最近の記事

240129_植物と建築の関係について

最近「近代建築と植物について」が色々と話題になっている。それは世界的な環境保護の機運もあるだろが、日本においては少し違う見方がある様に思う。 そもそも近代化以前から、日本の建築に植物は不可欠な存在だった。不可分とも言える。それくらい豊かな、放っておけば草木が生えてくる風土である。 家族という仲間を家という単位で大事にしてきた日本の文化は、その中で、コミュニティを完結させることが出来た。 いっぽう西洋では植物というものは作るもの、それは裏を返せば環境の過酷さも意味するもの

    • 長女

      漫画のドラえもんが昔からすきだったが、幾多ある感動話のなかで特に心に残っている話がしずちゃんの回だ。 なんやかんやあってしずちゃんの父がしずちゃんを励ますために生まれて来てくれたことへの感謝をつたえるのだが、そのセリフが凄く感動的だったのを覚えている。 話の内容はあまり覚えていないが… 自分も娘の節目には伝えたいと思う。「そんな月日の全てが宝物」だと。 灰色の人生にどれだけ彩りを与えてくれたか、どれだけ日常が楽しくなった事か、それは自分一人ではなく自分の親や兄弟、親戚ま

      • 240212_日本における住宅の設計

        一昔前の日本における住宅設計においては、夏の環境を考慮せよと言われてきた。 昨今の設計では高気密や高断熱など建物の寿命を差し置いて人間の快適さを求める傾向にある。 勿論、独りよがりな快適さを求めるためには、高気密、高断熱の家を作ることによって一次消費エネルギーは少なくなるのだろう。それは人間から見れば「地球に良い事」である。 しかし、この高温多湿の受容的風土の日本ではどうだろう?改めて先人たちがなぜ夏の環境を優先し、家を建ててきたのか考えてみるべきではと思ったのである。

        • 240201_豊かな生活と土を肥やすことと井戸

          人口の減少が人類史上類をみない速度で進んでいる日本。GDPは下がる一方で日々貧困へと向かっている。 そもそも貧困とは何だろう。 今まで頼ってきたマンパワーも使えないとなると、我々はどこへ向かえば良いのか。 先人が必死で作り上げてきた豊かさは今壊れつつあるのではないだろうか。 そんな先人が創ってきた豊かさの中にいる我々が、改めて考える豊かさとは一体何なのであろうか?その答えは先人達が暮らしていた時代にあるような気がしている。 自分の中でそれは間なのではないかと考えた。言

        240129_植物と建築の関係について

          240207_ことばのはなし

          子供が生まれてから、汚い言葉や罵る言葉、ネガティヴな言葉は出来るだけ使わないようにしている。よく思い出してみれば、それより前から使わないようにしていたかもしれない。 「言葉を話す」とい行為は形がなく、目に見えないがそこにいる不特定多数の人に影響を与えうる行為である。文章は形としてあるが、影響を限定出来る行為だ。 昨今のSNS事情はまた違うが…あれは言葉と文章の中間に位置するものかもしれない。後記する意味においては。 なぜ自分が汚い言葉を使わなくなったか。それは、陰陽師系

          240207_ことばのはなし

          240119_もがき力あがき力

          建築設計の仕事をしているからには、後進に対する影響を与えたいと考えてしまう。憧れられたい。 雑誌などに載っているエリートアーキテクトを覗いていると感嘆とともに嫉妬もあり、つい自分の状況との比較をしてしまう。宜しくない。 文化の先端を行く事の苦悩や大変さも、自分のやっている事と比べれば分かっているつもりだが、そんな時は華やか部分にばかり目が行く。 地方で建築設計をやっていても後進に影響を与えるような案件はあまり入ってこない。 しかしその考えは間違いで、面白い仕事は自ら切

          240119_もがき力あがき力

          240118_言語化と言語化できない部分

          自分は今、言語化する事こそが建築の本質なのではないかと考えている。建築は自分の感覚で作るものではなく、自分の考えを人に伝えて大勢の人の考えで作り上げるものだからだ。 建築家の中には言語化できない部分こそ建築の本質だ…力だと言う人もいる。建築設計歴の長い人ほどそう言ってる気もする。 その世代的な価値観なのか、建築を考えた末に行き着く境地なのかはまだ自分にはわからないが、「言語化出来ない部分というもの」は言語化して作り上げたものの副産物もしくは偶然が重なり出来た物るものなので

          240118_言語化と言語化できない部分

          240123_廃墟の美しさ

          今日はTVerでクレイジージャーニーを見た。松ちゃん見れなくなるのか…と思いながら。奇怪遺産の特集でカザフスタンの核実験跡が映し出されていた。 雄大な自然の中で人の業がもたらした物が時間の中で自然に帰ってゆく。そんな様を見せてもらった様な気がした。 その様が美しいと思う所以だみたいな事を石神さんが言っていた。 そこで行われた事は肯定すべき事ではないが、(それを言ってしまうと人間の全てが肯定すべき事ではないとも事だとも思う)その自然に帰って行く様は美しいと感じた。 なぜ

