まろにー

駆け出しネイリスト兼ハンドメイド作家兼塾講師。 現在は育児中の為専業主婦をしてます。 …

まろにー

駆け出しネイリスト兼ハンドメイド作家兼塾講師。 現在は育児中の為専業主婦をしてます。 薬科大にいきましたが中退、その後約1年半心の病気で闘病生活をしていました。 闘病記や体験談、育児日記を書いてます。 同じ境遇の人が記事を読んで少しでも心が楽になってくれたら嬉しいです。

最近の記事

2022/1/1

「5.4.3.2.1 年が明けたよ」 旦那が小声で新年を伝えてくれた。 こんな日に陣痛と闘ってるとは、なんて奇跡的な経験だろうか…そんなことを思っていた。 既に3分間隔で陣痛が来ていたため、ゆっくり新年を祝うことは出来なかったが、なかなかできない経験をさせてもらってると赤ちゃんに感謝していた。 おせち料理が食べられないのは少し寂しいが…とか食い意地だけははっていた。 そこから何時間たったのだろうか、痛すぎて叫んでいた。助けて、痛いよ、辛い、もう嫌だ… 今まで見た事のない私

    • 苦しんでくれますか?

      拝啓 元カレの皆さん 楽しかったあのころはいつしかもう思い出せないほど月日が経ってしまいましたね。 私を楽しませ苦しめ傷つけた日々は私を大きく成長させてくれました。 皆さんには感謝しています。 まずはAくん あなたと出会ったのは中学生の頃でした。 恋愛の「れ」の字も知らない私に人と付き合うということを教えてくれましたね。 放課後自転車を押しながらお互いに好きな音楽を聴きあい感想を言い合いながら家まで帰る。そんなことが楽しかった。 私に人を好きになることを教えてくれてありが

      • 2021/12/31(2)

        陣痛室から出られなくなって何時間経っただろう。 夜の病院はとても静かだった。 痛みの気を紛らわせる為か、それともリラックス効果を狙ってか、陣痛室ではオルゴールの曲が流れていた。 旦那ともほぼ会話はなくなり、ただひたすら痛みに耐えるだけ。徐々に耐えられなくなる痛み。 だがひたすらに何も起こらない。 子宮口が3cm程度開いてから全くと言っていいほど進まなかった。 一旦病室に戻ることになり、旦那と共に病室に戻った。 そこから数時間後だった 強い突然の痛み。 食後のせいもあってか、

        • 2021/12/31

          今日は旦那の誕生日。 朝起きておめでとうと伝える。 結婚して初めての旦那の誕生日なのに病院でごめんねとも伝えた。 でももうすぐ赤ちゃんに会えるよとも。 促進剤のおかげか、徐々にお腹が痛み始めた。 生理痛より痛くない。 まだまだ大丈夫、赤ちゃん早く出ておいでと今日も今日とて声をかける。 午後になり、朝からやってるお正月番組にも飽きてきた頃、だんだん痛みが強くなってきた気がした。 10分くらいの間隔。これが陣痛かな?とか思いながらナースコールを押す。 赤ちゃんの心音を聞くから

          2021/12/30

          何となく体がだるくて午前中は旦那が出かけてる間家でお留守番。 お腹に向かって何となく早く出ておいでと声をかける。 体調も良くなり夜ご飯を食べに旦那と出かけた。 その道中、温かい何かが下から漏れる感覚に驚いた。 急いで旦那に声をかける。コンビニのトイレで正体を確認したがなんだか分からず。妊婦特有の尿漏れかな?とか思いながら破水の可能性もあるしと大事をとって病院に連絡し向かった。 病院につくと直ぐに診察された。 破水だった。 尿漏れじゃなくて良かったなんて言う乙女の安堵と共にや

          2021/12/29

          今思えばおかしかった。 朝からお腹が痛かったし、夜、透明な謎のオリモノが出ていた。 だけどその時は予定日までまだあるしって呑気に構えてた。 ガタガタ揺れる旦那の車に乗ってお出かけしてた。お腹の張りはそれほどなかったし、いつも通りの休日を楽しんでいた。

          ありがとう

          決して何も無駄ではなかったのだ これまで何かを探し埋め続けてきたのだった しかし、何も埋まらなかった 色々なことをした たくさん試して埋めようとしてきた 一生埋まることはないと思っていた 最愛だった 永遠を共にするのもだと思っていた 突然だった 携帯の通知が鳴り響く 心がざわつく 普段はそんなことないのに 急いで携帯をとる 画面には もう目を覚まさないかもしれない 分からない 何を言っているのだろう なんの話しをしているんだろう 病院に走った 彼の待つ病室に

          ありがとう

          あの日私は塞がらない穴を開けた。

          俺、君とずっと一緒に居られないかもしれない。 そんなことを言われたのは、もう1ヶ月前の事だった。 電話口で別れの言葉を言い合った。 彼の最後の言葉はよく覚えている。 お前を1番幸せに出来るのは 俺しかいないけど、 お前を2番目に幸せに出来る男と 幸せになってくれたら俺は嬉しい 何を言ってるんだ?別れを口にしたのはお前の方だろう。そんなことを思ったのはそっと心に隠して、最後は元気に「バイバイ、さようなら」といった。彼は「またね、おやすみ」って言っていた。「また」なんても

