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青すぎる空と共に

放課後。夕方の教室。紙が擦れる音。セミの声。グラウンドから聞こえる部活動の掛け声。それらをBGMに、机を向かい合わせにして、ノートにシャーペンを走らせる。

二つの机がくっつくことはない。開いた隙間は境界線のようで、これ以上縮めてはいけない彼との関係を表しているみたいだ。でも、そうせざるを得ない訳も身の程も、きちんとわきまえているつもり。

モデルの仕事をしている彼。学校を休んで東京に行くこともしばしば。詳しくは知らないけれど、オーディションや撮影があるらしい。

休んだ分の授業の遅れを取り戻す手伝い。その役目が学級委員長のわたしに回ってくるのはごく自然なことだった。

ノートを写して、教科書の問題を何問か解いて、わからない所を教える。補講を受けられない代わりに課題として出されたプリントの解答欄が順調に埋まっていく。

扇風機の微力な風が前髪を揺らし、伏せた長いまつ毛を時折のぞかせる。きれいだな、とぼんやり思う。ばれないように盗み見るのも、いつものこと。もう何度も経験している慣れたこの時間。一つ違うとすれば、今日で最後ということだろうか。

夏休みが終わる頃、彼はもうこの街にいない。今より仕事に集中できる環境へ、旅立つ。次の季節を彼は新しい場所で迎えることになる。学校とはもう話がついていて、手続きも済んでいるらしい。あとは、彼自身が行くだけ。

新しい学校緊張するなぁとこぼす彼の言葉に、嘘ばっかりと心の中で反論する。楽しみでしょうがないくせに。

だってそんなに目をキラキラさせて、輝かしい未来を見据えているじゃない。この街にもこの学校にも、ここを離れることに未練なんて微塵もないって顔してる。期待に胸を膨らませていることを、表情が物語っている。

夏の終わりは、彼と過ごす時間の終わりでもあった。

初めて二人きりで話した放課後。十代とは思えない色気のある大人っぽさ。等身大の青年らしさ。その両方を併せ持った矛盾に、戸惑うほど心臓は早鐘を打った。

教室の片隅でおとなしく息を潜めるわたしと、人気者の彼。周りには常に人がいる彼に普段はなかなか近づけなくて、ゆっくり話せるのはこの時間だけ。二人になれるのは放課後のこの時間だけだった。

学級委員長という立ち位置あってこその特別。日中の教室ではまるで他人のように振る舞うわたしを、彼はどう思っているのだろう。

遠くから聞こえる友達とはしゃぐ笑い声に、なぜか胸が痛んだ。その理由を理解できた頃には既に手遅れだった。

電車で郊外の本屋へ行ったとき、雑誌コーナーで彼を見つけた。写るのは田舎の高校生ではない。プロそのもの。

周りの人たちに影響を与える存在感の大きさと、内から滲み出る美しさには目を見張るものがある。その美しさには殺風景な田舎臭さより、都会のネオンのほうが似合うのだろう。

十代で社会に出て、大人に混ざって働くことの凄さも大変さも想像することしかできないけれど、大変の一言では言い表せない苦労や努力があることはわたしにもわかる。

自分の置かれた立場と、それに伴う責任、プレッシャー、期待。周りの大人たちにとやかく言われずとも、それらを全てわかった上で、自分の信じるほうへ進んでいる。

十代の男の子が一人で背負うには重すぎるものを背負っても尚、凄まじいスピードで成長を続ける力強さに圧倒され、いかに自分がちんちくりんかを思い知らされる。さらに夢を叶えるため、迷いなく旅立ちを決めた彼。親元を離れる覚悟なんて今のわたしには到底できない。

比べてもしょうがないけれど、あまりにも眩しすぎる。同じ制服を着て、同じ教室で、同じ授業を受けていたはずが、気づけば彼だけ高く遠く、羽ばたいていく。

ずっとこのままでいられると思っていた。終わりなんて想像できなかった。出会いと別れの季節は春だと思っていた。だから、油断していた。もっとずっと先の話だと思っていた。

変わりゆく日々の中で、彼と過ごすこの時間だけは変わらないと、何の根拠もなく当たり前にそう信じて疑わなかった。

夕日に照らされてオレンジを纏った彼。西日から目を逸らしたのは眩しかったからじゃない。目を細めたその横顔があまりに綺麗で、まともに見ていたら泣いてしまいそうだったから。

季節は巡ってゆくけれど、同じ夏は二度とない。夏は来年もくるけれど、あなたのいた夏は二度とこない。初めからわかっていたはずなのに、どうしてもっと早くその儚さに気付けなかったのだろう。

せめて、今この瞬間だけでも、鮮明に覚えていたい。瞬きするのが惜しいほど、あなたと教室と時間と美しいその全て。思い出さなくてもいいように、この景色を焼き付けたい。視界がぼやけてしまう前に。今泣いてしまうのはもったいない。

きっとこの先何度も思い出す。その度、救われる。これからも続く人生の途中で大人になって、いつか新しい恋に出会って、好きな人ができても、きっとあなたは特別。消えることなく、わたしの中で輝き続ける希望になる。色褪せない思い出になる。大切な宝物の日々。

「俺、忘れないよ。ここで過ごした時間も、全部。」

忘れないと言ってくれたあなたを、わたしもきっと忘れない。好きだったよ。言えない言葉は出かかった涙と共に胸にしまった。

どうか元気で。夢を叶えて、たくさんの人を勇気づけて。幸せになって。あなたの幸せはきっと、たくさんの人の幸せに繋がるから。陰ながらではあるけれど、応援しているから。

我慢した分、せき止めていた雫が一気に溢れ出す。泣き顔を見られなくてよかった。

あなたの未来が明るいものでありますように。

「ばいばい。」

ひとつの恋の終わりは青すぎる空と共に。ここを旅立つあなたに、どうか幸あれ。


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