          240123_廃墟の美しさ

          230308_弱いままで良い

          youtubeでいかりや長介の名言が流れてきた。 人間は弱いままで良いと。苦しむ事が大事だと。 なぜ苦しむことが大事なのか…苦悩するという事は、その分真剣に考える事だ。 自分は苦悩という事をネガティブに考え過ぎているのかもしれない。苦悩するという事自体が誠実にある為の第一歩なのでは?と思う。 そう考えるとやはり苦悩とは悪い事ではない。苦しむという言葉に囚われ過ぎているのかもしれない。日本語の罠か。

          230308_弱いままで良い

          230323_未知と思考、補完

          人は動物であるが理性という人間特有の部分がある。本能や感覚で理解している事も多いが、嗜好や芸術の部分になると五感で感じたものを理性で補完するある意味第六感いや5.5感と言えるかもしれない。 例えば初めて食す料理を食べた時、必要な栄養素が揃っていればこれは美味い!と感じる。それを繰り返し繰り返し食しているとその構成要素にあきてくる。 今までの記憶を頼りに、あれが食べたいこれが食べたいと考えだす。 その過程を経て自分の好みというものが決まってくるのだが、そこからさらに踏み込んで

          230323_未知と思考、補完

          230220_天災人災

          先日トルコで悲惨な地震が起こった。多数の犠牲者がでた事が連日報道されていた。 そんな悲惨な報道をみている内になにか腑に落ちない部分を感じていて、次の日に新聞を読んでいたら、これは人災だ、との記事が出ていた。 トルコの地震では多数の人が瓦礫の下敷きにになり亡くなっていることが判明し、それまでの建築構造に対するずさんな対応が批判されていた。 確かに自然災害により亡くなることは、この地球上に生きていくうえで、覚悟しておかなければならない事実。勿論そうならないための啓発は大変重

          230220_天災人災

          230210_日本人の好み

          日本人の多くはシンプルな物が好きだ。他の国と比べてだが。 その理由は国民性にもあるように思う。日本の気候からくる風土的な国民性。言い換えると和辻的な風土からくるのだろう。 日本の古い建物の多くは素材の持つ表情を組み合わせて空間が出来ているが、西洋の古い建物は素材に装飾を施し空間を作っている。 簡単に言うと、出来てくるもの、と、作っているもの、の違いがある。 それは先程述べた和辻的な風土による部分もあると思うが、それぞれの空間の規模も関係している。 勿論日本は小さく、

          230210_日本人の好み

          230112_情

          3つめの信念は情を大事にすることだ。田舎の閉塞的な集まりを好む地域に育ってきたので情を大事にすると言う考え方はある種当たり前の感覚で育ってきた。社会人になってからも田舎の商習慣にならってきたので当然にそういう感覚がある。 ずっと若い時、今でも1番くらい仲の良い友達に、何で他の地域の友達と仲良くしないのか?と聴いた事があった。その友達は、それは同じ地元の奴とはずっと長い時間を過ごしてきたからだ。と言っていた。 その言葉を聴いたときに、それが情というものか。と妙に納得して依頼

          230112_情

          221227_三角に見る

          自分の信念としている考え方があと二つあって、そのひとつが物を多角的に見る。と言う考え方だ。 何か揉め事の相談をされた時、相談者の意見だけを聞いてもその側面しか解らない。もう片方の意見も聞いた上で、自分の意見を出す。相談されたからには全力で答えたい、と考えた時にそのやり方に行きついた。 その場で答えは出ないし、煮え切らない答えになることもあるが、そんなに相談される事もないので期待に答えたかった… そうこうしているうちに表、裏、俯瞰みたいな違う角度からみることが染みついてしま

          221227_三角に見る

          221221_幸せの定義とか

          2年前に結婚して、今年子供が産まれた。ほんとに喜ぶべき事だ。 人と会うとよく、幸せでしょ?と聞かれるが、わからないと答えている。照れてるわけでもカッコつけてるわけでもなく、本当にわからない。 後々振り返ってみるとあの時幸せだったな。とは思うかもしれないが、その最中にいる今は幸せだとは感じていない。 主観だが、幸せとは落差だと思っている。今幸せだなと思う時は瞬間的なもので、体感で言うとその落差は2、3倍ないと感じられない。逆に普段より少しでも悪くなると、あの時幸せだったな

          221221_幸せの定義とか

          230104_曖昧

          建築に限らず、各ジャンルの批評と言うものがあるが、たまに凄く曖昧だなと感じる事がある。 言葉と人間の感覚とのズレが曖昧さの元だとおもうのだが、その曖昧さが凄く人間らしいなと感じる。そんな所から人の思考の複雑さを感じとれる。 感覚を言語化したところで、言語自体の曖昧さのせいで、評価している人の思考までは読み手の主観が介入しないと読み取ることができない。 一般的に建築や芸術、音楽を含めて良いものと言われるものに共通するのは共感である。 制作者の思いと技術とその背景が共感を生

          230104_曖昧