素直に喜ぶことにしましょう。


【447】
トンボがこれは…看板?と言っていいのかな?作ってくれましたね。
この鉄製の看板飾りが左手前へと突き出されて、背後に家と重なって、やはり立体感がよく出るアングルが選ばれていますね。


【448】
ここは結末とからむことなので、キキの街への溶け込み方がいまひとつ受け入れにくいですね、気持ちとして。

《人命救助》する様子を《テレビ中継》されて、すっかり《街の英雄》になってしまってご機嫌…

ひとり立ちって、もっと地味に実現するものだと思うんですがね…

先日『魔女』の『THE ART OF ~』を見てたらラストシーンにこんな記述が。
「メディアのアイドル、職業成功物語にしたくない」。
でもそうにしか見えないラストシーンを作っちゃうのは、いかにも宮崎さんらしい業(ごう)ではあるわけですが。


【449】
夜景を屋根のてっぺんで眺めるキキ(ジジたちも一緒)。
ここでやはり注目するのは『組(くみ)』。お尻、左手のひら、そして特に左すねに『組線』が、わかる形で浮き上がって見えます。
『組(くみ)』の問題は新たに出てきたものなので、決定的な論点にはまだなっていませんが、これからも『組(くみ)』は集中的に見ていきたいと思います。

ジジだけじゃなくて、息子さんもいる。娘さんたちは母親の許にいるのでしょう。
ジジが父親になっても、抱きかかえる・愛すべき存在は、小さい息子の方でなくてやっぱりジジ。
こういう愛情の機微をさらっと描き出せるあたり、宮崎さんの天稟がうかがえますね。


【550】
郷里に届いた手紙。
お父さんがうれしげに走って、ちゃんと一回《木陰にはいる》。
なにか《ひと工夫》しないと気がすまないんですね、宮崎さん。
この一瞬のために色指定のひとが影色バージョンを考えないといけないわけですから。
手間を決して惜しまない。


【551】
映画冒頭と同じ、母の調薬室のシーンなのですが、わたしがこのとき注目してしまうのが《ビーカー・フラスコ類》ですね。

中の液体が外界を歪めて映すあたり好きです。

皆さんもここ!という見どころを決めておくと楽しいと思います。

【452】
さて、最後です。
キキの肢体と背景の見え方が、滑空姿勢に入ってるわけでもないのに、この位置関係はヘンです。
まあ最後の決めのカットということでよしとしましょう。

『魔女の宅急便@ほぼ全画面分析』長い期間、おつきあいありがとうございました。

ふりかえり用に、連載一覧はこちらです。


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