          あの日私は塞がらない穴を開けた。

          埋まらない

          飲み会の帰りだった つまらない上司との飲み会を日付が変わる前までに抜けるために 「私シンデレラだからもう帰らなきゃ」 こんなクソつまんないボケをかまして足早にお店を出る 時刻は23時32分 あと30分弱で魔法が解けてしまう そんな頃合だった そしてそのまま早足で階段を下りる 「○○に停まってるから」 一通の通知がなる 「了解です!どの車ですか?」 そう送ると 「1689」 無造作に車のナンバーだけが送られてきた 「あった、この車か」 そう思った時相手は「あ

          埋まらない

          殺すか生かすか

          殺すか生かすかこれは全ての物に通じると思う 感情 感性 人 動物 心 個性 これら全てに生かすか殺すかという言葉がつく ここでは個性の話をしよう 「個性が死んでる気がする」 母親に言われて1番衝撃的だった言葉だ 心を病み途方に暮れていた時にかけられた言葉 個性とはなんだ 好きなことか?はたまた見た目か? 人に怯え 自分が何者か見失っていた こんな自分が生きていて良いのだろうか そんなことを考えていた時「個性」について考えさせられるとは 「個性が死んでいる」 こ

          殺すか生かすか

          左耳と右耳

          心から出てってくれ そう願って心の整理をしていた お揃いのピアス 私の大好きなピアス 愛してる人の好きな物を 俺も好きになりたい そう言って開けた左耳のピアス 私は右耳に開けたピアス ピアスには開ける場所によって意味がある 左耳には「守る人」 右耳には「守られる人」 君と永遠を誓った 永遠なんてないと知った 若かった 未熟だった 信じていた でもいつか終わりが来ると思っていた ずっとなんてないと分かっていた もういいよ 早く居なくなってくれ 右耳のピアスホール

          左耳と右耳

          後悔先に立たず

          後悔したって仕方ない そんなことは分かってる 後悔する前にとか 後悔しないようになんてよく言ったものだ 何をしても後悔することはするんだ あの時こう言えばよかった これは言わなきゃ良かった あんな風にとしとけばよかった あれはしなければ良かった 誰だってこんな後悔を沢山してきている 私は今とても後悔している 大切なものを手放した後悔 悲しんだって戻ってこないって分かってる ちゃんと気持ちが伝わってたかなって もっと伝えればよかったなって 1人で悩んで後悔してる バ

          後悔先に立たず

          死にたがりの生き方

          生きるって難しい なんで生きてるかなんて分からない 何となく ただただ何となく 死ぬのも難しいから だからただ何となく生きている 3回も自殺未遂を繰り返した それでも生きている 1回目はOD 親の顔が浮かぶ きっと見つかる頃にはぶくぶくに浮腫んで 変わり果ててるんだろう そんな娘を見て何を思うかな 悲しい顔するかな、驚いた顔なのかな そんなことを思いながら目を閉じた 強烈な吐き気で水分を欲する こんな状況でも尚生きようとする そんな自分の体に嫌気がさした 楽にな

          死にたがりの生き方

          20歳からの闘病記(7)

          物心ついた時には、 「嫌なこと言われたり、病気になるのは私が弱いからだ。」そう思うような子どもだった。 「強くなりなさい、病気になるのも、嫌なことを気にしてしまうのも弱いからだ。病は気からなんだから。」なんて言われて育ったためだろう。 なんの違和感も感じず、もはやそれは刷り込みのように体に染み付いた。 「強くならなきゃ。」幼い頃からずっとそう思って生きてきた。 弱いものは損をするそう思って生きていた。 私は元々気にしやすい性格で、心が弱かった。 そのため、私に勇気付け

          20歳からの闘病記(7)

          20歳からの闘病記(6)

          内科受診から数日後、 私は大学近くの精神科に来ていた。 1人では心細く、事情を相談していた部活の先輩に付き添ってもらい、初めて感じる独特な病院の威圧感と向き合っていた。 何より、「病は気から」なんて言う両親に精神科に来ているなんてどう説明するかばかり考えていた。 きっと不安で威圧を感じていただけだろう。 だが、あの孤独感、不安感は今でも忘れられない。 昔から怖かった。病院に行くのが。具合が悪くなっても病院に行きたくなかった。 病院に行って、風邪や胃腸炎なんて言われて

          20歳からの闘病記(6)

          20歳からの闘病記(5)

          私の人生どうなるの…人生に絶望した。 挫折せず、人に愛され、たくさんの経験をしてここまで全く不自由がなかった。 初めて挫折し、迷い絶望した。 「生きるって何?」初めて考えた。こんなこと。 私は元からネガティブ思考の素質はあった。 しかし、両親がそれを許さなかった。 「病は気から」そう言われて育った。 だから嫌なこと、辛いことがあっても、心を病むことは許されなかった。 強く生きろ、弱いものはいじめられる。そう言われて育った。武術を習ったのもそのためだった。 初めて絶望を

          20歳からの闘病記(5)